37-15.タカアシガニ旅行(11) 年齢が揃いすぎの女の子たち
今、手元に”異世界の女の子の写真”が存在している。
異世界から持ち帰ったものではなく、こちらの世界で撮影したものだ。
そもそも異世界にカメラも写真も存在していないと思う。
だが、今、俺の手元には”異世界の女の子の写真”が存在している。
妙なことに、俺のカメラで、ときどき異世界の女の子が写ることがあるのだ。
今まで3人の女の子が写った。
まず、洋子さんと接触した高校生くらいの女の子、この子は青い服を着ているので、【青い服の子】と呼んでいる。
そして、残りの2人は、それぞれ小学校中学年くらいの子と、低学年くらいの子、年齢で言うと10歳と6歳くらいといった感じだ。
【青い服の子】に関しては、俺と洋子さんと唯ちゃんの3人ともに、どこで会ったか知っている。
遊園地の遊具に乗ると接触できる。
俺が見たのは、遊具に乗っている洋子さんたちの姿ではなく、【青い服の子】が洋子さんと接触した場面の方だ。
なぜか、その場面が夢に出てきた。
そして、写真にも写った。
しかも、この写真と、あの場面には差がある。
おそらく故意に改竄されている。
俺が、この写真を見て突っ込みを入れることに期待して、こうなっている可能性が高い。
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6歳くらいの子も、俺の夢の中に出てきた。
……実際は寝ている間に石から読めたのだと思う。
【青い服の子】は、洋子さんと接触したが、この子は俺と直接接触している。
夢とは思えないリアルな時間を体感した。
そして、その直後に、この写真が写った。
寝ている間に過去の記憶が石から読めた。
俺はそう考えている。
※気になる方は、”33-16.絶叫作戦(46)”参照
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10歳くらいの子のことも俺は少し覚えている。
この子も、洋子さんと接触したわけではなく、俺が直接会ったことがある。
ただし、いつ会ったのかはよくわからない。
たぶん夢で見たのではないかと思う。
俺はこのとき、川を流されたような記憶がある。
石の記憶なら、もっとはっきり思い出せるはずだ。
※気になる方は ”30-16.ルルシアを助けに来た老人、その後(9)”参照
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6歳くらいの子と10歳くらいの子の2人は、つい昨日までは俺だけが知っていて、洋子さんと唯ちゃんにとっては写真でしか見たことのない子だった。
ところが、その2人も俺と行動を共にしている可能性が高そうなことが分かった。
一緒に風呂に浸かっている間、俺が思い出しているシーンがイメージとして洋子さんと唯ちゃんに見えている。そのとき、”俺自身には思い出すことができないけれど、その場に居る誰か”を洋子さんと唯ちゃんは見ることができる。
見えた人物の中に6歳くらいの子と、10歳くらいの子が居るように見えると言う。
はっきり見えないのではなく、見えている年齢が写真と異なるので同一人物かわからないのだ。
ただし、おそらく同一人物で、写真に写っている3人は実は同世代である可能性が高い。
写真に小学生くらいの年齢で写っている子も、青い服の子と同年代で高校生くらいなのだ。
高校生くらいと言っても、制服を着ているわけでもなく、正確な年齢はわからない。
例えば、【青い服の女の子】だって、高校生くらいの年齢に見えるというだけで、もっと下かもしれないし、上かもしれない。
それも、地球人だとしたらそのくらいに見えるというだけで、実年齢なんかわからない。
とはいえ、6歳くらいに見える子と10歳くらいに見える子には、それなりの年齢差があるように見えるし、10歳に見える子と青い服の女の子の年齢差はかなり大きい。
俺は、その話を聞くまで、あの写真の年齢がリアルタイムだと思っていた。
つまり、3人は、それなりに年の差があると思っていた。
ところが、洋子さんと唯ちゃんに見えるイメージの中では、3人の年齢はほぼ同じくらいに見えたという。
写真に写った年齢がバラバラでも、実は生まれ年は近く、俺と一緒に過ごしていた時には近い年齢だった。
「あの子たち、まだ中学生か高校生くらいでしょ?
