1DAY・1
序
「ササ、王都に行くことになったんだ」
いつも通り店番をしていると、幼馴染のルアがパンを買いながらそんなことを口にした。
大体、この小さな村で適齢の長男じゃない男の人なんて数えるほどしかいないから、ルアが徴兵されることも決して想像できなかったことではない。
むしろ思っていた通りだ。別に、驚くことでもない。
「そう。よかったじゃない。なかなか王都に行く機会なんてないんだから。お土産よろしくね」
出来る限り、そっけなく突き放すように答えた。
言いながらお金を受け取り、袋の中にパンを詰め込む。
「他に何かいうことは無いわけ、だ」
パンの袋を手渡して、極力顔を見ないように席を立つ。ルアの顔を見たら余計なことを言ってしまいそうなので、顔は見たくない。
「無いわ。あたしがルアに何を言うって言うの。いいじゃない、この小さな村で燻っていたくないって言っていたのは自分じゃない」
「それはそうだけど」
「じゃあ、あたしは何も言う事ないでしょ」
そこまで言うと、お店に他のお客さんが入ってきた。ルアはそれ以上何も言わずに店を出て行った。
姿が見えなくなる自然と溜息が出てくる。
余計なことを言わないですんだ、とりあえずまだ冷静でいられる。そのことに安心した。
行かないでって言ったって、絶対行くに違いない。ルアはそういう人だ。
なのに引き止めて欲しいなんて虫が良すぎる。だから、引き止めない。
パンを袋に詰めながら、そんなことを考えているともう一人の幼馴染のカラがお店に入ってくる。
陳列されているパンを見ている振りをしているけれど、明らかに例の件で話があるに決まっている。
大体、カラが店にきてどのパンを買おうか悩んでいる姿なんて見たことがない。
「ありがとうございました。またお願いします」
そう言ってお客さんにパンの袋を渡すと、案の定カラがレジの前にやってきた。
「ねぇササ、聞いた? ルアが王都に行くって」
やっぱり。そう聞いてくると思った。
「うん、さっき本人が言ってた。いいんじゃないの。本人は村を出たがっていたんだし」
「ちょっと。あんたさぁそれでいいの? ルアが王都に行っちゃったらあんたたち離れ離れになっちゃうんだよ」
「別に、たいしたことじゃないよ。騒いだからってルアが徴兵されることには変わりないし、あたしが何か言ったらルアが徴兵されなくなるって訳でもないでしょ」
ちょっと頬を膨らませて、カラが赤い顔になる。
「それであんたはいいの? その程度だったの? あんたルアのこと好きだったんじゃなかったの?」
まくし立てるように言うカラが少し疎ましい。正直放っておいて欲しい。
「じゃあ泣いて取り乱して、ルアに行かないでって縋り付けばいいの? それで何かが変わるとでも言うの。ばかばかしい。あたしはそんなみっともないことしたくないの」
火に油を注ぐだけだとわかっていても、そういう言い方になってしまう。
「みっともないって何よ。みっともないのが嫌なの? あんたその程度にしかルアのこと想ってない訳ね」
一度溜息をついてから、カラの顔を見た。どうしてそんなにむきになるんだろうと思うくらい、真っ赤な顔をしている。
「カラ、ちょっと冷静になって。あたしが引きとめてもルアは絶対に行くって言ったら行くの。それに村長が決めたことをあたしたちが何か言ったからってひっくり返せるわけないじゃない。だから、何を言ったってしょうがないのよ」
「ササ……」
「行かないでって言うのは簡単だと思う。あたしは言えば楽になるかもしれない。でもルアは絶対に困ると思う。それだったら、突き放したほうがいいじゃない」
「それでも、行って欲しくないならそう言えばいいじゃない」
少し困ったような顔をしてカラが言う。
「言わないわ。だってそう決めたんだもの」
そう言ってカラに笑いかけると、泣きそうな顔でカラが笑った。
「あんた、損な性格だよね」
そんなことないよという言葉を飲み込み、ただ笑った。今はそうするしか心の平静を保つ方法がない気がしたから。
数日たって、ずっと顔をあわせていなかったルアがふらっとまた店番をしているときにやってきた。
ちょうどママと交代する時間を見計らったように来たので、内心「しまった」と思った。
隣の家に住んでいても、案外顔を合せないように出来るもんだと思っていたのに、向こうから来てしまうと逃げようがない。
「おばちゃん、ササ借りてもいい?」
何か言おうとする前に先手を打たれてしまって、ますますもって逃げようがなくなってしまった。
「ああ、丁度交代する時間だから構わないよ。晩御飯の仕度の時間まで返してくれよ。今日はササが食事当番なんだ」
「うん、わかった。んじゃササ、ちょっと用があるんだけど」
先に、借りるってママに言っておいて、あとから本人に断りいれるっていうのはどういった了見だ。
これじゃ適当な理由もつけられない。
「……わかった。ママ、エプロンここに置いてくね」
少し考えてみたけれど、今更断る口実も見つけられないので、しぶしぶ付き合うことにした。
ここ数日会わないようにしていたのが水の泡じゃない。
店を出て、ルアと並んで歩いていても楽しくない。というよりも、何で何も言わないのだろう。
人に用があるとか言っておいて、その態度は何なんだ。とちょっと腹が立ってきた。
何だって黙っているんだろう。言いたいことがあるならはっきり言えばいいのに。
村のはずれの水竜の祠の前に来て、初めてルアが口を開いた。
「こないだカラと話をしたんだ。ササがどう思っているか、聞いた」
余計なことを話したな、とカラのことを思い出してまた腹がたった。
「それで、カラは何て言ってたの」
どうしても、口調がきつくなる。
余計な事を言ったカラにも、わざわざ問いただしにきたルアにも腹がたった。大体、カラにとって他人事なんだから放っておけばいいのに。
「ササは、俺に行って欲しくないって言えないって」
返答に困っていると、畳み掛けるように言葉を繋ぐ。
「俺、気付かなくてごめん。ササがそんな風に思っているなんて知らなかった。行って欲しくないと思ってないのかと思ってたから、俺もむかついて、お前のこと避けたりしてたし」
え、何言っているの。
こっちが避けていたつもりなんだけれど、私ルアに避けられていたの?
