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Overlap  作者: 二つ葉
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20/27

~20~

 あたり一面、白いところに俺はいた。上も下も右も左も真っ白だ。地面に立っている感触はあるのに影はない。

ここは夢だと思う。でなければこんな世界はない。明晰夢からの脱出の方法は翔から教えてもらって知っている。寝ればここから出ることができるはずだ。ここはつまらない世界だ。まるで虚無の世界。ここはどこにも行けないような怖さがある。もうここから出たい。

 膝をついて、横になったはずだった。なのに俺は足裏に立っている感触があって、いつの間にか背中にあった床の感触はなくなった。もう一回横になってみたが、同じように俺は立った体勢に戻っていた。

 立ったまま寝るのはサラリーマンしかできないだろう。高校生になったばかりの俺には難しい。取りあえず目をつぶってみることにした。だが目の前は相変わらず白い景色のままだ。

 もし明晰夢から一生抜け出せないとしたら、俺は死ぬのだろうか。漠然とした恐怖につつまれる。この白い世界で俺は独りきりで死ぬ。

「     」

 声まで白く塗りつぶされたみたいだ。全く声が出ない。

「          」

「     。        」

「         」

 声が白い。俺はいつしか諦めた。もうこの世界を受け入れるしかない。ぽとっと何かがどこからか落ちた音がした。俺は足があるほうを見る。そこには一つの筆があった。拾い上げてみると、随分古い筆だった。毛がボロボロになっているし、持つところもがさがさだ。だが夢だからかこの筆を使えば何色でも塗れると思った。絵の具がなくても色を付けることができると思った。

 何色でもいい。赤でも青でも黄色でも塗ることができる。

 俺はここが心なのだと思った。俺の心の奥だ。今なら変えることができる。情熱の赤でも悲しみの青でも、お調子者の黄色でもなれる。すべてごちゃ混ぜに塗ることも、きれいな絵に仕上げることもできる。

 俺は笑った。その声も白く染まっていた。こんな世界に招かれたところで、今更赤にも青にもできるわけがないだろう。俺は白色で自分の身体を塗り始めた。影がない世界では俺は白の世界に溶け込む。足から塗って行って腰も白く塗る。胸を塗って左手を塗る。持ち替えて右手をそして顔を、頭を塗った。

 完全に白の世界に溶けた俺は、どこかで筆が地面に落ちる音が聞こえた気がした。



 ベッドの上にいた。携帯を取って画面を見るとアラーム十分前だ。嫌な夢を見た。あの明晰夢から抜け出すことができてよかった。背中にびっしりと大量に汗をかいていた。俺は体を起こしてベッドのふちに腰かける。

 今日は夏凪の家に言ってカバンを取りに行かないといけない。まだ早いだろう。お昼ぐらいにしよう。寝巻にしていたTシャツを脱いで、新しいTシャツに袖を通す。ヒヤッとした感触が気持ちよかった。

 母親はもう起きているようだ。一回から朝ごはんの匂いが微かにした。俺は部屋を出て階段を下りて居間に向かった。居間に続く扉を開けると、テーブルに父親がいた。俺を見てから壁にかかった時計を見て、また俺を見る。

「今日は早いんだな。いつもならあと15分は寝ているだろう」

「そういう。父さんこそ早いね」

「俺はいつもこんな時間だ。サイクルができているんだな」

 日曜に早起きしてもすることはない。学校もない。父親も会社がない。日曜ぐらいゆっくりすればいいのにと思う。

 俺は父親の向かいに座って、テレビをつけた。ニュース番組が流れる。ちょうど今日のニュースという一覧が出ていた。そこには俺らの事件の名前はない。もうブームが終わったのだろう。

