人類の境界
地上ではカレットたちが移動し続ける。その音も声も広目天には筒抜けである。
「少年たちは楽しそうに走っています。恐らく数時間後には目的地にたどり着くでしょう。」
「忌々しい力と言いながら、ご協力頂きありがとうございます。」
「貴方のためですから、布袋さん。我々の希望は貴方だけです。」
「うふふ。でも私の希望は広目天さん、持国天さん、大黒天さん、全員ですよ。」
布袋が口元に手を当てて淑やかに笑う。
「ところで布袋さん、何か作戦はできたんすかね。」
持国天が最も気になる点を尋ねた。それに対して布袋は少し考える素振りを見せたあと、こう言った。
「作戦と言うよりも、先に観察結果を聞いてほしいのです。」
「観察結果?」
「はい。私は今まで遊郭の同僚の女性たちの協力を得て、閏の中でも人間を食べていない者たちを保護してきました。そしてこの1年、地上に出た閏全てが死んでいったのですよね?広目天さん。」
「そうですね。」
「実は、誰一人として人間を食べていない者を外に出してはいないのです。そしてこの観察を始める前にアイちゃんを人間に戻すことができております。だからまだ仮定の段階ではありますが、人間と人間でないものの境界は人を食べたか食べていないかだと考えられるのです。初めは白目…結膜の色が黒だと人間ならざるものとなってしまったのではないかと考えていましたが、そうでもない可能性があります。」
「そこの確証が得られたらいいってことっすね。」
「そうです。だから今度の嵐の翌日は私と大黒天さんで外に行こうかと考えています。そしてここには戻らないでしょう。あちら側の戦力に回ります。」
「人間に戻れば、ヒビには入れませんからね。」
「えぇ。でももし、大黒天さんが人間に戻れなかったなら…私はどうしましょう。申し訳なさで生きていく自信はありませんが…アイちゃんのことはずっと見守りたいですし…。」
布袋は眉を八の字に下げて悩む。ずっと黙っていた大黒天が口を開いた。
「その時は、俺のことを忘れて生き続けてください。アイちゃんのためにも。貴方自身のためにも…。」
「…でも、あの日私たちを貴方が身を呈して爆発から守ってくださったから、貴方は今…。」
「気になさらないで。俺は最初から貴方を守るという使命を背負って生まれてきたのですから。」
「それじゃあ私が困るのですよ。貴方には貴方という一人の人間として生きていただきたい。」
「それならば、一人の人間としての俺の意思で貴方に最期まで付き従います。これなら文句ないでしょう?」
「…はい。それでは、改めてよろしくお願いします。」
会議は終わった。布袋は牢獄へ戻り、広目天は帝釈天のもとへ。大黒天も巡回という名の散歩に戻った。
1人、持国天は悩んでいた。
人間を食べた者は人間ならざるものとなる。
むしゃくしゃして頭を掻きむしる。
持国天は知っていたのだ。どこからか秘密のルートで人肉がこの国で配られたことがあるということを。スライスされた何の肉なのかも教えられていない赤身の肉。それを餓鬼道通りの…人間としての理性があった住民たちは1枚ずつ食べた。その結果住民たちは理性を無くし、凶暴な閏の仲間入りとなってしまった。
知らなかったのだ。その1枚の肉が人間の成れの果てであることなど。そして知ってしまったのだ。人肉の美味さを。
ヒビから外に出られるのは1日2人まで。閏たちはこぞって崖の上のヒビに集る。時に押しのけ、殺し合いながら。死んでもこの国のどこかで蘇る。だから誰もお互い手加減をしない。そんな中、ほとんど毎日外に行く権利を手にしてきたアイはすごい奴なのだ。おかげで外に出る閏は1人だけに制限出来た。
体育座りで座り込んで大きめの溜め息を吐いた時、後ろから背中を叩かれた。
振り向くと、そこには結膜の黒くなった、前髪ぱっつんのおかっぱ頭の小さな少年が立っていた。白い髪に黒いスーツがよく映える。
「恵比寿。…どうかしたか?」
恵比寿は身振り手振りで、前髪が長くなってしまったことを伝えた。
「そうか…。じゃあ切ってやるから帰ろうか。」
持国天がゆっくりと立ち上がる。
恵比寿はうんと頷くと、持国天の手を引いて歩き始めた。
「イータさん…どうかしたんですか?」
シータは心配そうにイータに話しかける。うたた寝から目を覚ましたイータは嫌な汗をかいていた。
「…なんでもないわ。でもちょっと怖い夢だったかしら。」
無理に笑おうとする。
「…前のシータさんに関わることですか?」
「そうね…。でも、まだちょっと話せないかな。」
「どうしてですか?」
「案外、まだ落ち着いてないみたい。」
悲しげに笑うから、イータはこれ以上の言及をやめた。
言霊円~Border of the mankind~
始動




