第三話 旦那を捕まえました
地球の言葉で、食べるという字は人が良くなると書くらしい。
なるほど。私はハニワにたくさんの料理を食べさせてもらい、それと一緒に色々な感情も食べさせてもらった。だから、以前の自分と比べればかなりマシな人間に成長していると思うのだ。
だから、大丈夫。大丈夫。
「大丈夫。宇宙船の中でハニワの料理を食べられなくても……私は耐えられる。だって以前の私は、カロリーバーを齧るだけで生きていたんだし。大丈夫、大丈夫」
『ペチカ、まだ旅の一日目だけど本当に大丈夫?』
心配そうに私の顔を覗き込むハニワ。私はそのノッペリとした顔をジッと見つめ返す。あぁ、こんな虚無感溢れるイケメンが私の旦那様になるなんて、夢のような奇跡があっていいんだろうか。しかも底抜けに優しくて、料理上手で……そう、ハニワの料理はとても美味しくて……あああああぁぁぁぁぁ。
「ハニワぁ……無理。カロリーバーだけで宇宙船生活なんて地獄だよ。道理でみんなニャンコミーミ星に帰れないはずだよ。絶対無理だもん、こんなの」
『頑張ろう、ペチカ。二ヶ月の辛抱だろう?』
あぁ、ハニワ声のニャゴログ語、すごく良い。
月面宇宙港を出発して地球語の翻訳機を外した私に代わって、現在はハニワが翻訳機を使ってニャンコミーミ星の言葉を話してくれているのだけれど……もうすごく新鮮な響きで、ネコミミが痺れるように癒やされていくのだ。あぁ、たまらない。
ただ、それはそれとして……宇宙船の旅の中、しばらくハニワの料理を食べられないという残酷な事実は、私に重く苦しい絶望感を押し付けてきた。
ニャンコミーミ星にハニワを連れて帰るため、もともと一人用だった私の宇宙船を急ごしらえで二人用に改造したのだけれど……正直、必要最低限の物資を詰め込むだけで空間使用率がカツカツになってしまったので、あまり余分なモノを積み込めなかったのだ。
一応ね、フードプリンタを小型化したヤツもちゃんと積んだんだよ? でも、原料カートリッジがあんなに場所を取るとは思わないじゃん。結果、ハニワの料理を食べられるのは七日に一度が限界ってことになったわけで……そんな生活を二ヶ月? あはは、無理だって。私は本当に正気を保ったままニャンコミーミ星に帰れるのだろうか。実はかなり怪しいと睨んでいるのだけれど。
超光速航行中は星間ネットワークに接続することも出来ないし、ダウンロードしてある娯楽作品ももう何十周も見たからお腹いっぱいだった。
あと実を言うと、映像作品にはハニワに見せるにはちょっとキツいもの(メスの妄想マシマシのやつ)が割と混ざっているので、乙女的にはそこの秘密は死守したいのである。さすがにね。
『そうだなぁ……僕はこんなのも持ってきたけど』
「ん? それって地球の情報端末だよね」
『うん。暇つぶしのゲームアプリが割と入ってるんだけど、宇宙船のシステムに移植できないかと思って』
ふーん、まぁ他にやることもないからね。
場所も取らないし、試しにやってみようかな。
そんな軽い気持ちで始めたゲームだったけれど、まさか地球の「無駄」文化がここまで極まっているとは思いもしなかった……というか、どうして全く生産性のないただのパズルゲームなのに、止め時が見つからないんだろう。次のステージが終わったら止めようって毎回思っているのに、気がついたらどんどん先に進んでいる。え、変な薬効成分とかないよね。
『うんうん、案の定ハマってるなぁ』
「これは仕方ないんだよ。地球ズルい」
『あはは、僕も暇だから何かしたいんだけどなぁ……ペチカ、ダウンロードしてある映像作品とか、適当に見ててもいい?』
「待って待って待って待って!」
ダメ! やめて! 絶対見ないで!
そのフォルダには「百人のノッペリ王子に囲まれて」シリーズとかが全巻揃っちゃってるの! ド名作だけど、ハニワに見られたら私の乙女が終了のお知らせなの!
