2DAY・2
日が昇り、外は祭りの準備をしている音がするけれど、村長からの使者到着を知らせる迎えが来ない限り、特にすることもないのでボーっとしているしかない。
祭りの準備を何か手伝ったりできればいいけれど、外に出て知り合いに会った瞬間、大騒ぎになるのは目に見えている。
騒ぎになるのは昨日の夜で、もう懲りた。
何も今は聴く事が出来ないと言うのに「巫女様」と呼ばれ、生まれたときからの付き合いの知り合いにまで、あれこれ言われるのだから、たまらない。
村を出る前はそんなことはなかったのに、半年の間に、自分を取り巻く環境が大きく変わってしまったような気がする。
誰も「ササ」とも呼んでくれないし、なんとなく自分が自分じゃなくなったような錯覚さえしてしまう。
ササという入れ物を通して、巫女を、水竜を見ている気がしたし、その期待に満ちた目に応えられない自分に嫌気がした。
だから外に出ないで家でおとなしく村長の迎えがくるのを待っているほうがいいんだろうけれど、かといって何もやることがないので、退屈でしょうがなくなってくる。
いっそ寝てしまおうかと思うけれど、せっかく身だしなみを整えたというのに、これで寝癖がまたついたら笑い事じゃすまなくなる。
国王陛下の甥にあたるという王族で、祭事を司る宮様にお会いするというのに、そんな失礼なことは出来ない。
しょうがないので、どうせ誰もこないだろうけれどお店で店番しながら、神殿から拝借してきた書物でも読むことにする。
店番していれば、迎えが来たのがすぐにわかるだろうから、丁度いい。
明日神殿で行う儀式について書かれた書物を手に取り、階段を降りると店の中にはやっぱり誰もいない。
店番をしているはずのママもいないので、今日はお休みをしてお祭りの準備をしにいったんだろうと思う。
そうならそうと、声をかけてくれてもいいのに。
わざわざ下に降りてきて損した気分。
でも上にいると誰か来たときにわからないと困るので、店番をしている時のようにレジの前に座って、本を読み始める。
読み始めてしばらくして、カランとドアについたベルの鳴る音がしたので顔を上げる。
てっきり村長の迎えがきたのだろうと思って笑顔で顔をあげたものの、入ってきた人物の顔を見て、言葉を失ってしまう。
あまりにも思いがけない人物で、何を言ったらいいのかわからなくなり、頭はパニック状態に陥る。
パニック状態の自分と、それを冷静に見ている自分が心の中にいるようで「別にそんなに焦るようなことでもないじゃない」と頭の片隅で声がする。
その声で、はっとして現実に戻る。
「ルア。久しぶり」
振り絞って出たのは、そんなありきたりの挨拶。
「ああ。久しぶり、ササ」
よく見ると、村を出たときよりも背が伸び、体つきもがっしりとして、大人っぽくなったような気がする。
「村に戻ってきていたの? 知らなかった」
村を離れている半年の間に、ルアは村に戻ってきたのだろうと思い、そう尋ねる。
「ああ。祭宮様の護衛でね。昨日村に来た」
ということは、相変わらず王都にいるということか。
村に戻ってきたわけじゃないとわかると、どうしても声が冷たくなる。
「そう。宮様の護衛はいいの?」
手にしていた書物を閉じ、その本を小さな袋にしまいながら聞く。
なるべくルアの顔を見ないように。
「無理を言って時間を貰ったんだ。ササに会いたくて」
「ふーん、そう。お仕事忙しいんだったら、別にいいのに」
出来る限りそっけなく言う。
心のどこかがささくれ立っているようで痛い。
「怒っているよな。俺、ササに二年経ったら迎えに行くなんて言っておいて、それから一度も王都から戻れなかったし。ササが怒るのも当然だよな」
チクリ、と心にトゲが刺さる。
「俺さ、今回宮様がこの村に行くって言ったから、宮様に無理を言って護衛の役目を貰ったんだ」
熱っぽく語り始めるルアを見ていても、どこか冷めた気持ちになってしまって、言葉が耳から入ってきても、心には全く届かない。
でも、声がやけに大きく聞こえる。
別に大きな声で話しているわけでもないのに。
「どうしてもササに会って、ちゃんとあやまりたかった。あの時は本当にごめん」
「別に改まってあやまられるようなことじゃないわ」
少し間を置いてから、やっと言葉が出てくる。
本当はそんなことを言いたいわけじゃないのに、どうしても冷たい言葉しか出てこない。
でも何をどう伝えたらいいのかわからなくて、どうしても突き放してしまう。
「それでも、ちゃんとあやまりたかったんだ」
苦笑しながらルアが呟く。
なるべく目を合わせないように、顔を見ないようにしているので、本当にルアが苦笑しているのかはわからないけれど。
あやまりたいと言われても、今更、だ。
じゃあどうして、手紙の一通もくれなかったの。
もう、あのときのような想いは心から消えてしまったというのに。
ルアのことを思い出さなくなってからだいぶ経つし、ましてや次代の巫女に選ばれてからは、そんなことを考えている暇もなかった。
ただ、懐かしいと思う。
その声、その話し方、何もかもが懐かしい。
心の中のささくれが抉られるのは、その甘ったるいような懐かしい感じのせいかもしれない。
辛い思い出は浄化され、残った甘い記憶だけが、心に広がっていく。
「ササ。多分俺はもうこの村に戻らないと思う。だから、一緒に王都に行かないか」
一緒に王都に?