「父さん。今日嫌な夢を見たんだ」

 俺はテレビの画面を見ながら父親に話しかけた。画面は名前の知らないコメンテーターか芸能人か何かが話している。

「そうか。どんな夢だ?」

「なんだろう。うまく言えない。ただ嫌な夢だった」

 俺がそう言うと、父親はまた「そうか」と言った。微妙な空気が流れる。それを破るように母親が朝食をテーブルに置き始めた。俺の前にもご飯を置き始めた。

「悪い夢なんて嫌だねぇ。そういうのって罪悪感から来るんじゃないの?ちゃんと宿題やった?」

「宿題はさぼってないよ」

 罪悪感か。俺は昨日の夏凪の話を聞いたときから、もしかしたら罪悪感に近いものをもったのかもしれない。俺はもう、あの殺人予告を出した犯人はわかっている。それはそうだ。発言にひどい矛盾があったからあの人しかないだろう。だがそれで俺はどうすればいいのだろう。

「今日は暇か?」と父親が訊いてきた。

「暇と言えば暇だよ」

 カバンを取りに行くだけだ。そしてそれは数分で終わることだし、夜でもいい。

「じゃあ釣りに行こうか」

「釣り?釣りってフィッシング?」

「おぉ直己は国際的だな。そうだふぃっしんぐうだ」

「まぁいいけど」

 特に否定する理由もない。父親と釣りをしていれば気も安らぐだろう。しかし釣りなどしたことがない。少し調べておこうと携帯を取り出す。ちょうどアラームが鳴ったので俺はそれを切った。

「じゃあこれ食ったら、さっそく行くぞ」

「早いね」とため息交じりに言う。どれだけしたいのだろう。父親にそんなな趣味があるとは聞いたことがない。もう早くしたくてしょうがないと言うことか。

 釣りのことを調べて最初のページに「釣りは朝早くがいい」と書いてあった。

「なるほど」と俺はつぶやいて、朝食にありついた。



 父親と二人で車に乗っている。俺は助手席に座っていた。外車ではないからもちろん左側にいる。これから行くところは釣り堀だ。車で30分ぐらいのところにあるらしい。父親のやる気の原因が昨日見たテレビの釣り番組に影響されたこともわかった。

「なぁなんか賭けるか」と赤信号で止まったとき、父親がこっちを向いて提案してくる。

「いいよ」

「じゃあ、そうだな。なんにするか」

「そうだね。とりあえず青信号だよ」

 俺がそういうのと同時に後ろからクラクションが聞こえた。父親は慌てたようにブレーキから足を放して、アクセルを踏んだ。車が急発進して体が後ろに持っていかれる。

「じゃあ、賭けは直己は今日の夢のことを話す、俺はラーメンをおごる。で、どうだ?」

 賭けの内容なんてどうでもいいものなのだろう。俺の夢はラーメンと同等ぐらいだと思っている。そんなわけがないだろう。不思議な夢だった。もっと価値がある。

「チャーシューメンならいいよ」

「いいだろう。じゃあチャーシューメンで味玉もつけてもいい」

 賭けの内容が決まったので、俺は頑張ることにする。携帯をいじくって釣りの知識を手に入れる。負けるわけにはいかない。

 ネットでいつの間にかマグロの部位の成分表示を調べていたら、釣り堀に着いた。看板に大きく鯉と書かれている。小さく下の方には金魚とも書かれているが、俺らがやるのはおそらく鯉の方だろう。

 受付で竿と練り餌を二組受け取って、俺は先に釣り堀となっている方に向かう。小学校にある25メートルプールのようだ。ただ水が深緑色になっているので、底が見えない。三人ぐらいの男が散り散りに座っている。長椅子は用意されているみたいだ。近くの男を見ると、釣った魚をすくいあげるためだろう、たも網を横に置いている。他の人も同じたも網を持っていた。

 俺はだれもいない側に座って、あたりを見渡してみる。入り口の近くにたも網が乱雑に置かれているのが見えたので、取りに戻る。ちょうど父親がこちらに歩いてきた。

「おう。じゃあ早速やるか」

 俺は網を取って、竿を置いた場所まで案内した。

「やり方わかんないけど」

「俺もわからん」と父親は言う。置いてあった竿から一つ取って、上に掲げていた。どうやら浮きがついて、その先に針がもうすでについてある。針に練り餌の塊から小さくちぎってつければ完成だろう。父親もそう推理したみたいで練り餌をちぎって丸め針につけた。それを前に投げる。

