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国語が終われば、昼休みが来る。チャイムが鳴ると購買に走る人や学食に向かう人であたりは一瞬にして騒がしくなる。その騒音で起きたかのように寝たふりから夏凪は顔をあげた。後半の三十分ぐらいで、平常の顔を取り戻したようだ。
「昼どうする?」と俺は翔に訊く。二木はまだ俺に対して不満を持っているようだった。授業中に夏凪と手紙みたいに紙をやり取りしていたことも一枚かんでいるだろう。翔は調子がいいやつだから、俺が訊けばのりのりで答えてくれる。
「いつものとこでいいだろ」
「屋上か」
高校に入ってすぐに翔が屋上の鍵を入手した。卒業した先輩から譲り受けたものだとか言っていた。屋上は普通の生徒は入れない。自殺防止のためだ。天井がないし広々使えるため、昼食などによく利用していた。だけどいろいろと制限もある。先生にばれたら使えなくなってしまうため、まず下から見られる可能性があるからフェンスに近寄らない。また誰にも言ってはいけない。出入りするときも普段使われないような校舎の隅の階段を使うこと。
こういったばれないための約束で、より秘密基地的な楽しさを増していた。今までだいたい雨の日や学食で新メニューができたとき以外はここで昼食をとってきた。
「じゃあ、屋上行くか」と二木が夏凪を誘う。必要もないのに手を差し出して、椅子から立ち上がらせようとした。
「ごめん、パス」
夏凪はその手を払いのける。二木は悲しそうな顔をして、おずおずと下がった。夏凪にも予定があるのだろう。それがたとえ、新しい女子友達を作ることでも俺らは邪魔してはいけない。仲間内で一人が居なくなったのなら、新しい距離感を見出す必要がある。それでも残った俺らの縁はあり続けるだろう。
「じゃあ、今日は三人でいいか」
翔はそう言って、俺と二木の二人を教室から連れ出した。いつもの人通りがない階段に向かっている途中、翔がつぶやいた。
「夏凪はきっと、思い出があり過ぎる屋上に行きたくないんだな。まだ二日しか経っていないし」
翔の推測は俺のと違っていたけれど、そっちのほうが随分優しいものに聞こえた。本心は夏凪しか知らない。もしかすると夏凪も自分の心の内が分かっていないのかもしれない。
俺はそのつぶやきに何も返さず、二木も無言を貫いていた。
屋上へ続く扉を開けると、その踊り場いっぱいに光が差し込まれた。優しい風が吹き抜ける。乾燥した大気に、空が抜けるような青色の晴天。さわやかな秋晴れだ。
扉の近くの出っ張りに三人並んで座る。右から俺、翔、二木の順番だ。手に持っていたコンビニの袋からおにぎりとお茶を取り出して、右側に置いた。海苔を破かないように慎重におにぎりを包装紙から取り出す。最近のおにぎりは海苔がパリッとしている。しとっとした海苔も嫌いではないが、この鮭のおにぎりだったらパリッとしていたほうが好ましい。
一口おにぎりを頬張って軽く咀嚼したあと、お茶を口に含む。その味は今の空模様みたいだった。限りなく秋晴れのように無味乾燥。
同じような感想を翔も手に持っていたパンに感じたらしく、空を見上げて言った。
「死んじゃったんだな」
「そうだね。正確には殺されただけどね。まぁ意味は同じかも」
昨日のテレビは騒がしかった。街もうるさかった。近くで殺しがあったから、お祭りみたいにはしゃいでいるだろう。自分には関係のない大事件だから、いい話のネタになる程度にしかみんな思っていない。
テレビも高校生が殺されたことで、待ってましたとばかりに報道した。そうやってみんなで煽って煽って、熱が冷めてきたら新しい事件に飛びつく。いつもの俺らもそういう消費者だったが、今回ばかりは供給側になってしまった。
あと笑えることに警察は犯人の手がかりすらも見つかってないらしい。
「犯人。ゆるせねぇよ」と二木が言う。その言葉に説得力がありすぎて、苦笑いが出てきた。口の中がむずむずとして、お茶で洗い流さないといけないぐらいだった。
「許せないというけど、俺らに何かできることある?」
お茶を飲み込んだ後、翔を飛ばして二木に質問してみた。それに即答で「犯人を捜す。そしてその罪をつぐなわせてやる」と立ち上がって宣言された。
「警察も何も手がかりないらしいよ」
「だからって諦めろってか?」
「そうだよ」
仇討ちなんて今どき寒すぎる。簡単に二木は言うが、警察が全力で探しているのに見つからない状態で、俺らにできるわけがない。探偵のように頭脳明晰なわけでも、ドラマの主人公のように都合よくヒントが舞い降りてくるわけでもない。
「なさけねぇな。翔子のために何かしてやろうと思わないのかよ」
「ああ、あいつのために犯人をこらしめようとは思わない」
二木は首だけ右に回し、俺を睨みつける。そしてすぐに視線を上に持っていき、あの味気のない空を見上げてまた舌打ちをした。
青空に毒ついても意味ないだろう。二木は舌打ちを繰り返しながら前に進んだ。フェンスの方に近寄らないで屋上の真ん中をまっすぐ歩き、十数歩歩いたあたりで仰向けに寝っ転がった。両手を組んで頭の後ろに置いて枕にしている。
翔と俺は顔を見合わせて、二人して同時に肩をすくめた。二木の言いたいこともわかるけど、あれもまた俺らに対する悲しんでいるポーズにしか見えなかった。本当に憤っているなら一人でも行動に移せる。
