第3話 黒魔術で晩餐会を? まずは共犯者集めですわ!
「エミリア様、もう少しお力を抜いてくださいませ」
背後でリズがコルセットの紐を引いた。エミリアは鏡の前で仁王立ちのまま返事をしない。
ぎち、と紐が鳴った。それでもエミリアは黙っている。
「……エミリア様?」
鏡越しにリズが顔を覗き込んだ。エミリアの瞳の中には、黒い炎が燃え上がっていた。頭の中ではすでに、いくつもの計画が渦を巻いているのだ。
――まずはイザベラの致命的な醜聞を探ろうかしら。普段学院であれだけ気取っているのだから、叩けば何かしら埃が出るに決まっていますわ。
物理的な妨害工作というのも手ですわね。前日に夜陰に紛れてバスティアン邸に忍び込み、婚約発表の会場を滅茶苦茶に破壊してしまうとか。
いっそお兄様の紅茶に睡眠薬を盛って荷台に詰め込み、遠い異国へ駆け落ちするか――!
そういえば今日の新しい御者。あの無礼だけれど腕は立つ美少年。あの荒っぽい馬車さばきなら、追手から逃げ切る愛の逃避行に使えるかもしれない。
――いえ。そんなことしてはダメ。お兄様の名とお体を直接傷つけるような計画だけは、絶対に避けなければいけないわ。
敵はあくまで、イザベラとバスティアン一族なのだから。
エミリアの頭脳は、いまや悪の組織の首領のごとくフル回転していた。
「ねえリズ」
エミリアは、鏡越しに、リズににっこりと笑いかけた。
「はい」
「あなた、お兄様のことがお好きでしょう」
「はあ!?」
虚を突かれ、背後でリズの手が止まった。そして、その顔が、たちまち赤くなった。
「エ、エミリア様! な、な、なにをおっしゃいますか!! 私のような者が、ジュリアス様のことを想っているなどと、滅相もない!」
(ウフフ……図星でしたわね。こんなにも動揺するリズ、初めて見ましたわ)
耳まで真っ赤になったリズを、エミリアは振り返って眺めた。案外ちょろいものだ。
「隠さなくてよろしくてよ。おそらく三年前の今ごろの季節でしょう? 雨の日にお兄様が傘を差しだしてくださった、その時から――」
リズがその場に崩れ落ちそうになった。
「な、なぜそれを……!」
「わたくし、お兄様に関することでしたら何でも存じておりますの」
リズはよろよろとしながらも、姿勢を正し目を伏せた。
「……エミリア様、どうかご誤解なさらないようお願いします。私は自分の身分と立場をわきまえております。この家に置いていただき、ご一族の皆様のお世話をさせていただけるだけで、本当に十分すぎるほどなのです……」
「あら、お兄様への想い、否定はしないのね」
「……どうぞ、ご心配なさらないでください。私ごときが、ジュリアス様のことを――など、とても恐れ多くて」
(悪いですけれど、そんな心配など最初からしていませんわ)
エミリアは、にっこりと笑った。ただし目だけが笑っていなかった。
(お兄様にとって、あなたはただの使用人。だからこそ安全。安心して使えるのです)
お兄様のこととなると、極端に性格がねじくれるエミリア。
その内心とは裏腹に、リズの両手をがっちり握った。
「リズ。わたくしと手を組みましょう」
「……は?」
「お兄様とイザベラの婚約を二人でぶち壊すのです」
リズは一瞬で無表情になった。
そんな悪だくみ、考えたこともなければ、あり得ないとでも言いたげに。
「……エミリア様、本日はお疲れのようですので、私はこれで失礼させていただきます」
「お待ちなさい! まだお話は終わっておりませんわ!」
立ち去ろうとするリズの体に、エミリアは全力でしがみついた。
「一週間後の婚約披露パーティー。その晩餐会を――黒魔術でめちゃくちゃにしたいと存じますの」
「……黒魔術」
「そう。黒魔術」
「エミリア様。公爵家のご令嬢がおっしゃってよい言葉ではございません」
「そんなことはありません。黒魔術と言っても、我がブランティーヌ家を守るために用いるのです。すなわちこれは正義のためです」
エミリアは、鋭い眼差しでリズの瞳をまっすぐ見つめた。
「そこでリズ、相談なんですけれど、あなた下町に魔術師のお知り合いがいらっしゃるでしょう?」
リズはぎょっとして、エミリアを見返した。
「……どちらでそのようなお話を」
「メイドたちの噂ですわ。リズは下町の孤児院の生まれで、まだ少女の頃、お母様がそこから拾い上げた――と、伺っています。魔術師はその頃のご知音ではなくて?」
リズは深々と一礼した。
「私のような卑しい出自の者を育てメイドとして雇ってくださった旦那様に奥様、ブランティーヌ家の皆様に対する御恩は一生忘れません。しかし、そのような魔術師など、私は存じ上げません」
それを聞いて、エミリアは目を細めた。
「あらまあ、それは残念ですわ。では仕方ありません。お母様に、今の話をご報告しようかしら」
リズの肩がびくり、と跳ねた。
