30-18.ルルシアを助けに来た老人、その後(11) 川に落ちたおっさんは、水泳の授業が役に立たない理由を考察する
※直接物語の進行と関係無い話なので、飛ばしても問題ありません。
主人公のおっさんの考え方、その行動の遠因を説明するものです。
気に入って、何度も読み返す人が居れば、その時にでも読んでください。
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競技としての水泳が全く不要だと言ってるわけではない。
万人に教える内容として不適切。教える順番や重要性がおかしいと思うのだ。
うつぶせで、顔を水につけて泳ぐことを優先して教えることに問題があると思う。
生きる上で役立つことを教えたいなら、まずは、とりあえず、浮いて呼吸ができることを
優先して教えるべきだ。
次に、”うつぶせで顔を付けること無く泳げる”ようになることを目指す。
速さなんかどうでも良い。まずは、足が着かないところで、少々のことで溺れないこと。
顔を水に付けて泳ぐ練習など、そもそも必要かどうかも怪しいレベルだ。
そんなもの、暇つぶしにやれば良い。
基本と応用が逆だ。
これは、あくまで授業である場合の話だ。
温水で年中利用できるスポーツジムとか、スイミングスクールで、競技用の泳ぎをやるのは悪くない。
体力作りとか、運動不足解消を目的にしたり、競泳の練習としてやるのも良いと思う。
泳ぎを教えるなら、まず第一に安全に浮き続けることができることが重要だと思う。
これが最優先であり、それと比べれば、その他はゴミみたいなものだ。
ところが何故か、水泳の授業は、顔を水に付けたり、うつぶせでバタ足させたり、息継ぎさせたりという内容なのだ。
そんなの1000人中何人が必要とする技術か?
”万人に何年にもわたって教えるものとして正しいか?”と考えると、
俺的には何か根本から間違っているように思えるのだ。
ほとんどの人は何年もの間、授業で水泳を習った結果として、溺れず延々泳ぎ続ける技術を獲得しない。
そもそも、学校卒業した後、その水泳技術を生かす人はほとんど居ない。
そんなのはオプション扱いで十分だ。やりたい人は水泳部にでも入れば良い。
では、なんでそんな無駄なことを教えてるのかと言うと、おそらく、そもそも学校の目的は教育では無いからと考えるとわかりやすい。
役立つことを教えて、会得させるというのは建前で、実際の目的は別のところにある。
水泳何年も習った子が、水の流れも無い水たまりに落ちて死んでも問題無い。
別に、安全に泳げるようになるために、水泳を教えているわけではないからだ。
そう考えれば、答えが見えてくる。
水泳に限った話では無い。
多くの人が高等教育を受けたところで、実際の大人は小学生レベルの問題が解答できれば
十分上位レベルの人と判断できるくらい普通の大人の学力は低い。
なんで、そんなことになるかというと、そもそも教育には、あまり教育効果が無いからだ。
なので、大人になっても受けたはずの教育の効果を発揮しない。そもそも効果が薄いから。
教育効果が十分高ければ、成績を付ける意味は無い。
同じ教育を受けた者は皆、同じ成績を出すようになるからだ。
皆が満点取るので結果に差が出ない。
ところが、実際には、同じ教育を受けた人は、同じ結果を示さない。
教育の効果は、あまり大きくないからだ。
だからこそ、成績が重要になる。
成績が付けられるのは、教育効果が薄いという特性を利用したものだ。
教育効果が薄いから、成績に差が出る。そして、目的は、その数字を得る方にある。
個人差と言うものがあり、人それぞれ、辿り着ける終着点に差がある。
小学校入学前にも壁はいくつもあるが、小学校入学以降の普通クラスの場合、10歳の壁というのが存在する。
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※一般的には10歳の壁と呼ぶことが多いと思ってますが、文部科学省は9歳の壁としているようです。
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<<https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/053/shiryo/attach/1282789.htm>>
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小学校に入学して、同じ教室で勉強するものの、ある程度の人達は、10歳の壁を超えるのが難しい。
