2DAY・6
「それにさ、やってみなきゃわかんないだろ。向いているか向いてないかなんて」
ウィズは立ち上がり、水差しからグラスに水を注ぐ。
水がグラスに流れ落ちる音が、妙に耳につく。
「俺だって自分が祭宮に向いてるか、わかんないよ。大体血筋だけでなった祭宮だしな」
二つ手にしていたグラスの一つを手渡してくれ、そのままウィズは立ったまま話し続ける。
「こういう性格だしさ、俺は気ままな三男だったっていうのもあるんだけれど、俺も、周りの誰もが、お飾り将軍にでもなるんじゃないかって思ってたわけだ。別に戦で死んでも、お家断絶なんてのはありえないしな」
窓際の壁に寄りかかりながら、グラスの水をくいっと飲み干す。
ウィズが水を飲むのを横目に見ながら、少し乾いた喉を潤す。
飲み干したグラスを窓枠に置くと腕組みをして、ウィズが苦虫をつぶしたような顔をする。
「それがさ、いきなり俺を祭宮に強制指名のご神託だよ。親父も乗り気になるし、名誉あることだとか言いやがって」
苦々しいわけではなくて、腹立たしいの間違いだったらしい。
声は段々大きくなっていくし、いつ怒りの大爆発がくるのかとハラハラする。
でもウィズの怒りはすごく身近なものに感じる。多分、村に帰ってきた時に感じた違和感というか、イライラと同じような気がする。
「この国の守護者である水竜のお言葉をお聴きになられる、唯一無二の存在である巫女様の言葉を、物知らぬ民に伝えることが出来る、ただ一人しか出来ないの名誉ある仕事だから、だと。そんなの伝書鳩にでもやらせておけってんだ」
吐き捨てるように言うなんて、よっぽど祭宮が気に入らないらしい。
祭宮といえば、水竜の神殿から出ることの出来ない巫女の代わりに国王陛下にご神託を伝えるのが役目だと、神官から習った記憶がある。
巫女とは違って、確か死ぬまでが任期だったはず。
ということは、ウィズの前の祭宮様がお亡くなりになって、ウィズがここ数年の間にご神託を受け祭宮になったということだろう。
でも、ご神託を伝えるのだけがお役目ではなくて、この国で行われる全ての祭事を取り仕切るのが祭宮の役目であるはず。
ウィズが言うように、伝書鳩でもやれる仕事ではないだろうに。
「ご神託だからしょうがなく了承したけれど、俺が祭宮に向いてると思うか」
「え?」
怒りで沸騰していた状態から、突然また落ち着いて話し出す温度差に、なかなかついていけない。
「私は、ウィズしか祭宮様を知らないから。向いているかって聞かれても困るよ」
前の祭宮様がどんな人だったかなんて、噂すら聞いたことがないのに比べようが無い。
神殿で色々学ぶまでは、祭宮という方がいるという程度の認識しかなかったし。
全然違う世界の事だから、興味も無かったし。
「だけれどウィズは、水竜が巫女を選ぶ理由を調べてみようとしたり、祭宮になろうとしてると思うよ」
もしも本当にどうでもいいと思っているなら、明け方に一人で村を歩いて、その辺を歩いている村娘を捕まえて、水竜の祠に行ってみたりしないだろう。
向いてるかどうかは関係なく、ちゃんと祭宮になろうとしていると思う。
やりたくないからとか、向いていないからとか、そういうことに逃げようとしない。
「ササもなろうとすればいいんじゃないのか。巫女に」
言われてハっとする。
自分から巫女になろうと、思ったことがあっただろうか。
そんな考え、したこともなかった。
ご神託だから、巫女にならなきゃいけないとしか考えなかった。
今巫女様みたいに出来ないからとか、巫女に相応しくないからとか、そういうことが頭を占めていて、自発的に巫女になろうなんて考えたこともなかった。
「そう、かもしれない」
自分自身に言い聞かすように、ゆっくりと言葉を噛みしめる。
「正直に言うと、俺は何でササがそんなに迷うのかがわからない。誰でも巫女になりたいんじゃないのか?」
「選んでいいって言わなかったっけ」
「いや、あれは決まり文句」
祭宮にも儀式で言うことは決まっていたとは。
でもきっと神殿で叩き込まれたみたいに、まず椅子に座る。次に神官が跪いて……なんて練習はしないんだろう。
「俺が聞いているのは、そういう意味じゃない。女の子って巫女に憧れて、いつか水竜の神殿からお迎えがくるって、考えたりするんじゃないのってこと」
そういうこと、ね。
てっきり巫女候補になった人は、必ず巫女になる道を選ぶけれど、選択を促すように言うのが慣例か決まり事なのかと思った。
全く巫女に憧れがないって言ったら違うけれど。
「俺の妹なんて、絶対自分が次の巫女だって、訳のわからない自信に満ち溢れてたぞ。まあ、近親に今巫女様がいるからかもしれないけれどな。絶対巫女になりたいって言って、結婚話を片っ端から断ったりしてるらしいし」
例えばこの村に、昔巫女に選ばれた人がいたとかなら、ちょっと違うのかな。
ウィズの妹は、きっと私なんかよりもずっとずっと身近なこととして、巫女というのを捉えていたのかもしれない。
「子供の頃は、お話に出てくる水竜や巫女様に憧れたりもして、いつか水竜が、なんて考えたりもしたけれど。巫女は私にとっては遠い世界の人だったから、他人事でしかなかったかな。だから、なりたいとかは、あんまり……」
考えたことなかったという言葉を、ウィズは最後まで聞いてはくれない。
「巫女になる事によって、ササの価値がどう変わるか、わかる?」
背中を向け、窓を大きく開き、そしてウィズが振り返る。
回答を促すように、じっと目を覗き込んでくる。まるで測るように。
「……水竜の声を聴くこと。国の運命に関わる人になるっていうこと」
「そうじゃない。巫女を辞めた後の、ササの価値」
巫女を辞めた後の価値って一体。
普通の人に戻るだけじゃないのかな。
巫女じゃない、普通の人。他の人と変わらない。
ただのパン屋の娘に戻るだけじゃないのかな。
「望むなら、ササは国王の妻にだってなれるんだよ。巫女の血が欲しいって奴は国中に溢れている。俺ら、王家の人間も含めてね」
巫女の血が欲しい人が多いっていうのは、確か。
巫女の血が流れているだけで、巫女が血筋から出る確立も高くなるらしいし、それに水竜の間近でお仕えしたことがある先祖がいるとかで、他の村の人が自慢げに話していたのを聞いたことがある。
だからって国王の妻にまでなれるとは思えない。
「私、巫女に選ばれていなかったら、ただのパン屋の娘なんだけれど。それなのに、国王の妻だなんて」
冗談としか思えない。
私にはそんな価値はないし、とてもとても王宮で生活するなんて出来ないもの。
それに、こんな私を欲しいなんて思う人なんて、王族にはいないんじゃないかしら。
だってあの今巫女様みたいな人たちが溢れているんでしょう。その中に私が入ったら、本当に冴えない田舎者って感じだろうし。
そんな私を敢えて選んだりするわけないよ。
「俺の中にも巫女の血が流れている。何代前の巫女だか知らないけれど。だけれど、その巫女が貴族の娘だなんて話は一回も聞いたこと無いな」
あまりにも話が急で、頭がついていかない。
そんなこと言われても。
本当に私が巫女になったら、そんな価値が生まれるというの?