「リズが自分の身分をわきまえず、お兄様に懸想をして、あわよくば親密な関係になろうと狙っていると――」
「お、お待ちください!」
たまらず、大きな声を上げるリズ。
「わ、私がジュリアス様のことをお慕いしているのは、その――事実です。し、しかし、先ほども申し上げた通りそれ以上のことは何も望んでおりません。ただ、おそばで仕えさせていただければ満足なのでございます」
「あら! でも、たとえそれがあなたの本心であっても、そのことがお母様のお耳に入ったら、いったいどうお思いになるでしょう」
「そ、それは……!」
リズの額から滝のような汗が流れていく。
「万が一のことを考え、リズ、あなたをお兄様から遠ざけようとするかもしれないわ。場合によってはメイドを解雇、このシャトーから追放ということもあり得るのではないかしら?」
「エ、エミリア様!」
リズの顔が青く変化し、さっきとは逆にエミリアにすがりついた。
「ど、どうかそれだけはご勘弁を。この家から追い出されれば、私は帰る場所がございません。路頭に迷ってしまいます」
してやったり。
エミリアは一転して、リズの肩に手を置きやさしく声をかけた。
「ねえリズ。考えてもごらんなさい。このままではお兄様はあの女のものになってしまうのよ」
「し、しかし……ジュリアス様のお幸せとご一族の繁栄を考えれば、今回のご婚約のお話は決して悪いことではないかと――」
「お兄様がイザベラと結婚して幸せ? そんなこと絶対にあり得ませんわ」
エミリアは口元を引きつらせて、冷たく笑った。
「所詮はお父様たちの両家の思惑が絡んだ政略結婚。愛のない二人に幸福など訪れるわけないでしょう。つまり、婚約を阻止するのはお兄様のためでもあるのです」
その時、リズの頭にある情景がふいに浮かんだ。シャトーの庭を腕を組んで歩くジュリアスとイザベラ。その後ろで盆を抱えたまま立ち尽くし、悔しさに唇を噛む自分。
たとえジュリアスが叶わぬ恋の相手であっても、その場面を想像するだけで、リズは胸が張り裂けそうになるくらい、つらい気持ちになるのだった。
そんなリズの耳元に、エミリアは囁きかけた。その顔には、悪魔の笑みが浮かんでいた。
「さあ、リズ。教えてください。あなたなら、きっと心当たりがあるはずですわ」
長い沈黙があった。リズの手が震えていた。
そして、ぼそり、と言った。
「……一人だけ、あてがございます」
「まあ! さすがわたくしのリズ!」
ぱあっと満面の笑みになったエミリアに、リズはすかさず釘を刺した。
「ただし条件がございます。私が紹介する魔術師のことは絶対他人に漏らさぬこと――たとえそれがジュリアス様であってもです」
「もちろん心得ていますわ。それと、わたくしに協力さえしてくれれば、お母様にあなたのことを言いつけたりしませんから安心して」
「……その点だけは、どうかよろしくお願い申し上げます」
リズは安堵した表情を浮かべ、コホンと咳ばらいをすると、続けて言った。
「エミリア様、明日は学院がお休みでしたね。朝、密かにそこへお連れいたします。ただしこちらの身分がバレないように変装して参りましょう」
「リズ、心より感謝いたしますわ」
エミリアは思わず拳を握りしめた。
(作戦の第一段階、完了ですわ――!)
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
真夜中。ブランティーヌ家のシャトーの一階の窓が、そっと内側から開いた。
ドレスの裾をたくし上げ、ランプを手に持ったエミリアが庭へ降りる。生垣を強引に突破すると髪に葉っぱが刺さった。
エミリアは、そんなこと構わず、芝生の庭の真ん中を進んだ。
この時間なら、使用人たちもみんな眠っているだろう。
離れの木造の厩が見えてきた。窓からは、まだ灯りが漏れている。
こっそり中に入ると、藁の上に、美少年のアルトが寝転がっていた。馬の世話をして、そのまま眠ってしまったらしい。
エミリアはランプを掲げると、アルトの顔を至近距離から覗き込んだ。
「目を覚ましてください、アルトさん」
「うわっ!」
驚いて上半身を起こすアルト。
「な、なんだよ!――って、エミリア様かよ。びっくりしたあ」
「し! 静かに」
エミリアはランプを置き、かがんで、無言でアルトの顎を掴み左右に向ける。
品定めするような目つきだった。
「……いいですわ。肌の色もまつ毛も、まるで年頃の少女のよう」
エミリアは満足げに頷いた。
ぶるっと震えるアルト。
「な、何すんだよ、くすぐったい」
「アルトさん、これから、大切なお仕事をお願いいたします」
「仕事……?」
アルトは寝ぼけ眼をこすりながら言った。
「それって、御者じゃなくて……?」
「ええ、あなたにはメイドに化けて、バスティアン伯爵家に潜入していただきます。そして、あの家とイザベラ嬢の秘密を探ってくるのです。お兄様との婚約を辞退しなくてはならないような、決定的な秘密を――」
