~18~
太陽がようやく謙虚になりだした。日差しを照り付けるのをやめて、わずかな雲に隠れる。屋上は風が優しく吹いていて、俺は少し肌寒く感じた。夏凪は少し遠くに立って空を見上げている。俺はそうしている夏凪を見つめていた。
僕らは変わってしまった。高校に入ったときはこうなるとは思っていなかった。僕らは今、ギリギリのバランスの上に立っている。少しでもつつけば関係は簡単に崩れてしまう。そんな気がする。これから先、安定することはあるだろうか。時間が僕らを戻してくれるだろうか。
「夏凪は悲しいだけなの?」
二木は怒っていた。殺すとまで言っていた。翔も翔なりに怒ってはいた。夏凪はどうだろう。見つけたいとはいうが、見つけてどうするのだろう。
「うん。そうかも。不思議とそれいがいは浮かんでこない」
「見つけたらどうするの?」
夏凪は俺に背中を向けて上を見続けている。上に何かあるのだろうか。俺には雲に隠れた太陽しかないように見えるけれど、もしかしたら天国があるのかもしれない。夏凪はそれを見ているのかも。
「みつけてもなにもしない気がする。ただ顔はよくみさせてもらうかな。どんな顔をしているのかみたい」
夏凪らしい答えだと思った。でもどうだろう、これは歪だ。俺が歪なのも知っている。けれど夏凪も負けず劣らずの狂い加減だ。怒るほうが正常だ。それをただ受け止めるだけなんて、悲しむだけなんておかしい。
「ねぇ」と夏凪が言う。「なんかつまらない話してよ」と無茶ぶりをしてきた。
風が吹いても、太陽は顔を出さない。夏凪は相変わらず空を向いている。急につまらない話をしてと言われてもなにを話せばいいだろう。思い出話を期待しているのか、それともほんとうにどうでもいい話を望んでいるのか。ただ会話を続けたいだけなのか。俺にはわからない。
つまらない話を思い出そうとして、あたりを見渡した。ここは屋上、つまらない話が落っこちていないだろう。急に頭の中で「シュワッチ」と翔の声がした。そういえばあれはつまらない話だった。あれでいいだろう。
「あの、これは翔の話なんだけど。夢ってあるでしょ。夜見るやつ。それで翔が夢にウルトラマンが出てきたらしいんだ」
「うん」と夏凪が相槌を打つ。
「ウルトラマンって『シュワッチ』しか言わないよね」
「うん」
「でも、その、夢がダイジェストになっていて。ずっとウルトラマンが居て。二学期の最初から、なんだけど」
「うん」
「あいつが死んだ時もいて、それで、シュワッチしか言わなかったウルトラマンが何言うか知りたくて、でも、その、シュワッチしか言わないから」
「う、ん」
「紙に書いてもらったんだけど。いや紙に書いてきて渡してきたんだけど。そこに」
「っ。うん。うん」
夏凪は空を見ている。泣きながら。
「『シュワッチ』って書いてあったんだ」
途中から泣き始めた夏凪に俺は気を取られ、話が上手くできなかった気がする。なんで泣いているのか。俺のグダグダの話が泣けたわけじゃないだろう。
「つまんないね」と夏凪は言った。俺は心の中で翔に謝罪をしておく。もともとくだらない話をさらにつまらなく話してしまった。
夏凪は小刻みに震えている。前に夏凪と屋上で二人きりになったときも泣いていた。屋上に思い出があるからか。いやきっと思い出が屋上で終わっているからだ。ここが思い出巡りの最終地点。まだまだほかにも探せばある。途中下車してみればあるはずだ。夏祭りの神社もあるし、お気に入りの洋服屋もある。でもここが最後なんだ。
頭の中に二つの選択肢が浮かんだ。デジャヴを感じる二つ。ハグかキス。どちらかをしながら、「俺が忘れさせてやるから」などと格好つける。そうすれば弱っている夏凪が俺になびくかもしれない。
俺は夏凪に近づいた。背中に忍び寄って、その華奢な背中を優しく抱き留めた。動揺しているのか、ビクッと震えたのが分かった。
「俺が」
言っていいのだろうか。そんなに格好つけたセリフを俺が言っていいのか。そんな資格が俺にあるとは思えない。もっと他にセリフを考えるべきだ。俺になびかないようなセリフ。優しいだけのセリフがいい。例えば「泣きたいときは俺の胸を使っていいよ」とかだ。
「泣きたい」とまで言ってやめる。
俺はいま背中から抱き留めているのに、胸を使っていいなんて言うのは馬鹿だと思われそうだ。一回はずしてまた抱きしめないといけない。他に言葉を考えよう。そう思っていると、夏凪が前に回している俺の腕をそっと掴んだ。優しく添えるように掴んできて、俺はもう言葉は必要ないと思った。
数分すると引っ込んでいた恥ずかしさが出てきた。同時に太陽が出てきて、上を見上げていた夏凪が勢いよく顔を下げる。俺は回していた手をほどいて、夏凪から一歩離れた。
「ごめん」と謝った。すると「こっちこそごめん」と言われた。それが頭を急に下げたことだと祈りつつ、もう一回「ごめん」と謝っておいた。
夏凪は振り返って俺を見る。正面から風が吹いて、夏凪の長い髪がこっちに流れてきた。それを耳あたりにとどめながら夏凪は俺を見つめる。もう一つの選択肢。それが頭に浮かんできた。
「夏凪」と呼ぶと
「直己」と返ってくる。
夏凪の目の色がいつもよりも深い黒色だった。ブラックホールのように光が戻ってきていない。俺もその眼に引き込まれそうになる。
「俺、帰るね」
「え?」
「だから帰る。これ以上いたら俺は人ではなくなる気がする」
「なんかに変身するの?」
「いや」
ただのひとでなしになる。
夏凪に背を向けて俺は歩き出した。後ろから引き留める声が聞こえてきたと思う。夏凪は純粋であってほしい。俺みたいな不純物が居たらいけない。
屋上へ続く階段を下りる。廊下の遠くで茶色の服が見えた。見間違いかもしれない。俺はどうするべきだろう。帰るとは言った。だが、殺人予告が出ている夏凪から離れても大丈夫なのだろうか。そもそも夏凪を一人にしていいのか。
ひきこもりを連れ出して、放置して帰ろうとしている俺はすでにひとでなしだ。だが一緒にいたら、俺はひどいことをしてしまう気がする。
茶色い服の人。そこにいるのならどうか夏凪のことをそっとしておいてください。なにか更に悲しませることをしないであげてください。心で祈っておく。
俺は茶色の服を無視して階段を下りることにした。なにかあったら、その時はそのときということで。