そんな若い子をたぶらかして」
これに対する回答が、50男の社会的地位の話だ。
ここ……日本とは違って、あの世界では50男の地位は極めて低い。
なので、たぶらかすとかそういうのは、あんまりないと思う。
それに基本、男女逆転してるような世界だ。
もっと酷いか……俺の記憶では、男は伴侶というより財産に近い扱いだった。
まあ、寿命の問題で人生を一緒に歩むパートナーではないので仕方ないのだが。
こっちの常識は全く通用しない。
「あのな、あの世界の普通の子は中学とか高校とか、中等教育受けてないから。
初等教育もたぶん受けてない。学校なんて金持ちが行くところだった」
※初等教育=小学校
「年齢の話をしているの!」
それは俺もわかっている。でも、”学校に行かない=働いている”なのだ。
「もう自立してるから大人扱いなんだよ」
これはあの世界だけの話ではない。
こっちの……地球でも通用する常識だ。
今は20歳超えても学校に通い続ける人が多いが、
多くの人が、成人後も学校に通い自活していない社会は健全では無い。
時代的に、現代は例外になってしまっているだけだ。
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※以下はいつも通り、【生産性のバグ】の話です。
飛ばしてもらっても問題ありません。
基本的に社会はほとんど成長しない。できないのが普通だ。
したらおかしい。年に1%も成長したら破綻する。
成長しない世界では努力は報われない。
ほとんどの人にとって、努力は報われないと感じられる社会になる。
もし仮に多くの人が”努力すれば報われる”と錯覚できるような社会が存在するとすれば、かなり強烈な勢いで成長している社会になる。
努力すれば報われると感じられる社会は、社会自体が成長している。
人間の一世代でそんな常識が浸透するほどだとすると、年に5%成長するような異常な状態が数十年も続くようなことでも起きない限り、そんな状況にはならない。
成長というのは、低いところから始まれば、しばらくは続けることができる。
例えば、大きな戦争の後、焼け野原からの再出発であれば、暫く……数十年という単位では続けられるかもしれないが、当然、そんなのを延々続けることはできないのでいつか破綻する。
いずれ停滞する。停滞で済めばまだマシで、リセットがかかる可能性もある。
そもそも、成長率の指標とされている計算には根本的なバグがある。
計算上の成長率は実際の成長率を現さない。
”計算上そうなります”というだけで、実際の成長とは関係の薄い数字だ。
まず、成長率の中に人口が含まれている。
人が増えると成長したことになる。
むしろ経済成長の主成分は人口増だ。
確かに足し算としては人口が増えれば増えことになる。
人が増えると最低限でも衣食住の金がかかる。
金がかかると何も生産しなくても成長したことになる。
経済成長に比例して暮らしが豊かになるかと言えば、そうとも限らない。
簡単に言えば裕福さという意味では符号が無視される。
生産性は金額ベースの計算なので、給料も物価も2倍の世の中では生産性は2倍になる。
実際に裕福になるかどうかを無視した数字なので、生産性を上げていくと貧乏になる傾向がある。
生産性の高い仕事は少ないから。
その数字でどれだけ裕福か測ろうとしているのだから、ストレートに言えば頭おかしいレベルだ。
そんな数字なので、経済的に計算上は豊かになっていても、実際にはむしろ貧しくなっていくので、成長した社会では子供の数が減ってくる。
労働力が余って、労働力の価値が下がってしまうからだ。
そんな状況でも、人々は人手不足を感じ、生産性を上げようとする。
その結果、余った仕事は生産性の低い仕事だ。
そんな仕事、誰もやりたがらないので、人手不足になる。
労働力が余っても、既に増えてしまった人口は急には減らない。
成長率の主成分は人口であり、ある程度成長すると、老齢期が長くなり社会の負担が大きくなるので、実際には高度成長期を終えると、その先は成長するほど貧しくなる。
数字上は生産性を維持しても、実際の労働力は生産性の少ない仕事で消費され、実際の生産性の変化を埋もれさせる。
ある程度成熟した社会では、基本は”成長するほど貧しくなる”だ。
人手不足と人口増が重なるタイミングでは、この現象が打ち消されるという例外ケースが存在するだけと考えた方が良い。
例外時期……例えば、戦中や、戦後の復興期だ。
それ以外のタイミングでは、成長は”加齢”、”老化”の意味と近いものになる。
小、中、高校と努力して、より上の大学に入れば皆、良い職を得られるという時代も存在するが、そんな時代は長くは続かない。
頑張った人が皆報われるという状況は非常に限定され、ほとんどの期間は競争による椅子取りゲームになる。
頑張ったからといっても、報われない人が多いという状況に陥る。
戦後すぐに生まれた人たちは、高学歴ほど金持ちになりやすかった。
戦後の時代なんて、そんなに学歴が重要視されていなかった。
だからこそ、学歴が強力な武器になった。