10歳は中学年。つまり、小学校の高学年レベルに達しない人も、それなりの比率で存在する。
誰もが越えられるという建前だが、そこには壁がある。
13歳の壁という言葉も存在し、そのあたりにも壁が存在することがわかる。
中学校まで義務教育だが、実際のところ、中学校卒業レベルに到達できない人は、それなり多い。
中学のクラスに何人もゴロゴロ居るくらいのレベルだ。
この人たちは、普通の人達だ。
中学レベルの内容を大人になって応用できる人はそんなに多くない。
学力やIQなど、人間の能力は、正規分布している。
平均あたりの人が多く、平均から離れるほど極端に人数が減っていく。
IQと学力はイコールではないが、ある程度の関連があることが知られている。
オーバーアチーバーがIQから期待されるよりも高い学力を示す人。
アンダーアチーバーが、その逆。IQから期待されるよりも低い学力を示す人。
個々で見れば例外はいくらでもある。
ただし、統計的には、IQと学力には関連がある程度強い。
全体で見るとそういう傾向がある。
オーバーアチーバーや、アンダーアチーバーが存在するから、その言葉が存在している。
(理論上)IQで偏差値40相当以下の人は6人に1人程度存在する。これは事実だ。
この人たちは、本人の頑張りとは別の要因で、ある程度壁がある。
しかしながら1/6という人数は、特別扱いして救済するには多すぎる。
日本人のうち2000万人強を救済するのは不可能だ。
救済できないから公的な救済策が得られず、放置された人達だ。
※手帳を持てる明らかな障害者よりも、グレーゾーン領域の人の方が、
困窮する逆転現象が実在します。
生活保護でも似たような現象が発生します。
実際に困っている人が貰えない。そんな現象が存在します。
生まれながらに能力の差は存在し、同じ内容の授業を受けても当然結果は変わってくる。
同じ時間勉強しても、人によって結果が変わる。
結果が出ないと、”やり方が悪い”と思うかもしれないが、そもそも能力にははじめから差があるのに、”やり方が悪い”と言うのは、正当な指摘だろうか?
努力不足というのは、正当な指摘だろうか?
元々、人には能力差がある。
なので、教育でも何でも、どのレベルに設定しようが、脱落者は必ず存在する。
脱落者の比率が変わるだけだ。
新聞は中学生が読める程度を目安にしていると言われているが、そのレベルでも読んで理解できない人はいくらでも存在する。
むしろ、何割の人がそれなり正しく読むことができるかの世界だ。
2割か3割か。もしかしたら1割かもしれない。
実は、先進国の大人のほぼ半数は、簡単な文章を読んで理解することができない。
途上国は、当然それより低い国が多い。
日本は先進国の中でも特に優秀で、読めないのは1/3程度と、世界的に見て極端に少ない。
2/3の大人は、簡単な文章は読める。世界最高レベル。
(言語の表記の特性も大きいように思います。漢字、ひらがな、カタカナ、アラビア数字の混在が可能で、キーワードを拾いやすい。例えば、四十九歳を49歳と表記しても良い)
そして、なんと2/3くらいは、10歳の壁を越えた問題を解くことができる。
13歳の壁を突破できたら、相当優秀な人だ。
これが教育の効果だ。ほとんどの人が高校卒業していても、このレベル。
大卒者が増えても、減っても比率は大して変わらないだろう。
10歳レベルまでの教育さえ受けていれば、残りは素質の問題になってしまうからだ。
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PIAACの結果を見る限り、そういうレベルっぽいです。簡単まとめはこれでも
↓
<<https://news.yahoo.co.jp/byline/tachibanaakira/20190128-00112452/>>
本作(加齢臭と転移する竜)を読める人は、もっともっと極端に少ないと想定しています。
なので、読者さんに遭遇すると、凄いレアキャラ発見!という感じで嬉しくなります。
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文章読める人からすれば、そもそも、小中学校の国語の読解問題なんか、習う理由すらわからないレベルではないかと思う。
※大人向けの本を、子供の頃から読めた人も多いでしょう。
18禁の写真の本じゃなくて、文字の書かれたやつの話ですよ!!
