今度は、私が選ぶ
学園の中庭を、セシルと並んで歩いていた。
一ヶ月前には想像もできなかった光景だ。攻略不可の公爵と、断罪予定の悪役令嬢が——普通に、並んで歩いている。
「ヴィオラ様、セシル様とご一緒なんですね!」
レティシアがテラスから手を振っている。隣にクラウディアもいて、紅茶を飲みながらこちらを見ていた。
「最近お二人、よくご一緒ですわね」
「……たまたまよ」
「毎日たまたまなんですか?」
「レティシア、うるさい」
セシルの一言で、レティシアが笑いながら引き下がった。クラウディアが上品にくすくす笑っている。
——日常だ。こんなに穏やかな日常。
一ヶ月前のパーティ会場を思い出す。殿下に指を突きつけられ、断罪されかけたあの夜。
あの時は——運命に翻弄されていた。ゲームのシナリオ通りに断罪される恐怖。前世の記憶が覚醒して、必死でフラグを回避した。
今は違う。
断罪フラグは三つ回避した。エステルの策略も崩した。公開授業の一件で、殿下のエステルへの信頼も揺らぎ始めている。
完全な勝利ではない。でも——少なくとも、断罪エンドはもう遠のいた。
「何を考えている」
セシルの声で我に返った。
「少し——振り返っていました。ここまでのことを」
「振り返るよりも、前を見ろ」
「セシル様は、前しか見ないんですね」
「後ろに興味がない」
端的だ。いつも通り。
「でも、あなたのお母様の話をしてくれたじゃないですか。あれは後ろを振り返ったことになりませんか?」
「……あれは例外だ」
「例外が増えてきましたね」
「お前のせいだ」
セシルが目を逸らした。耳の端が微かに赤い。
——この人、照れている。攻略不可の公爵が、照れている。
内心で叫びそうになったが、令嬢の仮面を死守した。
午後の授業。教室で教科書を開きながら、ゲームの知識を整理していた。
第3章までのフラグは、ほぼ全て対処した。第4章以降のフラグ情報は——正直、記憶が曖昧だ。前世でプレイしたのは随分前のことだし、攻略wikiの細かい条件まで覚えているわけではない。
でも。
もう——それでもいいかもしれない、と思い始めていた。
ゲーム知識は役に立った。断罪を回避し、仲間を得て、セシルと出会うきっかけになった。
でも、本当に大切なものは——知識の外にあった。
クラウディアとのお茶の時間。レティシアの的確なツッコミ。セシルの不器用な優しさ。
どれもゲームには書かれていなかった。データにない。攻略wikiにも載っていない。
この世界は、ゲームじゃない。ここにいる人たちは、キャラクターじゃない。
私が行動を変えれば、世界は変わる。台本の外に出れば、データにない未来が開ける。
EP1のあの夜、私はゲーム知識に頼って生き延びた。
今——私は、知識ではなく自分の意志で、未来を選ぶ。
放課後。テラスでクラウディアとお茶をしていると、レティシアが駆けてきた。
「ヴィオラ様! エステル様が——殿下と一緒に、学園長室に入っていきました」
「学園長室に?」
「何か申し立てをしているようです。でも——殿下の表情が、以前と違いました。エステル様の言葉を、素直に信じている感じではなくて——」
殿下のエステルへの信頼が揺らいでいる。公開授業の一件が効いているのだ。
でも——エステルはまだ諦めていない。転生者同士の対決は終わっていない。
「第2章、ってことね」
「第2章?」
「ううん。——次の展開が始まるってこと」
クラウディアが紅茶のカップを置いた。
「ヴィオラ様。これから何が起きても——わたくしは味方ですわ」
「ありがとう、クラウディア」
「私もです! 何があっても!」
「ありがとう、レティシア」
夕方。図書室の窓際で、セシルと並んで座っていた。
「エステルが動いたそうだな」
「もう聞いたの?」
「耳が早いだけだ」
「……次は、もっと大きな何かが来るかもしれない。エステルの背後に——まだ見えていないものがある気がする」
「お前の勘か」
「ゲーマーの勘よ」
「またその言い方か。意味はわからないが——お前の勘は信じる」
セシルが窓の外を見た。夕日が学園を赤く染めている。
「何が来ても、俺はここにいる」
「……うん」
短い返事。でも、胸が温かかった。
帰り道。夕日の中を一人で歩きながら、考えた。
あの断罪の夜。前世の記憶が蘇って、「これは断罪イベントだ」と認識した瞬間——私はゲームの知識に縋りついた。
生き延びるために。運命を変えるために。
今——フラグを回避したあとに残ったものは、ゲームの知識ではなかった。
仲間がいる。味方がいる。そして——そばにいてくれる人がいる。
次のフラグが何であれ。エステルが何を仕掛けてこようと。
今度は——ゲーム知識で避けるんじゃない。
自分の意志で、選ぶ。
空を見上げた。夕焼けの空がオレンジから紫に変わっていく。
前世のゲーム画面では見られなかった、本物の空だ。
「次のフラグ? ——もう、そんなものは要らない」
呟いて、歩き出した。
悪役令嬢の物語は、まだ続く。
でも——断罪される側としてではなく。
今度は、自分で選ぶ側として。




