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Overlap
近くでアラームが鳴っている気がする。それと同時バイブ音も聞こえている。これはたぶんいつもの目覚ましの音だ。
俺はうつぶせになっていた。左腕が俺の額の下敷きになって、少ししびれを感じる。いつものように手を頭の上の方に持って行って、あたりを探ってみるように叩く。軽快な木を叩く音がした。少しずつ手の位置をずらしても、つるつるとした触感しかない。
体のほうに携帯がある可能性がある。上で机を撫でていた右手を今度は下の方に動かしていく。すると右手が宙に放り投げだされた。宙ぶらりんになった右手は俺のふくらはぎに当たる。どうやらここは机みたいだ。椅子に座ったまま寝てしまったのだろう。
だんだんと意識がはっきりしてきた。右足のふとももの上が震えている。だらんとした右手に力を入れてポケットを探った。携帯のアラームを切るぐらい見なくてもできる。慣れた手つきでボタンをいじくってアラームを切り、机の上に置いた。単に切っただけなら、スヌーズ機能で五分後にまた鳴る。もうすこし惰眠をむさぼっても誰も何も言わないだろう。
「起きろ、直己」
親友のささやく声が聞こえた。こんな声をアラーム音に設定していない。最近の携帯の機能の進化は目まぐるしいと聞いたことがある。人の声を使って起こしにかかってきてもおかしくないか。
「いつまで寝る気かね?」
今度は先生の声が聞こえた。担任の先生だ。携帯もよくこの人を知っているものだ。きっと親友に続いて先生の声を出して、数学の授業中を演出しているのだろう。昨日ねぼけてアラームの設定を「数学」にしてしまったのかもしれない。
バシッと頭にたたかれた。頭を通ってしびれている左腕に衝撃がきて、俺は一気に覚醒した。顔をあげると、クラスの全員の注目を浴びていたことに気付いた。あからさまなため息が聞こえて、横を見上げると呆れた顔をしている先生がいた。
「おはようございます」ととりあえず言ってみる。
「おはよう。いや、長いこと高校で先生を務めているけどな。そりゃあ、居眠りする奴は多いよ。でも目覚ましをかけて眠ったやつは初めてだ」
あたりで失笑が漏れる。どうせなら大爆笑を起こして欲しいものだ。
「ほら、寝ちゃうと授業の終わりまで寝てしまうから、途中で起きたほうがいいでしょう」
先生に軽口をたたきながらクラスを見渡す。真横で先ほど俺を起こそうとしてくれた親友は腹を抱えていた。周りに気を使っているように声を出さずに笑っている。
「そりゃそうだ。直己は賢いなぁ」
目が合うと相変わらずの皮肉を言ってきた。さっきの先生の発言よりは周りをわかせている。
「まぁ。そういうことで。せっかく起きたことだし先生、授業を続けてください」
言い終わると、この言葉を待っていたかのように授業の終了のチャイムが鳴った。先生は無言で軽く頭を小突いてきてから、教卓の方に急いで戻った。生徒たちはすでに教科書をしまい始め、俺に対する興味は失せたようだった。
「今日の授業はここまで」と残し、先生は足早に教室を出ようとする。去りゆく姿を見ていたら、花瓶が目に入った。右の斜めの席に花瓶があって、そこに一輪の丸みおびた花をさしてある。百日草というらしい。最初に見たときは何て白い花なのだろうと思った。でもいつの間にか茶色くなっていた。
「さっきはすごいボケをかましてたなぁ」
見つめていた花瓶の席から一つ後ろに視線をずらす。真横の席からまた俺をからかうのは翔だ。
「ぼけたつもりはないけどね」
一応意味はないと思ったが訂正をする。まだ花が気になってちらっと見ると、翔はその動きに気付いた。翔も花瓶に刺さっている花をみた。
「あれって、最初結構白かったよね」
「まぁな」
悲しんだ誰かが買ってきて、さらに花瓶も持ってきてあそこに置いたのだろう。誰が置いたかは知らない。でも、こうも変色しているとまるで本当は悲しくないみたいだ。悲しくはないけれど、私は悲しいですよとアピールをしている感じがする。もちろんアピール相手はその机の主じゃなくて、俺ら他のクラスーメートだ。
「もう死んで、三日か」
「二日だ」
翔が俺をたしなめるように言った。不謹慎な俺を非難するかのようだ。まっすぐに目を見てくる。俺は少しうつむいて、長い前髪を垂らし自分の目を翔から隠した。
「言い間違えた。三日目か」