私の必死の説得に何かしら感じるものがあったらしいハニワは、すごく優しい顔をしてファイルシステムを閉じると、僕は何も知りませんという顔で私と同じパズルゲームを起動した。なんて優しいのだろう。しゅきぃ。
その後もなんだかんだと騒ぎながら、リバーシというシンプルながら奥深いゲームを二人で対戦してみたり、ハニワが緊急用にこっそり持ってきたアメ玉を私の口に放り込んでくれたり、狭い寝室で絡まりあったり、週に一度のハニワの料理を口に運んで滝のような涙を流したりしながら、長い長い二ヶ月が過ぎていって――
ようやく、私たちはニャンコミーミ星に到着した。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
事前に色々と準備をして段取りは整えていたものの、帰還して一ヶ月ほどは慌ただしい日々が続いていた。
異星情報管理局への報告書は、移動中に書き上げていたものをすぐに提出した。そして、変に呼び止められる前にそそくさと個人情報管理センターへと向かう。
地球から持ってきたハニワの戸籍データをすぐにニャンコミーミ星の所属に移動(その際、彼の名前は本当に「ハニワ」に改名された)して、入籍も特急で済ませた。こういうのは考える隙を与えずササッとやるのがいいんだよ、私は詳しいんだ。
それで両親のもとにハニワを連れて帰還報告と結婚報告にいくと、あまりのイケメンぶりに父も母も腰を抜かして驚いていた。大変気分が良い。
が、それはそれとしてだ。
私は早くハニワの料理が食べたかったのだ。
家族向けの一戸建てで「カスタマイズ自由」と謳っている不動産物件を超特急で探し出した私たちは、猛烈な勢いで引っ越しを済ませると、とりあえずハニワの生活用品を一から全て整えていく。
そうこうしていると、発注しておいたフードプリンタやカウンターキッチン、ついでに地球式風呂セットなんかが続々と届いたので、家を大改造して生活環境を整えていく。並行して庭に小さな「原料カートリッジ工場」を建設すれば、概ね準備は整ったと思っていいだろう。
めちゃくちゃ急いだけれど、それでも一ヶ月。
私は半泣きになりながら作業を進め、そしてようやく念願のハニワの料理に……地球で食べていたのと変わらない味のコロッケにかぶりついて、ついに半泣きが全泣きになって、ハニワにいっぱい慰めてもらった。ふふふ……面倒な女? 良いんだよ、だって夫婦だし。
「……話は分かった」
「はい」
異星情報管理局の局長は、盛大なため息を吐きながら私の報告書を宙空に表示していた。
「地球とはどういう惑星なのか……君の報告書を読んで、朧げながら私にも理解できたような気がする。だがなぁ……いまいち納得できんのだよ。いくら地球という星が魅力的だからといって、調査員が帰還を拒むか? ありえるのか、そんなこと」
「はい。それについては文章だけでは伝わりづらいと思ったので……各調査員へのインタビュー映像をまとめてあります。直接見ていただくのが早いかと」
私はそう言うと、あらかじめ編集しておいた映像データを表示して流し始める。思考能力がカチコチに凝り固まった局長でも、さすがにコレを見れば納得するだろう。題して――
『無駄☆パラダイス 〜地球の流儀〜』
情熱的なバイオリンの演奏とともに、これまで消息を絶ってきた調査員たちの生き生きとした現在の姿がダイジェストとしてスライドショーのように表示されては消えていく。局長は口をポカーンと開けて映像に釘付けだ。よしよし。
そして、映像は各々へのインタビューへと移る。
――あなたにとって、地球とは。
『ラーメンの星、と言うのが俺にとっての地球だ。最高の素材を厳選し、最適な調理法を研究し、お客様に最高の一杯をお出しする。そうやって、ラーメンと共に生きる。それが地球さ』
――あなたにとって、地球とは。
『そうですわね……わたくしにとって、楽園であり地獄である。そんな矛盾が成り立つ星と言えるでしょうか。猫カフェに通い、猫の体の匂いを思い切り吸い込む、猫吸いは至高の喜びですが……同時にその時間のためだけに生きている、幸福な虜囚なのです』
――あなたにとって、地球とは。
『人生の全てがある星だ。儂はこれまで、苦行に苦行を重ねて自分を研ぎ澄ませてきたが……これはサウナと水風呂を往復することに等しい。自分の限界を静かに見極めながら「ととのう」のだ……それが人生、それが地球である』
何人もの調査員が、それぞれの言葉で自分にとっての「地球」を語る……それは理屈を飛び越えて、見る者の心にダイレクトに届く「リアル」である。
映像は、彼らの満足げ表情や地球の刺激的な情景を映し、幕を閉じた。
局長は黙りこくったまま静かに目を閉じて、今見た映像を反芻しているようだった。
「この映像……仮に一般公開したとすると、ニャンコミーミ星から住民がいなくなって、みんな地球に行ってしまうのではないか? たぶん誰も帰ってこなくなるぞ」
「はい。ニャンコミーミ星の皆が地球へ向かってしまう可能性は否定できないと思います……が、そこで私に腹案があるのです。乗りませんか?」
私の強気の言葉に、局長は身を乗り出してくる。
ここまで興味を持ってくれれば、勝ったも同然だ。
「話はひとまず、このチャーハンを食べてから」
「チャハーン?」
「はい、地球の料理です。これは個人的な体験でもありますが……まずはチャーハンを一口食べてもらうことが、全ての原点になると思いますので」
そんな風にして、私は高依存性薬物チャハーンを悪用し、異星情報管理局長を薬漬けにすることに成功した。
つまり、愛しの旦那様がこれから開業する飲食店であったり、ニャンコミーミ星に地球料理を広めるという密かな野望だったり……そういう諸々について、異星情報管理局が全面的にバックアップ体制を取ることを約束させたのだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
近年のニャンコミーミ星では、各家庭にフードプリンタがあるのが一般的である。
かつてカロリーバーを作っていた工場では、代わりに原料カートリッジが生産されるよう切り替わってきている。というのも、本来ならば非効率と切って捨てられる「料理」という無駄な行為を、趣味として楽しむ者が年々増加していっているからだ。
物質的な豊かさを支えるのが「効率」であり。
精神的な豊かさを生み出すのが「無駄」である。
この星ではそのような言葉が一般的な概念として浸透している。辺境惑星・地球から取り入れた習慣のみに囚われず、様々な分野で「効率」と「無駄」の双方をバランス良く追求し、新しい文化が芽吹いているのだ。
そんな中、首都のド真ん中にある一軒の地球料理屋には、今日も腹をすかせた人々が行列をなして、ノッペリ顔の店主が作る料理を心待ちにしていた。
「ラーメン二つ、チャハーン一つ!」
『あいよ!』
名物夫婦が元気よく声を掛け合う姿を見て、そして美味しい料理を味わって、人々は心の底から幸せそうな顔をしていた。