「言っている意味がよくわからないんだけれど」
どんな意図があって言っているのかわからない。
今日と明日の儀式が終われば水竜の巫女になるのに、どうして王都に一緒に行かないか、になるんだろう。
行けるわけもないのに。
「村を離れる時から思っていたんだ、結婚しよう、ササ」
結婚!?
「突然のことだから、戸惑うと思うけれど、俺はずっと考えてたんだ。一緒に王都で暮らせたらって」
「そう……」
生返事しか出てこない。
そう言われて咄嗟に思ったのは、この人は私が水竜の巫女候補だって知ってるのかなっていうことで、結婚するとか、そういうことはあんまり頭に入ってこない。
「すぐには返事出せないと思うから、考えて。俺、明日にはこの村を出ないといけないから、それまで考えて欲しい」
「あの、私が王都にいけるわけがないでしょう」
「ああ。おばちゃんのこと? 一人にするわけにはいかないってことだろ」
その言葉で確信した。
この人。本当に知らないんだ!
その後も何か話しているのはわかったけれども、耳にも入ってこない。
なんて答えたらいいのか、言葉が見つからない。
私は水竜の巫女になるから、あなたとの結婚は出来ませんって言えばいいのに、なぜか喉の奥に言葉がつかえているような感じがして、言葉が出てこない。
そうやって言って断るのが一番いいのに。
心のどこかで、もしかしたらルアが迎えに来る日をずっと待っていたのかもしれない。
突然会って、甘ったるい過去に気持ちが引きずられているのかも。
何をどう言ったらいいのかわからなくて、答えることが出来ない。
「それじゃあ、ササ。明日の朝まで考えておいて」
「あ。うん」
その言葉に、意識が現実に戻される。
でもどっちにしても行かないって言うだけなのに。
それなら今言えばいいのに。
なのに、どうしても言葉が出てこない。
何も考えたくない。
そう思いながら読んでいた書物に目を移すけれど、頭に入ってこない。
明日、大事な儀式があるのに。
カランとドアについたベルの鳴る音がしたので、ルアが帰ったのだろうと思い顔をあげるとルアは相変わらず目の前にいて、誰か別の人が入ってきたということがわかる。
だけれどドアが丁度ルアで影になっていて、誰が入ってきたのかわからない。
「ササ。村長がお呼びだ。村長の家に行くよ」
その言葉で、ママが村長からの使者役だったことを知る。
「ああ、ルア。帰ってきてたのかい。悪いんだけれど、用事なら後にしてくれないか」
そういうと、ママはルアの横から顔を出し手招きをする。
そんなピリピリしたママの様子に、ルアは気付く気配もない。
「おばちゃん、久しぶりに会ったのに素っ気無いなあ」
おどけるルアを見ても、ママは相変わらず強張った表情を変えないままで、冷たくルアをあしらう。
「後にしてくれって言ってるだろ。ササ、用意は出来てるのかい」
もうこれ以上ルアと話す気はないというように、畳み掛けてくる。
ルアが肩をすくめるような動作をするのが視界に映るが、確かにルアと今話し込んでいる時間はない。
頷いて、手元にある小さな袋に書物を入れて持ち、ママのほうへ歩み寄る。
「それじゃあ、ルア。また」
本当に、また会う時があるのかどうかはわからないけれど。




