プロローグ
何度も見てしまう夢がある。その夢はまるでいろんな映画を繋ぎ合わせたようにちぐはぐで、場面もばらばらで、それでいてどこか私の記憶をくすぐる。
泣いても帰ってこなかったあの人の服の色が、坂に腰掛ける制服姿の男の子が、そして何かに塗れた私の横顔が、いつも朝の寝ぼけた頭に虫食いのまま残っている。郷愁とも、痛みとも違う、若さという急流の記憶がそこにあった。
そういう朝の空は決まって深い藍で、昇ってくる太陽が何かを連れてきてくれるような気配を私に思い出させるのだ。
吸い込まれるような深縹へと手を伸ばす。窓ガラスの冷たさがじんわりと掌に広がり、そのひんやりとした指で由紀は鍵を開けた。
薄いサンダルに足をつっかけ、ベランダへと踏み出す。安っぽいゴムと薄茶の床板が擦れて音を鳴らす。ベランダの淵、手すりに体を預けると、途端にビル風が髪を攫い、乱暴に揺すった。暖かくなってきた朝を冬に戻そうとするような冷たい風、マンションの間で加速する赤い通勤電車。クリスタルのようにきらめく無数の自動車、つくしのように競うビル、そしてつくしの中に住みつく私。この景色が好きなはずなのに、朝色の空の下では途端にその思いは消えてしまう。あの頃見ていた景色によく似ているのに、まるで違う。
時間とか距離とか、どうしようもなく取り返せないほどに遠いところ。それが今私のいる世界なのだと、そう思い出し足が竦む。
後悔は無い。後悔することがないように、過去の私がそう信じて決めてきたのが今の私だ。ネガティブで消極的な私の精一杯の前向き。後悔なんて、無い。空の色が消えてしまえば、この思いだって朝霧のように霧散していく、いつものように。
だからただ、今だけは、少しあの頃のことを思い出してもいいだろう。あの刹那、陽を太陽と呼べるほどの短い、あの世界を。
また風が吹いた、今度は正面から。思わず目を瞑る。長い髪が靡いているのが分かる。手すりを掴み、そのまま風に体を預ける。シャワーを浴びているように全身がひんやりした熱に包まれた。
髪に、瞼に、薄い長袖のパジャマに、止むことなく風はまだ吹いている。
春らしからぬ朝露がどこかで光って消えた、なぜだかそんな気がした。