 水面にポチャッと落ちて、ゆらゆらと落ちていくのが見えた。すぐに濁りで針と餌は見えなくなる。浮きだけが水面に半分だけ顔を出していた。俺も真似して針に練り餌をつけて父親の隣あたりに投げ入れる。

 二つの浮きが風で揺れる水面を漂う。

 じっと待つのが釣りだと素人ながらに思う。竿を両手で持って動かないように固定した。浮きを凝視して、あれが水面に潜るのを待つ。

 遠くでパシャッと水が跳ねる音が聞こえた。音の方向を見ると、左斜め前の男が鯉を釣り上げていた。たも網で水中にいる間にすくいあげ、片方の手で鯉を掴み、もう片方の手で針を取っているみたいだ。その後鯉はプールのふちにかけていた網に入れている。なるほど釣った後は入れる場所があるのか。その網を探してみると、後ろのフェンスにかけてあったので、それを取って同じようにふちにかけた。

 その後その男は練り餌をつけて、水面に投げた。俺らはとりあえず間違えてはないみたいだ。

「早く俺も釣れないかな」と父親が言う。まるで子供みたいだと思った。俺は同級生と釣りに来ている気分がした。

 父親の方の浮きが沈んだ。それを見逃さなかった父親は勢いよく振り上げる。だがそこには鯉の姿はない。ただのオーバーアクションをしているはしゃいだ父親の姿しかなかった。

「何故だ」と驚愕の顔。俺は先ほどネットで手に入れた知識を教えることにした。

「父さん。一回目の沈みじゃなくて、二回目、三回目と我慢するんだよ。それで、強くグイィーっと引っ張ったときにあげるんだよ。こんなの常識だよ。恥ずかしいなぁ」

 父親は俺の方を見て、真剣な顔になり「それぐらい知っている。今のは悪い見本をお前に見せようと思ってな。こうしてはいけないんだぞ。そして他に何か知っていることはないか?」と言った。

「なるほど。反面教師をしてくれてたのか。気付かなかった。そして俺が知っている情報はもうないよ」

 練り餌を再びつけて、俺の横にポチャッと落とした。さっきのオーバーアクションでここに居た他の鯉もびっくりして逃げたことだろう。ちょっとは待たないといけない。

 ゆらゆらと揺れる浮きを見ていた。ふらふらと楽しそうに水の上を浮いている。ああいう風な人生はきっと楽しいだろうと思った。水面に揺れるような人生だ。ただあの浮きは上からも下からも繋がれて、自由な時間はいつ終わりが来るかわからない。それでも今は楽しそうにぷかぷかと浮いていた。

 俺の浮きが少しだけ沈んだ。再び浮いてきたと思ったらまた沈む。次がチャンスだ。俺は次の沈みで釣り上げることにして、少し腰を浮かした。上に上げやすいように少し前に出した。

 ただいくら待っても浮きが沈まないので、俺は浮かした腰を下ろした。ゆっくりと上にあげてみると先端には針しかついていない。練り餌がいつの間にか消えていた。

「餌だけ食べられてるな」と父親から冷静なツッコミを食らう。

「まぁ、最初は油断させないとね。ほら最初から針で釣り上げていたら鯉も嫌がるでしょ」

「さすが。直己は目の付け所が違うな」

「・・・まぁね」

 俺は餌を付け直して、水面に投げた。また餌の重みで針は落ちて浮きだけ水面に残った。

 しばらくするとまた俺の方の浮きが沈んだ。今度はタイミングを合わせて三回目で竿を上にあげる。ぐっと抵抗を感じた。ぐいぐいと水の中に竿を引っ張られる。俺は竿を両手で持って上に引き上げようとした。父親は素早い動きでたも網を水面近くで準備してくれている。

 竿が引っ張られながら振動を感じる。振動は糸から来ていた。それはきっと繋がれた鯉から発生したものだろう。釣り上げられまいと必死に体をくねらせているだけなのかもしれない。ただ俺はこの振動に命を感じた。釣り上げても俺は殺さないようにすぐに針を外して網の中に入れるだけだ。

