第九章
「あれー」それを叩き壊したのは、第三者の男の声だった。
ルナは密かに舌打ちする。
デイミアンだ。
「こいつは穏やかじゃないなぁ、憲兵さんたちさあ、悪いことを考えていない?」
皆の視線が突如現れた男に集中する。
二十代中頃の焦げ茶色の髪をした精悍な顔の男で、憲兵たちは見逃さないだろうが、腰に幅広の剣を下げている。
「何だてめえ?」
「ああ、俺はエンディミオン宮殿に雇われた新入りの衛兵だ。よろしくな」
泰然とした態度で、彼は見事な剣と鞘を見せつける。
「くそっ」とヘルトランドは息を吐いた。
恐らく決断したのだ。ここでこれ以上何かを起こせば、騒ぎになり隠せなくなる。
「いいか、エンディミオンの街で犬を飼いたきゃ、憲兵に許可書をもってこい」
ヘルトランドはまだ跪く男に言いのこすと、黄ばんだ目でデイミアンを見やる。
「お前も、宮殿の外人衛兵のようだが、市街の治安は俺達の管轄だ。次にあったらただじゃすまねえからな」
「はいはい、会わない幸運を祈ってるよ」
デイミアンの軽口に彼を熾烈に睨んだ後、ヘルトランドは「いくぞ」と二人の部下に一言声をかけ、去っていく。
「あ、へい」
コトフとチュイが慌ててヘルトランドを追う。
「んだよ!」チュイが違和感を感じているのか、右腕を大きく回した。
「ルナっ!」
憲兵が去ると、涙目のマリアがルナに抱きついてくる。
「ごめんさなさい、わたし恐くて助けられなくて……痛かったでしょ?」
ルナは意味が分からず首を捻ったが、憲兵に敢えて殴られてやったことを思い出す。
「ああ、眼鏡が落ちて割れちゃっている」
マリアは石畳からルナの丸眼鏡を拾うと、嘆いた。
「ああ大丈夫」ルナは服の中から予備の眼鏡を取り出すと、マリアに伝える。
「私は問題ないから、そこの人をお願い、マリア」
心得たマリアが、跪く若い男に声をかける。
くーん、と犬も心配そうに鳴いている。
「大丈夫か?」
窮地に現れた衛兵のデイミアンが、初対面のよそよそしさを演じて、ルナに話しかける。
「何のつもりだ?」
ルナはマリアに聞こえないほどの声で、彼に問う。
「何のつもり、てのは俺の言葉だ。お前『やる』つもりだったろ?」
「目標の一人だ。最初の日に会えたのは運が良い」
「で、お前のお友達のお嬢さんともども、口を塞ぐのか?」
「その必要があったらな」ルナの声は氷のように冷たい。
「はあ……だからお前からは目が離せなかった。悪いがつけさせてもらった」
「ふん」とルナは右手を上げる。
指の間に小さな煌めき、針があった。
「あの男に使ったな?」
「筋肉毒……あの男の腕はじきに上がらなくなる」