そんなものが強力な武器になると知られていなかった頃に子供時代を生きた人たちが就職する時期に重要な武器として使えたのが学歴だった。
その必勝法を、自分たちの子供にも、半ば強引に押し付けた。
だが、その時代には、学歴はあって当然で、たいした武器にはならなかった。
俺と近い歳の人に限って言えば、むしろ学歴が高いほど損をした。
社会に出るのが遅いほど、不景気が加速していったからだ。
人々は、努力すれば皆裕福になれますという嘘の中で生きているが、実際は皆が裕福になることはできないので、裕福なはずなのに生活が苦しいという状況に追い込まれる。
何故かというと、単純な話で、裕福ではないからだ。
成長率の成分の大きな部分を人口増が占めている。
何も生産していない高齢者の介護で発生した金額も生産に含まれるので、被介護者が増えても計算上の生産は発生する。だが、実際は、負の生産。他人の生産性を奪っている。
なので高齢者が増えると、計算上の生産性と実際の生産性に乖離が出る。
だいたい社会はネズミ講の特性を使って運営されている。
厄介なのは、成長し続ける時代に生きた人が親になると、子供に対して、成長前提の将来を歩ませようとするところだ。
結果、その子供たちは、死亡フラグが立った状態で人生を歩むことになる。
笑えない。
いつかは必勝法ルールが変わったことに気付いて、主張を撤回する人が増えるかもしれないが、一生持ち続ける人も多い。
なので、社会の常識が変わるのは、よほどはっきりとした壊滅的な状況が訪れるか、そうでなければ寿命による世代交代のタイミングになる。
社会の変化、常識の変化は詰まる話、古い常識を持った人たちが引退、死亡することで、次の世代の社会常識に変化していくという人間の寿命とセットになった世代交代周期が関係している。
人間の一生に対して、かなり長い周期で常識は変化していく。
なので、生まれてから20年間、成人するまで偏った社会情勢の中で過ごす世代も存在する。
※おっさんの時代は20歳成人だったためこう言ってます。
俺は誰もが努力すれば上に行けるという常識の中で生まれ育った。
でも、俺が就職するときその流れは止まっていた。
社会が成長が前提の中で育ってきて、成長が止まった社会に放り出されて自己責任と言われても困る。
親や多くの大人たちは努力が報われる社会を生きてきたので、努力は報われると思っている。
報われないのは努力が足りないからだと考える。
そんなんじゃない。時代が変わったから、以前の常識が通用しなくなったのだ。
数十年続いた成長期と、その後数十年続く停滞期。あれも急成長のツケだ。
成長期と停滞期が数十年間隔で来ると、競争とか関係なく、生まれた時期で勝負がついてしまうことになる。
同世代同士の優劣争いをしたところで、熾烈な割に勝者は少ない。
他の世代との間で競争は発生しない。
なので、本人の努力と関係なしに、生まれた時期で決まってしまう比率が大きい。
ある時代にはさほど努力せずとも手に入ったものが、別の時代には努力しても手に入らない。
急成長しない社会であれば、ポストの数は有限であり、何らかの方法で良いポジションを奪い合うだけになる。
競走の末に待っているものが明るくなければ、競争自体が行われなくなる。
例えば生まれた順番で決まる。
兄弟皆平等になんてことは無く、一人が相続し、次男以降は相続できない。
成長しないのだから、受益者は増えたりしない。
あの世界では男女逆で長女以外はとなるが、まあ、成長しない世界では相続できるのは1人だけ。
下の子は家を出る。
世襲できる何かを持つ人が上流、あとは等しく下流。
なので下流が普通でそんな人が多い。
地球の歴史上でも、俺が生まれたこの時代が異常なだけだ。
年1%以上も成長する社会では、ときどきリセットが必要になる。
成長は格差を拡大させる。
”成長”なんて言葉を使うから良いことのように聞こえるが、成長とは結果としては格差が開く現象を指し、簡単に言うと”ほとんどすべての人が貧乏になっていく現象”だ。
分母が大きくなっていくので、ほとんどすべての人にとっては相対的に貧乏になっていく現象なのだ。
人間の一生に例えるとわかりやすい。ある歳までは成長だが、ある程度の年になると老化と呼ぶ方が相応しくなる。
1人1人の経済力を分子だとして、全体を分母だとすると、分子が成長するより分母の成長速度の方がはるかに大きいので、ほとんどすべての人が貧乏になっていく。
数百億円とか持っている人の資産が増える速度の方が、働いている人の給料が上がる速度より圧倒的に速いので、分母となる金の総量が増える速度の方が、早く、相対的に分子が弱くなっていく。
目に見えないところでインフレしているような状況になる。
平和が続く限り、格差は拡大する一方向にしか進まない。
通常の経済活動では一方向にしか進まないので、そのうち格差を縮小するために世界で一気に経済リセットが必要になってしまう。
そのリセット作業は経済的な手段ではない別の手段で実行される。
そして、リセット後に再び急成長をはじめる。
リセット後の世界での勝ち組を決めるための競争だ。