そういうレベルで個人差が存在する。
ほとんどの人が文字を読める。
読めない漢字があるにしろ、ほとんど文字が読めないという人は、そんなに多くは無いだろう。
ほぼ全員が小学校に通う日本の場合、”文字を読めない人は少ない”が、
予想外なことに、”文字を読んでも内容を正しく理解できる人は、案外多くなかったりする”。
とは言え、教育を行わないのと行うのでは、大きな差が開く。
10歳の壁までは、多くの人が到達できるからだ。
文字の読み書きができる。名前と住所が書ければ、日常生活の多くはこなすことができる。
10歳の壁と言っても、国語の場合、難易度の壁の説明が難しいが、算数で言ったら四則演算に少数、分数あたりまでだ。
実際のところ、そのあたりまでできれば、日常生活は可能だ。
だから、ここまでは、それなり効果が大きい。
※濃縮液を何倍に薄めるというという計算も怪しい人というのも、普通に居ます。
実際は、10歳の時点で10歳の壁にも到達できない人でも、大人になるまでは、このくらいのレベルには達することが多いだろう。
実際に使う機会が多いからだ。
最低限の読み書きや、金勘定ができる程度の計算能力はともかく、あとは理解し、活用できる人の比率は急激に減っていく。
そのため、学校の目的は、”成績を評価する”ことに移っていく。
能力を数値化することが目的になる。
その教育結果が、その子供のその後の人生で活用される必要は全く無い。
主目的から外れているのだ。
小学校レベルの問題を普通の大人は正解することができない。
学校教育の目的が、”習った内容を理解し活用出来ること”だとすると、現在は全く目的を達成できていないことになる。
ところが、世界的に同じようなことをやっている。
つまり、これをやることに金と時間を費やす意味があるはずなのだ。
教育として効果が無くても、価値のあることをやっていると考えた方が自然だろう。
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大人の能力を調べる限り、中等教育以降の教育に効果が有ったかは疑問なレベルという結果に見えますが、中等教育、高等教育を受けたという履歴は重視されています。
その理由を視点を変えて、個人の側から見ると、こうなります。
既に太宰先生が良い言葉を残してくれています。
副産物として、別のものを獲得するためにやっているのであって、勉強した内容自体は”けろりと忘れてしまってもかまわない”。
主人公の尊敬していた先生、教育の本質を理解した先生が、現状の教育現場に絶望して辞めていく際、生徒に残した言葉として書かれています。
太宰先生の考える勉強する価値の本質がコレなのではないかと思います。
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何も自分の知識を誇る必要はない。勉強して、それから、けろりと忘れてもいいんだ。
覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベートされるということなんだ。
太宰 治. 正義と微笑 (Kindle の位置No.142-143). 青空文庫. Kindle 版.
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なお、青空文庫は無料で読めます。
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勉強の内容の習得自体が重要でないことは、獲得時期と習得効果を考えれば、さらに納得しやすい。
内容自体が重要なら、後からやっても価値があるはずだ。
その時期に学校で習わないと、一生できないなんてことは全くない。
教科書はいつでも買える。収入で買える買えないの差が出るほど高いものでは無い。
必要な時にやっても構わない。
ところが、実際は、後からできるようになっても、ほとんど評価されない。
その時期にやる理由があると考える方が自然だ。
中学の授業は、高校で評価するため、高校の授業は、大学での評価に必要だからやっている。
そして、それは、基本、年齢と紐付いている。
少なくとも、日本国内では、そのようになっていると言って良いと思う。
その年齢でどこまで到達できるかを評価したいのであって、習った内容はどうでも良い。
習った内容が、その後の人生で生かされる必要は無い。
そもそも、生かすことができるのは、少数派。
小学生高学年レベルのことを理解していたら、相当なエリートだ。PIAACの結果が示すとおりだ。
習う内容に価値が無いわけではない。でも、習っても使うことができない。
習ったところで、小学生高学年レベルの問題解けるレベルの大人は、かなりのエリートだ。
小学生レベルの問題を解くことができるその人たちは、そもそも習う必要があったのだろうか?