しかも「行って欲しくないと思ってないから」という理由で?
そう、口まで言葉が出そうになったけれど、更に言葉が続いて何も言えなくなってしまった。
「本当にゴメンな。俺もお前にちゃんと話をしなかったのがいけないんだよな。ちゃんと話し合う機会が必要じゃないかと思ったんだ。お前の気持ちもちゃんと聞いてないし」
あたしの気持ち?
また欲しい答えと違う答えを言ったらむかついて、ずっと避けるのかな。
ふと意識が自分に向いている間に、耳から言葉は入ってくるけれど、聞き流すようになっていた。
欲しい答えって何だろう。
「なぁ、ササ。お前、俺に行って欲しくないんだろう?」
急に言葉が意識の中に入ってきた。その言葉の意味を理解するのに、一瞬の間が必要になったけれど、次の瞬間には頭に血がのぼってきた。
行って欲しくないんだろうって。
仮に行って欲しくないと思っていて、王都には行かないでって言ったって、絶対に行くことをやめたりしないくせに。
なのに「行かないで」って縋り付いて欲しいなんて、虫が良すぎる。そういえば惨めになるのは、あたしじゃない。
「どうしてそんなこと聞くの。聞いて何かが変わるの」
「え。お前が言えないっていうから聞いているんだけれど」
イライラする。癇に障る。
「言わせれば、ルアが満足するだけでしょ」
何なんだよと声を少し荒げながら、ルアが腕をつかむ。その手を振り払うと、自然に両手のこぶしに力が入る。声も自然と大きくなっていく。
「行かないでって言えば、あんた行かないの? そうじゃないでしょう。そう言われたって行くんでしょう」
何か口を挟もうとするのがわかったけれど、そんなことはどうでもよかった。
「前にキナ兄ちゃんが徴兵されたときだって、あんなに行きたいって大騒ぎしたくせに。絶対行くくせに引き止めて欲しいなんて、何で言うのよ」
ルアの目に苛立ちが浮かんできたのが判った。
「勝手なこと言わないで。放っておいて」
そう言い切ると、もうルアの顔さえ見たくなかった。
目を逸らして水竜の祠に目をやった。それはもう何も話すことはないというアピール。
それに気がつくかどうかは判らないけれど。
「何なんだよ。お前にとって俺はその程度なのかよ。わかったよ。俺は王都に行くよ」
頭の中で何かが弾ける音がした。
「判断を人に求めないで。自分で決めることでしょう。あたしが行くなって言ったってどうせ行くくせに、人のせいにしないでよ。あんた勝手なのよ。人の罪悪感を煽って、自分が悪くないって正当化して、何もかも人のせいにしないでよ。行くなら勝手に行けばいいわ。」
一気にまくし立てて、言い終えたら肩で息をしていた。
何か弁解しようと口を開こうとしたのか、それとも抗議しようと口を開いたのかわからないけれど、言葉を紡ぐことなく、ルアはその場から立ち去っていった。
これでよかった。惨めになるのはイヤだったから。
大きく深呼吸してから水竜の祠に入る。
水竜の祠の中には、水竜の住まう神殿に繋がると言われている水脈があり、滾々と水が湧き出している。きっと、今までもこれからもずっと変わらずここに沸き続けているのだろう。
湧き水を両手で掬って顔を洗う。
冷たくて気持ちがいい。高ぶった感情を落ち着かせてくれるような気がしてくる。
ポタポタと顔から落ちていく水滴の中に涙が混じって落ちていく。
下から湧き上がる水に涙の波紋が広がっていく。
その涙を消そうと、何度も何度も冷たい水で顔を冷やした。でも涙が止め処なく流れてくる。
それが悔しかった。どうしようもなく悔しかった。
ポタン。ポタン・・と涙が落ちる音が祠の中に響いていた。