そんな異常状態がここ数百年続いている。
成長しなければ格差は固定されたままで拡大しない。
格差が広がらなければリセットする必要が発生しない。
だから俺は、成長しない世界も悪くないと思っている。
……………………
俺が生きた時代、奨学金という名の借金をして学校行っても、学費投資に見合う職に就けない人が多かった。
俺は、そんな時代を生きてきた。
労働力が余っているから、まともな職に就くためには学歴が必要になるが、学歴は金と時間を消費して得る。勉強したからといって生産性が上がるわけではない。
個人で見ると勉強すると生産性が上がったように見えるが、トータルでは上げる効果と下げる効果のどちらが大きいかはわからない。
時間と金を消費して、その人が生産性の高い仕事に就くことができるようになるだけで、その人の生産性が上がった分だけ、その他の人の生産性が下がる。
結果として全体としては生産性は上がらない。
勉強して生産性が上がると主張する人は、競争に勝って生産性の高い仕事を得ただけで、逆に言えばその他の人の生産性を下げたことになるのだが、その下げる効果に関しては故意に無視して計算から除外しているだけに過ぎない。
全体で言えば、ほとんどの人は高等教育受けたところで実際の生産性を上げることができない。
実際のところ、大人の能力の中央値は小学校レベルを超えることは無い。
数行の文章読んで理解出来たら、その時点で、それなり高レベルな人になる。
大学進学率を上げると、文章読んでも内容が理解できない人まで大学に通うようになるだけで、文章読めない人が大学に行くと文章読めるようになるわけではない。
文章だけではない、学校で得た知識を生かせる人は多くは無い。
だから、本来であれば行く意味のある人だけが行けば良い。
学校に行く意味のある人は存在している。
だが、ほとんどの人は、それに該当しない。
ただ、就職するとき選考基準に学歴が入っている以上、教育を受ける意味のない人でも行く必要ができてしまう。履歴書に書きたいから借金してまで行くだけだ。
”文章もろくに読めない人が、何の仕事ができるのか?”と思うかもしれないが、実際のところ、社会生活を送るうえで、大きな問題ではない可能性が高い。
数行の文章読めない人の方がスムーズに生活できたりする。
少なくとも、長文余裕で読めるのに社会生活苦戦する人なんていくらでも居るだろう。
※心当たりある人も多いかと思いますが
先進国全体で、数行の文章読んで内容を正しく理解できる大人は半数程度。
それが、並みの人間の能力だ。
長文が読めたところで、実際に生活を送るうえでプラスになる場面は多くない可能性が高い。
学力も一緒で、大人の中央値は小学校高学年レベルに届くかどうかあたりにある。
実際のところ、ほとんどの人は中学レベルに達しない。
大人になっても中学レベルのことは正解できない。
習うと”一時的に解答可能になる”だけであり、テストで正解できる方法を一時的に習得するだけで、訓練した時と同じ形式で問題が出されないと正解できない。
習ったところで実用はできないのだ。
誰が生産性の高い仕事に就くかを決める競争のために労力を割いているので、進学率が上がり、働き始める年齢が上がった分だけ、その人が生産する期間は短くなる。
本当に労働力が足りないとしたら、なるべく働ける期間を長くする方向にシフトしていくはずだ。
労働力が不足していれば、そういう状況は発生しない。余ってるから発生しているのだ。
質が悪いのは、教育に使われた金も生産にカウントされるので、実際には何も生み出さなくても計算上は生産したことになってしまうところ。
計算上そう見えるだけで実際の生産性は上がっていない。
例えば、一生学校で教育を受け続けても、授業料が生産にカウントされる。一生教育を受け続けただけの人は何を生産したかというと、ほとんど生産をしていない人が多くなる。
趣味で一生教育を受け続けるだけの人が居ても構わないが、生産性の計算上は生産に寄与してしまう。
生産性の計算は、実際には何も生産しなくても生産性を上げることができてしまうという根本的なバグがある。
実際に小中学校で最低限かかる金額を除いた教育費をマイナスとして社会全体で計算すれば、生産性を上げているか下げているかが見えるはずだ。
個人で見ると生産性を上げているように見えても、全体で見ると、進学率が上がるほど実際の生産性は下がっていくという効果が見えるのではないかと思う。
借金して学校に行ってようやく就職できる。
俺は、あの状況は健全ではないと思っている。
異世界のあの社会のように、教育一切無しというのもどうかとは思うが。
初等教育は多くの人に効果があり、発達の時期とも重なるので10歳程度までの教育に効果が無いと主張する人はあまり多くないと思う。
中等教育以降の教育の効果は、調べるほどに、効果があるかわからないという結果になっていく。
年齢で一律大人かどうかを決めるのは、俺的にはあまりしっくりこない。
少なくとも、自活できているのであれば、若いからと言って権利を制限するのは良くないと思っている。