教科書渡せば勝手に理解したのではないだろうか? 或いは、初見で解けるのではないだろうか?
習う必要が無かったとすると、”教育の効果が、存在するかどうかが怪しい”のレベルになってくる。
学校に価値が無いわけでも無いだろう。価値の無いものに投資はしない。
ただ、教育機関なのかと言うと、小学校はともかく、中学以降は、基本的には、能力を数字で表すための施設と仕組みなのではないかと思う。
多くの人は、理解しているわけではないので、大人になって活用することはできないが、手段の反復と段階を踏んだ学習により、”理解しなくても高度な内容に到達できる”ことを示している。
高得点を取るために、本当の意味での”内容の理解”は不要であるということだ。
だから、手段を確実に実行できる人材を選ぶ指標として使いやすい。
企業がそれを目安にして人材を選ぶのは、他の指標より確実だからだ。
短期間で高度な内容を習得することができる可能性が高い人材を、率先して集めているという見方もできる。
ただし、ここに老害の原因の一端が見える。
“自分は基礎から積上げ高度な能力を持つに至った“と自認するが、それに対して、ほとんどの人は、小学校高学年レベルの知識で解ける問題を解けない。
小学校レベルの基礎は持たない。
自分が理解していない高度なことを、さも簡単なことであるかのように言い、人を見下す。
これを“砂上の楼閣“に例えて、“老害の楼閣効果“とでも名付けるか。
それなりの学歴……学校歴ではなく、正しい意味の方の学歴だ。
基礎があるから、そこまで到達したのではなく、基礎が無いのに、そこまで到達してしまったという”砂上の楼閣”状態。
ある程度上位のレベルの学校を卒業するような人の大部分は、小学校レベルの基礎は理解している人がほとんどかもしれない。
そう考えると、或いは、”砂上の楼閣”と逆に、”本当に理解できている人”が、”実態を知らずに、全ての大人にとって小学校レベルは簡単である”と誤解していることからくる問題かもしれない。
いずれにせよ、仕組みや基礎を理解していないのに、高度なことができる気でいる人が多いという特性が、世の中の常識の激しい変化を引き起こす。
価値観の逆転に大きく貢献している。
物事は基本、多数決で決まる。
そして、その多数決を決める大人は、難しい物事の表面を見て理解したつもりになる。
でも、受け売りしかできない。自分の好みに合う話に乗っかるだけ。
実際には、物事は、じわじわと起きていて、現状を理解している人は、その時点で理解し、今起きている出来事を説明しているのに、ほとんど話を聞く人はいない。
簡単な説明をしても、その簡単なことを理解できる人はあまり多くないからだ。
ところが、内閣府やら担当省庁が発表すると何故か突然、それが当然、常識、みたいな反応をするようになる。
大本営発表が大好きなのだ。その人たちは、大本営発表を否定するだろう。
でも、大本営が内閣府やら別のものに変わっているだけで、本質は変わらない。
そのため、ある日突然、多数派が逆転し常識が逆方向に動き出すのだが、根拠が”偉い人がそう言ったから”レベルで、理由を理解していない人が居るので、真ん中を大きく通り越して反対側に振りきってしまう。
そして限界を迎えた時、内閣府やらから発表が出て、ある日突然多数派が逆転し、方針も逆転する。
結果、歴史は繰り返すと言われるあの現象が発生する。目標を大きくオーバーシュートして、反対の端に当たって跳ね返る。
歴史は波の性質を持つ。それが歴史は繰り返すと言われる理由の本質だ。
個人だけではない。文明も、過去積み上げた上に、立っている。
科学……土木、工業、農業にしても、異世界物のように現代知識で無双とか、基本的に無理なのだ。
技術の進化は同時多発だ。ほとんどの場合、競争が発生し進化の速度が押し上げられる。
基礎があっての応用だ。上辺だけを知ってたところで、どうにもならない。
日本に住んでいると気付きにくいが、実は、個人と同じく、基礎を持った国は限られる。
日本が鉄砲を即国産化できたのは、それ以前から加工技術があったためだし、明治に入って一気に進化したのも、基礎があったからだ。
鉄砲は戦国時代末期世界の過半数を日本が所有していた。その圧倒的な力を消費しながら維持された平和な時代が江戸時代。
明治期には、遅れた国だと思っている人も多いかもしれないが、電話が発明されて通話に使われた2番目の言語が日本語と言われている。
1876年にグラハムベルが音声送受信に成功すると、その年のうちに日本人が通話を体験している。
そして、翌年には、日本に向けて”世界初の海外輸出”。翌年には日本はベル式の電話機を国産している。
そこだけ見ても、日本が当時遅れた国だったと考えるのには無理がある。
このとき、世界中のどれだけの国が国産できていただろうか?