「はぁ!?」
すっかり目を覚ましたアルトは、飛びのいて叫んだ。
「な、なんで俺がそんなことしなきゃいけないんだよ! それにメイドって……俺、男なんだけど!?」
「存じておりますわ。でも、男よりも女の方がイザベラも心を許すでしょう。うまく変装すれば、あなたは誰よりも美しいメイドになれます」
だが、アルトは両手を振って全力で断る。
「無理むり! 俺はオヤジの代わりに馬車引いてるだけの臨時雇いだぜ。メイドなんてやりたくないし家事もできないよ。それに、いくらエミリア様の頼みでも、そんな貴族のいざこざに首突っ込む義理はないね――」
エミリアは無言で革袋を藁の上に置いた。
どさり、と重い音がした。開いた袋の口から、金貨が輝きを放った。
「もちろん、タダ、ということではありません。前金で半分。残りは成功報酬としてお支払いいたしますわ」
アルトの澄んだ青い瞳に、金貨の光がしっかり映り込んだ。
ごくり、と唾をのむアルト。
「……でもさ、俺がいなくなったら、誰がエミリア様の馬車を出すんだよ」
「ご心配なく。御者の代わりは他にいくらでも探せますわ。でも、この役目はあなたにしかできません」
「ちぇ、そうかよ」
アルトは頬をぷっと膨らませた。
でも、少し考えて、結局首を縦に振った。
「分かった、やるよ」
「あら、案外あっさりですのね」
「仕方ないだろ。あんたら貴族と違って、俺たち庶民はどんな仕事でもやらなきゃ食っていけないんだ。それにオヤジが寝たきりじゃ、俺がなんとかするしかないだろ」
「アルトさんは見た目によらず、なかなか親孝行ですのね。気に入りましたわ。――では、これを」
エミリアは、真新しいメイド服とエプロン、そして、可愛らしいシュミーズとドロワーズをアルトに渡した。
「なんでもう用意してあんだよ。って、なんだよ! この女物のひらひらしたパンツ!」
顔を赤らめるアルト。
「婚約発表までもう時間ありません。ですから申し訳ありませんが、アルトさんには今すぐに美しいメイドになってバスティアン家に向かっていただきたいのです」
「だからって下着まで変える必要ないだろ!」
「物事を成功に導くには、まず形から入ることが大切なのですわ。――さあ、早く!」
「これを着るのか……」
アルトはメイド服一式を見て顔をしかめた。
「……分かった、着るよ。――恥ずかしいから、エミリア様はちょっと向こう向いててくれ」
これもすべてお金のため。
アルトはそう自分に言い聞かせ、厩の仕切りの陰に隠れて、着替え始めた。
後ろを向いたエミリアの耳に、衣擦れの音が聞こえてくる。
そして、しばらくして――
「……これで、いいのかな?」
仕切りの陰から現れたのは、ブロンドのウェーブ。宝石のような青い瞳。真新しいメイド服に白のエプロン。文句のつけようがない、輝くような一人の超美少女メイドだった。
その姿を見て、エミリアですら思わず息を飲み、思わず二、三歩後ずさりした。
「……なんか言えよ」
スカートの裾をつまんだアルトが不機嫌そうに言った。エミリアは悔しそうに顔を背けた。
「完璧ですわ。女のわたくしが見ても腹立たしいほどに」
気を取り直して指を一本立てる。
「名は――そうね、“アルテ”。田舎から出てきた新人メイドということにしましょう。ほら、自己紹介なさい」
「あー、どうもアルテです。よろしく」
「その声ではダメ!!」
「……アルテと申します」
アルトは裏声を出した。まさに、初々しい女の子の声だった。
エミリアは満足してうなずいた。
「それで完成ですわ。あなた、演技の才能ありますわよ。――さあ、これを」
エミリアは一通の封書をアルトに差し出した。
封書には、ブランティーヌ家の紋章の封がしてあった。
「これがメイドの推薦状です。先ほど家令に作らせた本物ですから、疑われることはないでしょう」
「用意いいなあ」
「両家の友好の証として、婚約発表の晩餐会の準備に我が家のメイドを遣わす。そういう名目が書かれています。そう話を合わせてください」
「はいはい、承知いたしました」
「では、今すぐにここを発ちなさい。アルトさん、どうか頼みましたよ」
(まったく、人使いが荒いお嬢様だぜ……)
翌朝、夜明け。
バスティアン伯爵邸の裏門に、荷物をひとつ抱えたアルトが立っていた。今日から、この屋敷に住み込みでメイドをするのだ。
「なんだお前?」
門番がアルトを睨む。
だが、差し出された推薦状を見た途端、姿勢を正した。
「……ブランティーヌ公爵家からのご推薦とは。これは失礼をいたしました。さあ、中へ」
「……アルテと申します。ふつつか者ですが、よろしくお願いします」
アルトはにっこりと微笑む。
もちろん裏声で。
――まずは潜入成功っと。