 鯉の力が男子高校生にかなうわけがない。竿を上に持って行って、鯉を水面近くまで持ってくる。それを父親がたも網ですくって、陸まで持ち上げた。ぴちぴちと針と糸が付いたままコンクリートの上を跳ねる。このままだと死んでしまうのは確実だ。竿を置き、たも網の近くに座って鯉を掴む。俺は針を抜こうとしているのに、手の中の鯉は手から逃げようと必死にもがいていた。口にかかっている針をつまんで引っこ抜く。そしてプールにかけてある網の中に入れた。水に戻った鯉は下に行こうとしたが網で遮られて戻ってきた。こいつはもうぐるぐると網の中を泳ぐしかないだろう。

「これでとりあえず一匹だね」

「だな。この調子でバンバン釣ろう」

 俺は座って針に餌をつける。そしてまた二人肩を並べて浮きを眺める作業に移った。

 鯉を触った感触は冷たかった。生き物じゃないくらいに冷たい。お刺身みたいにひんやりしていた。魚は変温動物だから当たり前かもしれないが、それでも釣り上げるときに感じた振動とは大違いだった。

 あれから浮きは一向に沈むことはない。小一時間は魚が食いつくことはなかった。俺らはたまに餌がついているか確かめたり、ふやふやになった餌を付け替えたりをしているだけだった。

「なぁ。直己」と親父が声をかける。飽きたのだろうか。俺は少し飽きかけている。

「どうしたの?」

 三人いた男はに十分前ぐらいに一人かえって、さらに十分前に一人帰った。今は俺らからかなり遠いところに男が一人座っている。

「俺もな。二十歳ぐらいに親友を亡くしたんだ」

 親父は最初からこの話をするつもりだったのだろう。むしろこの話をしたいがために釣りに来たのかもしれない。

「そうなんだ」

「ああ、交通事故でな。ひき逃げと言うやつだ。結局いまだに犯人はわかってない」

 俺は親父の方を見た。親父は浮きの方を見ている。その眼はゆらゆらと揺れる浮きを映してはいないきがした。遠くの昔を見ているようなそんな表情だった。

「死んだときは、どうしてっていう感情で支配された。頭の中がごちゃごちゃだ。恨めばいいのか、泣けばいいのか、周りの人を支えたほうがいいのか。全然わかんなかった」

 パニック状態になっていたのだろう。俺は父親から視線をずらして浮きの方を見た。風が横から吹いて、水面を切るように連続的に波紋を広げる。

「もちろん。悲しかったし、ひき逃げしたやつを殺したいほど怒った。でもどうしたらいいのかわからなかった。直己も今、そうなんだろ?」

 確実に違う。そんな人間らしい人間じゃない。そういう殊勝な人じゃない。でも親に違うなんて言えるわけもない。

「そうかも、しれない」と言った。

「もしかしたらお前は今、自分を責めているかもしれない。どうして純粋に怒ったり悲しんだりできないんだって思っているかもしれない。でも直己は直己のまま、そのままでいいんだ」

 俺は何も言わなかった。何て言ったらいいのかわからないからだ。佐賀先生も父親もまるで俺が普通の人のように言う。この世界で俺のことを知っている人はいないのだろうか。それとも俺のほうが俺を勘違いしているのだろうか。

「父さん」とだけ言う。そこに続く言葉はない。

「釣りは、初めてしてみたが。心が無になるって感じがするな。こうして釣りを続けて心を落ち着けたらいい。お前に必要なのはたぶんこういう休養だ」

 俺は黙って浮きを見続けた。これが心を落ち着けることになるのだろうか。もともと冷静な俺の心はさらに落ち着いたら凍えてしまうかもしれない。

そもそも目に映る景色は水と浮きが二つ、釣り竿があって糸が垂れている。心が無になんてならない。無というのは今日の夢のような限りにないぐらいの白のことだ。こんな色であふれた世界なんてほど遠い。

「父さん。今日の夢は白い世界だった」

「おいおい。夢の話は賭けに俺が勝ったらだろ」

「そうだったね」

 口をつぐむ。俺が黙ると父親も黙った。冗談のつもりで返事をしたのかもしれない。

「さぁ釣りを続けようか。白い世界か。勝つのが楽しみだ」と父親は言った。そして竿を上げて餌がついていることを確認して、またそのまま水の中に落としていた。


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