米国といっても、東海岸なので、日本からはかなり遠い。その距離を隔てても、この期間で国産化。
明治に入って10年。10年前まで鎖国していた弱小国にできることでは無い。
つまり、もっと前から繋がりがあったと考えるべきだ。明治で大躍進したわけではない。
文化や技術を海外から大っぴらに取り入れるようになっただけで、見ればすぐコピーできる技術を持っていた。
そもそも日本は元々武器輸出国だ。
一方で、バカにされがちなラノベのパラメータ表示だが、あれは案外、現実に近いのかもしれない。
人は数値化が大好きなのだ。
学校で教えたからと言って能力が伸びる訳では無い。
それでも予算が投入されるのは、”目的が数値化”だからだ。
異世界もののステータスオープンってやつが、現実世界では学力テストの結果だ。
就活の場合だと、学歴欄に書く学校の名前だ。
そこに書かれる学校に入れるかどうかは、”その学校に入る以前の学力”で決まったものだ。
その学校に入った結果得たものではない。
学校に入る前の学力を学校名に置き換えて書いたに過ぎない。
中等教育以降、教育に教育効果は無いので、素質が数字になって炙り出されやすくなる。
知りたいのはその数字だ。外から見えるのは学校名だが。
なので、案外、本質的には、ゲーム世界のような異世界と現実は異なるようで似ていたりする。
俺が来たこの世界には、ステータス画面が無い。つまり、数値化のために莫大な投資が必要になるかもしれない。
俺の世界では、莫大な時間と金を投入して、能力の数値化を行っていた。
……………………
水泳の話に戻そう。
それが本当か嘘かは置いておくとして、
”教育は、評価が目的なので、評価しやすい内容になっている”と仮定する。
そう考えると、いろいろ筋が通るようになる。
基礎は無くても構わないし、小さな溜池で溺死しても構わない。
水泳の場合は、何メートルお泳げたか、タイムがいくつだったか。
役に立たないが、評価はしやすい。
評価が目的なので、1分浮いてられれば、どうにでもなる程度の水溜りに落ちて溺死しても問題無い。
水泳習った子が水に落ちて死ぬのは問題無いのだ。べつに、死なないことを目的としていないから。
そして、危険だからと溜池を減らし、食料自給率を下げ、水害の被害を大きくしていく。
評価が目的なので、実際に泳ぐのに必要な技術は教えず、顔を水につける練習から、蹴伸び、バタ足……と、競技用の特攻技みたいな技術だけを教えることになっているのではないかと思う。
確か、水泳を教えるようになったきっかけは、船が沈んで子供が大量に溺死したからだったはずなのだが……
俺も、学校で習った泳ぎ方でも、そこそこ泳げたはずだが、実際は全く使わない。
当時は、足攣ると溺れただろうし。
今の俺の基準では、足攣って溺れる程度は、泳げるうちに入らないと思うのだ。
俺はなんで、異世界にきて、日本の教育制度について考察しているのだろうか?
