戯言 運命線は続くどこまでも
あ、こんにちわ。私だよ、私。一読、お疲れ様でした。
「誰だよお前」と訊きたげな顔ですね?
私は、狐のお面を被った金髪の【救世主】ですよ。
さて、今回のお話の運命線は終幕したましたが、もちろん、男の赤首ツバキの運命線も、女の赤首ツバキの運命線も、私たちの観測が及ばない範囲で続いているのです。
二人の今後の幸福と救済を願うばかりですねぇ。
で、話は変わるが……物語のメタファーについて、以下にまとめておこうと思う。今まで意味が分からなかった展開や、存在の本当の意味が分かるかもしれないな!
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今作の大テーマは【自分を顧みた、身近な良さの発見】である。
小テーマは【いかに生きるか】、【生きることの楽しみ、苦しみ】
1,政党ポスターに描かれた「島流氏」が意味の分からないことを言う場面の意味
できもしないことを、平然と公約として約束する政治家への、痛烈な風刺を含んだ暗示である。また、『そこらへんのお地蔵さんか?それともブッタか?はたまたイエスか?』という、作中で彼が発した言葉は、日本における政教分離の原則の冒涜を意味している。
2,男ツバキの世界の両親がロボットの姿である理由→機械のように働く私たちへの皮肉。
あるいは、ツバキが両親のことを「経済的支援者」としか見ていなかったことを暗に示している。しかし、最終盤のシーンでは、ロボットから元の姿に戻っており、彼が、両親に対する認識を良い方向に変えたことが、分かりづらいが、表現されている描写であった。
3,俊也の世界を行進していた【有象無象】の正体
踊って歩くビル→資本主義の功罪の暗示。お金やモノを生み出して、私たちの生活を豊かにするとともに、現代に生きる多くの人を拘束する監獄である。
十字架を持った鳥居、空飛ぶ絨毯に乗った大仏→日本における宗教の混濁の暗示。私たちはクリスマスを祝い、新年に神社で祈願して、人が亡くなればお経を聞いている。ときには、神を信じている人を【受け入れがたい】存在と認識する。そんな、私たちの宗教的な違和感を具現化するような存在であった。
頬にあざがある幼稚園児→親から虐待を受けた子ども。子どもの虐待の社会問題化は、だいたい1990年代ぐらいから。(ちなみに、この物語の筆者は、大学で社会学を専門に勉強しているから、こういう社会問題には詳しいらしいぞ?)
丸々と太った政治家、巨大化した島流議員→私利私欲をむさぼる悪徳な政治。悪い人は、政治の世界に限らず【よく目立ちますね】。
赤黒い水→二人の赤首ツバキが、胸の内に抱えた心の淀み、影の暗示。あるいは、佐紀音のリストカットの後に流れた血の暗示、彼女の苦しみや不安の具現化。
落ちた彗星→実は、核ミサイルの暗示。「撃て」の一言で数多の命を奪うこと容易な、現代の戦争の非情さを表現している。あるいは、唐突に日常が奪われることの理不尽の暗示でもある。
沈みゆく赤い太陽→赤首ツバキの心。
バイト先の七瀬先輩→筆者の『蜘蛛の糸をつかむ』という作品の主人公である【七瀬くるみ】と同一人物。加賀美ゆずると恋愛関係になった後に、大学三年生のころから、居酒屋でバイトを始めた。
目にクマを飼った医者→医療の人手不足問題の暗示。
歩くベット→病院死の孤独と、医療の倫理性の問題を訴える存在。
4,雨沢カノンの秘密
彼女は、俊也の初恋の相手であったが、自ら命を絶った。
花音という名前。実は、無作為的な名前ではなく、意図的に付けられた名前である。雨沢は、大きな意味を含んでいない苗字。しかし……
――彼女の名前の【カノン】とは、キリスト教の聖書を意味する言葉。正典の意味。
つまり、男ツバキ(俊也)は、彼女のことを、聖書のように大切に、そして崇拝するように大切に想っていたということを暗示する名前であった……のかもしれない。
5,俊也の死体の山の正体
あれらは、すべて、過去の俊也である。人は、日々、過去の自分の犠牲の上に生きている。積み上げたものもあれば、失ったもの、諦めたものもあるだろう。読者のみなさんは【どんな死体を積み重ねて生きてきましたか?】そして、今日のあなたは、どんな死体となって、今日という日を終えようとしていますか?
今日という自分は、過去の自分の積み重ねで構成されています。
明日の自分に「今日の私は、よく生きたよ」と伝え眠りにつく……そんな毎日になるといいですね。
解説は以上とする。
まだまだ暗示的な表現は隠されているが、そこは、頭のいい読者の人の考察に任せるとしようか。
それでは、またどこかで会おう。
「またね」