ご飯も食べずに、寝ている二木を俺らは眺めていた。
「名前が同じだったのになぁ」と翔が突然言いだした。翔と翔子のことならば似ているというべきだと思う。それでも俺は、
「これからは独占できるね」と言った。
「そうだなぁ」
翔はパンをかじっては長いこと口の中にとどめて、思い出したかのように飲み込む動作を繰り替えてしていた。俺のおにぎりも三つあったのに、いつの間にか残り一つになっている。のんびりとした空気になった。
トンボが二匹、屋上よりももっと高いところを飛んでいた。悠々と飛行して、二匹でじゃれあっている。そこに一匹が合流して、今度は三匹で楽しく飛んで行っているみたいだった。
「なぁ、翔。なんか面白い話をしてよ」
手持無沙汰になって翔に無茶ぶりをしてみた。翔はだいたいこういう無茶ぶりに対応してくれる。今回も翔はのってくれた。
「そうだな。これは今日の夢なんだけど。明晰夢を見たんだ」
「めいせきむ?」
「そう。夢なんだけど、『ああ、これ夢だな』って自覚できるんだ。そういう夢を明晰夢と呼ぶんだけど」
翔は食べかけのパンを袋にしまって、さらにコンビニの袋に突っ込んだ。代わりにスポーツドリンクを取り出して、ゴキュッと喉を鳴らして飲む。
「どんな夢だったの?」
「ウルトラマンがいたんだ。クラスに普通に座っていて、しかもサイズも一般人サイズなんだ。目が合うとシュワッチって言ってくる」
結構シュールな光景が頭に浮かんだ。皆と同じく授業を受けて、ちょこんと座っているウルトラマン。身長も一般と同じぐらいなら、もう全身ぴっちりとした赤タイツを着ている男性みたいなものだ。
「夢は一場面じゃなくて、映画みたいに次々とシーンが変わるんだ。俺は夢だとわかっているし、ウルトラマンに違和感がすごいあったんだけど、みんな何も思っていない。当たり前のように受け入れているんだ」
「へぇ。どういうストーリーだったんだ?」
「基本的に過去と同じなんだ。でもウルトラマンがいる分だけ違う。最初は新学期が始まって、全校集会で普通にウルトラマンが前の方に並んでいた。きっちりと背筋は伸びていたよ」
前の方にいたと言うことはウルトラマンの身長は翔よりも小さいのか。翔が大体175センチメートルぐらいだから、165ぐらいになる。夢だけど、夢がないな。
「それで、普通に授業受けるんだけど、あいつシュワッチしか言わないから、国語とかも大変だった。数学も」
ウルトラマンに教科書の朗読は酷なものがある。ウルトラマンも本当は話せるのかもしれないけれど、俺も翔も詳しくはない。テレバシーなどで地球人と話しそうだ。テレバシーで朗読されても先生も困るだろう。
「そしたら、その、翔子が殺されて、その日もウルトラマンがいたんだ。俺はふとウルトラマンが仲間の死についてどう思っているか知りたくなってな。訊いてみたんだ。それでもあいかわらず『シュワッチ』しか言わなくて、俺はついイライラして『いい加減にしろ』 と言ったんだ。するとウルトラマンはおもむろにペンとノートを取り出して書き始めたんだ。そして俺に見せるんだよ」
翔は興奮しているように話している。確かにウルトラマンの意見は気になる。あいつはいつだって正義で、悪役を倒しまくっている。悪役は光線で爆散しているし、どういうつもりで死について考えているのか知りたい。
俺は姿勢を正して翔の方に向き直る。そして翔の言葉を待った。翔はもったいぶった様子で言う。
「あいつは、大きな文字で『シュワッチ』って書いて渡してきたんだ」
「がっかりだよ!」
これが翔の夢であることを忘れていた。夢の中でもふざけ倒しているのか。明晰夢ももう関係ない、いつものネタみたいだ。
どうせ最後のオチは翔の作り話だろう。だが夢を見たのは本当だと思う。明晰夢。夢と自覚できる夢か。夢と分かっているなら普段と違うことだってできる。翔みたいに過去をもとにした夢だったら違う可能性を知れる。
「そういえばどうやって夢から覚めたの?」
「ああ、夢で寝たら起きた」
「夢の中で幾日か日を跨いていたんじゃないの?」
翔の話ではまず新学期の集会があって、それからあいつが死んだ11日まで過ごしたことになっている。少なくとも10回は寝ているはずだ。
「夢の中だと、いつの間にか場面が変わっているんだ。最後に明確に自分の意思で寝ると、夢から覚めるみたいだった。まぁちょっと長い夢だったな」
「じゃあ、いつまでも夢の中で寝なかったら、幸せな世界にずっと居れるのかな」
寝ないで、永遠に夢の中。
翔は俺の願望を聞いて、「さぁな」と答え、残ったスポーツドリンクを飲み干した。空になったペットボトルを二木の方に投げた。風もなく、角度も速度もちょうど二木に当たりそうだった。
まだまだ昼休みは長い。この空気から逃れるため、俺は寝たふりをしようと少し横になることにした。翔に背を向けるように寝っ転がってひじを枕にするように腕を曲げた。カランとペットボトルが屋上の風化したコンクリートにあたる音がした。二回バウンドした音が鳴って、それからカラカラと少しだけ転がったみたいだ。
目をつぶるが、瞼ごしでも日差しを感じた。まぶしくて右目だけ開けてみた。すると、遠くでトンボも二匹まぶしそうに地面の方に下りて行った。