でも、まあ、異世界だからこそ、こんなどうでも良いことを考えるのかもしれないな。
※前回も異世界、こっちの世界ですね。”19-24.雨漏りと神様と兵達と加齢臭(3)”
内容が被ってますが、今回は、実際に水に落ちたのが自分である場合の感想です。
この世界には、俺が日本に住んでた時のように、全員が一律通うような学校は存在しない。
ルルシアも、たぶん学校には通っていないだろう……通ってるのか?
”釣りキチ三平”も、ああ見えて、学校に通ってる設定らしいから、案外俺の知らないところで学校に通っていたりするのかもしれない。
”釣りキチ三平”と言うのは、俺の世界のマンガ本……紙に印刷された絵で、1ページを複数のコマに分割して、視点の切り取り、時間の流れを表現し、物語を絵と文字の両方で効率よく伝えることができる絵本だ。通常の絵本は1ページ……1つの絵のサイズが決まっていると言う欠点があり……痛たたた。また、変なところが攣った。
ぬおおおお、痛い、だが、俺は、俺が泣くまで解説を止めないっ!!!! 釣りキチ三平は、いつも釣りに明け暮れていて、長期かかるであろう場所まで遠征し、長期滞在している風にも見える一方で、子供にとってかなり比率が高いはずの学校生活が一切描かれないので、読者は三平は学校へ行っていないように思う。
すると作者が、”学校行ってないわけ無いだろ!!”と怒る。
あんなに長い話なんだから、時々学校のシーン挟めば済む話だろ!!と俺は思うのだ、、、、
あだだだだ、くそう、痛い。
だが、俺は、俺が泣く前に解説を終えることができた。
こう見えて、俺は案外やればできる子なのだ。若干、自信を回復することができた。
そうだ。俺はやればできる子なのだ!
※何故か2回言いましたよ。何か、フラグが立ったような気がしますね?
気が向いたら、回収します。
考え事をしていると、痛みを感じにくくなるが、それも一時凌ぎ。
手足が攣ると、不便だ。
その上、どうもここは、沈み込みの流れがけっこう強い。
増水時の淵と言うのは、そういうものなのかもしれないが。
浮きが悪い……沈みやすい流れがある。
ここはここで危ないのかもしれない。
流れがあるときの方が、浮くこと自体は楽だったりする。
流れのあるところでは、流れを利用して顔を上げることが出来る。
足を川下に向けて、仰向けの状態でそのまま流れれば、流れが背中を押し上げてくれる。
だが、淵に入ると、その技が使えない。
まあ、その程度で溺れはしないが。
両手両足で頑張り続けないと浮いていられないようだと、片腕片足……いや、両足だ。
攣った状態で溺れてしまう。
幸い、左足は親指が攣っただけだが、地味に痛い。
ぬう。満身創痍って感じだ。だいたい1回攣ると、またすぐ攣る。
動きにくいが、浮いて呼吸し続けることができれば、あとは、たいして重要ではない。
もちろん、浮き続けられるのは、ある程度の温度の範囲内で、冷たい水に落ちたら一発で心臓発作で死んでしまうかもしれない。
水が冷たい場合は、一発で死ななくても、早く水から上がることが重要になる。
今も渓流の水なので、もちろん冷たいが、水に入っている間は意外に冷えにくく、すぐに上がらないと死ぬというほど冷たくは無い。
まあ、冷たいから、攣りまくってるという側面もあるのだが。
水に入ったり上がったり……特に上がった後は、水が蒸発するときに気化熱を奪われて、凍えることがある。
俺は、凍えた記憶がたくさんあるような気がする。
なんだろう? 俺は冬に水浴びして死ぬほど寒い思いをした記憶がある。
俺は一体何をして暮らしていたのだろうか? もっと寒いところに住んでいたのか?
※凍えながら水浴びは、初期から散々しています
”1-6.冒険者の仕事……この世界には魔法がある!”など。度々凍えてます。
なんだか、冷たい水が怖くなってきた。
早く水から出たい。