「あんまりそういう数え方はしないけれどな。そうだ、直己、どうしてあの花がすぐに変色したかわかるか?」
水を入れ替えてなかったか、切り口をうまく処理しなかったから。正解はきっとそうだけど、答えはきっと違う気がする。
「わからないよ」
「それは最初からいたんでいたからだ」
そういう意味か。翔の顔がイラつくほどに誇らしげだったので、言われる前に言うことにする。
「どうせ哀悼のための花だからだろ。花を選ぶ時からすでに悼んでいたわけ。はいはい。おもしろい、おもしろい」
なげやりに称賛をおくる。一ミリたりとも面白いと思えなかった。不謹慎なのはどっちだろうか。
翔と俺ですらもう悲しんでいない。翔はもしかしたらようやく立ち直っただけなのかもしれない。やっとあいつの死を冗談にできるようになったのかも。俺は最初から悲しくなんてなかった。一人死んだとしても、それがずっと仲良し5人組の一人だとしても、悲しみは襲ってこなかった。襲いもしなければ歩いて尋ねてくることもない。俺の方から悲しみに会いに行くことすらしなかったから、結局いまだ悲しみはない。
「ぜんぜんおもしろくないけれど」
背中にピリッとした痛みと同時に後ろから声がした。振り返ってみると、シャーペンをがっちりと握っていたまま、仏頂面の少女がいる。俺の後ろの席の少女、幼馴染の夏凪だ。翔がさっき俺に向けた表情と似ているが、本当に非難しているように感じた。
「直己も翔もさ、翔子が死んで悲しくないの?あんだけ一緒にあそんだのに」
そんな冗談言うなんて悲しいよ。そんな感情が伝わった。
翔は俺の方を見て、夏凪と一緒になって俺を責めているような顔をしている。こういう時の変わり身が早い。そもそもこいつがくだらない冗談をしてきたはずだ。いつの間にか二対一の構図になっている。
「そうだ、お前はひどいやつだ」とさらに相手に加勢する人が現れた。翔の後ろの席から、つまり俺の右後ろで、夏凪の隣だ。さっきまで話に加わろうともしなかったのに、夏凪が加わった途端、入り込んできた。
俺は無表情を装って、無理やり入り込んできた二木真太を見る。いつの間にか三対一だ。
「ちゃんと悲しいよ。でも、そろそろ慣れるべきだよ」
「なれるって、まだ二日しかたってないのに?」
「そう」
どうせ俺らが取れる選択肢なんて慣れるか、忘れるかしかない。悲しんでないのに悲しむふりをするほうがよっぽどひどい。あの花の現状を見ればわかる。そんな取り繕った悲しみはすぐに脆さを露呈してしまう。
「ねぇ。ほんとうに死んだんだよ。ほんとうだよ。うそじゃないんだよ」
夏凪はシャーペンを強く握り過ぎて、掌が白くなっていた。まだうまく処理できてないのだろう。俺は椅子を跨ぐようにして、体の向きを変える。正面に夏凪の顔がある。俺はそれを見て、少し嫌な気持ちになった。その小さな感情はイラつきが多く混ざっていた。だから仕方なく、夏凪の両頬を掴むように顔を右手でがちっと挟んだ。
口がタコのようにつぼみ、話せなくなったようだ。
「なにをやってんだ」二木がさっきよりも強く俺を責めるように怒り、すぐに放しにかかった。それほど強くは挟んでいなかったので、すぐにはがされる。
「なんなの?」と夏凪は怒った様子はない。
「なんだろうね」
「『なんだろうね』じゃない。さっきの行動を説明しろよ」
二木はあいつの死を俺が不謹慎に扱った時よりも怒りをあらわにし、詰め寄ってくる。見上げると、しわが寄っている眉毛が目に入った。熱が入った目を受けたので、冷めた目で見返す。そして花瓶に飾られたもう茶色くなっている百日草を指して言う。
「お前は、あの花に似ているね」
「話をすり替えるな。説明をしろ」
二木は尚も質問をもとめてきたが、すでに話は変わっている。
「意味なんてないよ」と俺は手を振って無罪を表明するように言った。
二木は夏凪の方を盗むように見て、俺の方に小さく舌打ちをしてから自分の席に戻った。わずかな距離だったが、その背中を三人は見ていた。
二木が座り、こちらに顔を向けると同時に、教室の前の扉から先生が入ってきた。俺はすぐに前に向き直り、授業の準備をする。背中にひりひりと視線を感じていたが、無視するようにのんびりとカバンから教科書をだした。
数学の次は国語の授業だ。高校に入っても教科書の朗読をさせられる。こういう人前で恥ずかしいことを強制的にさせられるのは中学校まででいいだろう。一人一人朗読をしあって国語力が上がるわけでもないだろう。すこしだけメンタルが鍛えられるだけだ。