絶対ありえないって思う気持ちと、ウィズの中にどこの誰だかわからない巫女だった人の血が流れているっていう事実とが、頭の中でぐちゃぐちゃに交じり合う。
私が巫女になったら。巫女を辞めたら……。
ウィズは色々な話をしてくれるけれど、頭が混乱する一方。
整理して話を組み立てないと、もう何がなんだかわからない。
「一度に色々話しすぎたな。でも俺はササに知っていて欲しかったんだ。巫女になるってことが、ササの人生を変えることだってことを。それもちゃんと踏まえた上で決断して欲しい」
苦笑いを浮かべながら窓際から離れ、ウィズがもう一度ソファに座る。
間近で見るウィズの顔は、やっぱり今巫女様に似ている。
まるで目の前に今巫女様がいるかのような、そんな錯覚さえしてしまいそう。
瓜二つ、というわけではないけれど、どこか同じ空気を持っている気がするからかもしれない。
「俺は、ササに巫女になれとは言わない。ササが自分で考えて決めることだから。だけれど、何も知らないで巫女になるのは不幸なことだと思う」
「……うん」
巫女になれって祭宮に言われたら、私にとっては命令に等しいから、言わないでくれるほうがいい。
ウィズはウィズなりの優しさで、色んなことを話してくれたっていうのもわかる。
「ササが巫女になってもならなくても、ササが思い通りの人生を歩めるように、俺が守るから。だから周りの事は気にするな」
その言葉に涙が出そうになる。
今まで誰にもそんなこと言われたことなかったから。
思わず涙が零れ落ちそうになるのを堪えて、天井を見上げる。
二、三度瞬きをして、奥歯を噛みしめる。
「祭宮として?」
その質問には答えないで、ウィズはソファから立ち上がる。
どうするんだろう、と目で追うと、ポンポンと頭を叩かれる。
「よく考えな。自分が納得する答えを出すまで。」
それを言うと、振り返らずにドアへと歩きだす。
ウィズの背中を見つめていると、ドアノブを捻ったところで、もう一度振り返る。
「まあ、俺を納得させられる結論じゃなかったら、ダメだけれどな」
唖然としていると、ウィズは部屋から出て行ってしまう。
俺を納得させられる答えじゃなかったらなんて言えるなんて、ものすごい自信家だ。
自信があって、マイペースで、それでいてちょっと優しい。
最初、ぶっきらぼうな人だなって思ったけれど、ストレートに感情をぶつけてくるからそう思うだけなのかもしれない。
その話し方も、きっと育ちのせいなのだろう。
周囲に傅かれて育ったのだろうと、国王陛下の甥という立場から想像できる。
そのウィズが不本意な祭宮になるというのは、どれだけの決心だったんだろう。
確かにウィズが言うように、水竜のご神託は絶対で、ならざるを得なかったんだろうけれど、それでも選んだことによって何かを捨てなきゃいけなかったり、諦めたりしたんじゃないのだろうか。
何かを選ぶことは、何かを諦めることなのかもしれないって、ウィズが教えてくれた気がする。
その先に得るものもあるのだろうけれど、それが選ぶことによって諦めたものと同じではないことも。
相応しいとか、向かないとかじゃなくて、なろうとすればいい。
なりたくても誰でもが巫女になれるわけじゃない。
ウィズは、そんな風に考えることを教えてくれた。
ものすごく、自分の中では「巫女らしさ」に引っかかっていて、巫女になりたいかなんて考えることは一度も無かったのに、全然違う考え方を教えてくれた。
水竜がなぜ今まで巫女が生まれなかったこの村から、それも私を選んだのかはわからない。
特別な理由がわからない。
巫女らしい立ち居振舞いも出来ないし、相応しくもないのかもしれない。
でも、もう一度、自分が巫女になりたいのかどうか考えてみよう。
巫女に向いているかなんて、やってみなければわからない。
今は、自分がこの先の人生をどうやって生きたいのか、それだけを考えよう。
なんとなく気持ちが軽くなって、自分の中で「答え」を見つけたような気がする。