「じゃあ、今日は9月の、えーと、13日だから出席番号13番の人から」と先生が言う。お決まりの文句だった。すでに13番の人は立ち上がる準備もしていて、先生が言い終わるとすぐに立ち上がって、声を出して文章を読み始める。
13番の人の席からここは遠い。今日は当たることはないだろう。教科書を読むふりをして過ごすことにした。ぼんやりと記号みたいな文字だけを見ていると、俺の左横から手が伸びてきて一枚の紙を俺の机の上に置いた。きれいに切ってあったノートの一ページだった。
「ひどいよ」
その一ページの一番上の行にシャープペンで四文字だけ書かれていた。裏面を見ても他に何も書いていない。渡してくる紙に対して、文字の比率が少なすぎる。返信を期待していると思い、俺は、青いボールペンで「ごめん」と次の行に書いた。
そして先生にばれないように後ろに紙を持っていく。すぐにつまんでいた紙が引っ張られる感触があったので手を放した。少ししてまた紙が俺の机の上に届く。
「ほんとうに悲しくないの?ずっとなかよしだったのに」
赤とピンクの中間みたいな色の文字だった。夏凪の好きな色だ。女の子らしく丸まった文字で、ひらがなが漢字よりも小さく書かれている。それに比べて俺の字は無骨だ。角ばっていて、よく言えば味がある感じ。端的に言えば雑だ。
また青い字で「それは悲しいけど」と書いた。そして夏凪に後ろを見ずに渡す。
人が死んで、悲しまない人は最低というのがこの世の風潮だ。もっと言えば悲しそうにふるまうほうが、周りからの同情を得ることができて得をする。なら、悲しまない手はない。けれど本当にそれでいいのだろうか。確かに悲しいふりをしたほうが得なら、それを使うに決まっている。夏凪に対しては悲しむふりをしたほうがいい。
でもあの百日草みたいになりたくはない。
「『けど』なに?つづきがあるの?」
夏凪はそう返してきた。俺は続きを考える。
「悲しいけど、周りに心配をかけたくないから」
必死に探した結果、こんな名文を考え付いた。俺は自分の書いた文章に感動し、思わずニヤリとしてしまう。これが授業中でよかった。後ろを向いたままこの紙を渡せるから。
紙を送ると、後ろから息をのんだ音がした。うまく俺をアピールできたみたいだ。筆箱をあさっているのか、うしろからガサゴソと聞こえてきた。それが終わって次に紙を渡されたとき、最初の『ひどいよ』が消されていた。そして俺の名文の後に一行空いてから、「ね、ことしの夏まつりおぼえている?」と追加されていた。
今年の夏祭りは五人全員でいった。去年はみんな受験だからやめようとなって中止にした。皆で同じ高校に入りたかったからだ。俺、翔とあいつは学力的にこの高校は余裕だったが、二木と夏凪が危うかった。三人でいってもつまらないと言って、俺らはやめた。
「覚えているよ」と書いて渡す。
夏凪の返信を待っていると、一人の人が朗読を終えて、次の人にパスしていた。その次の人も終わる。さっきまでと違って、長い時間をかけているみたいだ。ようやく渡されたとき、俺の机に置く手が少しだけ震えていたような気がした。
「たのしかったね。やたいまわって、わたあめ買って。リンゴあめ買ったら、直己によこどられて。最後に、おおきな花火を見て、来年もまた見ようねって。さ来年はまた受験だからどうしよっかって。こんどはおなじ大学はむずかしいねって、笑っていいあったよね」
途中から、かわいかった文字は歪んでいた。後ろでズッと何かが擦れた音がして、少し振り向いて後ろを見ると夏凪は机に突っ伏していた。
一応この返信を書こうと思い、ボールペンを握る。でも、この震えた字を俺はまねできない。悲しみを表現する文字の震えは造り出せるわけがない。これは本当に悲しんでいないとできない造形だ。
そもそも夏凪は寝たふりをしている。渡さなくてもいい。俺は青いボールペンを持って書こうとすると、そのペンが嫌がるように俺の手から落ちた。そのまま転がって、夏凪の足元まで行ってしまった。
仕方なく机の上にあるシャーペンを取って書くことにした。震えもなにもない文字で
「本当は悲しくなんかはない。けれど、後悔は少しあるかもしれない」と付け加えた。
赤と青の会話のやり取りの中で、黒の文字はひどく寂し気に見えた。だから夏凪が消したように俺も自分でその一文を後半だけ消して、自分のカバンの中にしまった。




