~13~
廊下に続く扉が少し開いて、雄二が顔を出した。母親に寝なさいと言われたからか、パジャマに着替えていた。ペラペラの薄い生地で青に白いストライプが入っている。俺が着たら恥ずかしいのもあるけれど、寒く感じそうだ。しかし雄二は寒さなど微塵も感じていなさそうだった。子供は痛覚が未発達なのかもしれない。大人にならないと寒さを感じられないのか。それとも大人になれば寒いという表現を知るのか。
「ねぇ。暗号」と雄二は扉から顔を出したまま言った。
翔が手で招くと、子供らしい小さな足音を立てながらこっちに来た。開いている椅子は二木の隣で俺の前だけだ。雄二が椅子を引きずると、床とこすれる音が聞こえた。座ったあと、ポケットを探って紙を出した。テーブルの上に俺ら三人に見せるように広げる。
「暗号。あとちょっとだと思うんだけど」と誇らしげに言っている。
雄二が広げた紙を前かがみになってみてみると、ごちゃごちゃと色々と書かれている。高学年なだけあって読める字ではあるが、思考が乱雑なのか、紙の使いかあたが雑なのか、どこがどうなっているのかわからなかった。
「どこまでわかったんだ?」
「あの。まず『きのした』ってやっぱり『く』だと思うんだ。で、『く』って九でしょ。だからいちょうの九番目なんだ。それで『いちょう』を漢字にして『紅葉』。これの九画目は草かんむりの三画目になるから。『くさかんむり』の三番目で『か』だと思うんだ」
一生懸命説明してくれた。でも、言わないといけないことがある。俺は翔のわきを肘でつついて「おい」と言った。それを受け取った翔はうなずいてから、優しい声を出した。
「あのね。この『紅葉』ってモミジのことだよ。いちょうは『公孫樹』や『銀杏』って書くんだ。ちょっとペンかして」と翔は机に置いてあるペンを取って、雄二の紙に書いてあげた。確かにそこもひっかかるところではあったが、もっと他に言うことがあるだろう。所に書いてもらった漢字を見て「へぇ、そうなんだ。じゃあ九番目は」と数え始めていしまった。そこで俺はストップをかける。
「考えすぎじゃないかな。さすがに行き過ぎている気がする」
俺がそういうと、二木もうなずいた。そのあと俺と目があうと睨んできた。頑張っているとは思う。それはどうしようもないくらい無意味であろうと、その意気込みは伝わってくる。あいつが死んで、四日たった。これが雄二の立ち直る作業なら手伝ってはやりたい。
「でも、ないよ。他にどうしたらいいかわからない」
雄二はふてくされるように、紙を自分のところに戻して折りたたんでまたしまった。
「直己、場所はまだ思い出せないのか?」
「うん。全然だめだ。イチョウの木の下ではないことぐらいしか思い出せない。でも幼稚園生の行動範囲なんて知れたものだし」
「まぁ。そうだけどな」
翔は考え込むように顔を引いて手を当てた。親指で顎を撫でながら目を閉じている。このポーズは考えているときによくやっている。ただ、考え付くのは大抵冗談だけだ。ただ今回は何も思いつかないようだった。ずっと黙りこくっている。
「なぁ。そんなことより」と二木の方から聞こえた。「そんなことより、犯人を捜そう」
「いやだ」と言う声が重なって聞こえた。雄二と翔が同時で言っていた。
「どうして?」
「犯人見つけても変わらないから」と雄二が言った。
これ以上ないくらいの正論だ。ただ、それは怒りを堪えた先にあるものではないと思う。おそらく怒りを感じる前の考え方だ。きっと雄二がもっと大人になって、それこそ二木ぐらいの年齢なったときには同じことを言えないと思う。
「翔はどうして?」と訊いてみた。
「犯人を許せないからだ」と翔は言う。
「そうか」
翔はそういうやつだった。納得できた。翔は二木の方を見ていた。俺はその横顔を見る。鋭い目つきだった。横からでもわかるぐらいに鋭さがある。
「犯人を許せないなら見つけるべきだ」と二木はやはり意見を変えない。
「見つけてどうするんだ?殺すのか?」
「ひどいやつだったら。そうなる」
当たり前のように、そして簡単なことのように二木は断言した。
「そうか。確かにお前だったらやるかもな。でも俺は無理だ。殺せない。殴れもしない。悲しさが募って、たぶん急性胃炎になるだけだ」
何か言うべきだろうか。翔はまじめな顔をしているが、おそらく冗談の類だろう。ストレスを強く感じると急性胃炎になる。社会人の4割ぐらいしか知らなそうな、知識だ。どうやって返したらいいかよくわからない。
「じゃあ、探すとしたら胃薬持たないとね」
「大丈夫だ。一応常備している」と翔は懐から包装された錠剤をだした。懐に入れていたあたりが翔らしい。俺がこう返すことを想定していたに違いない。まさか本当に飲んでいるじゃないだろう。
二木は中指を曲げて第二関節で机を二回たたいた。薄皮を通して骨と木がぶつかる音がした。俺らはあほみたいなやり取りをやめて、二木の方を見る。自分の意見がここに居る人と反りあったことですこし苛立ちを感じているようだった。いまだに俺を無視しつつ、軍人みたいなきりっとした顔をしていた。
「じゃあ、こうなったら一人でも探す。そして犯人が誰であろうと許さない」
「それは何の犯人だ?三年前ぐらいにショートケーキのイチゴを取った犯人は俺なんだが」と翔はいきなりのカミングアウトをした。俺も知らない事実だった。ショートケーキ事件の犯人は翔だったのか。二木の誕生日会で出されたホールのケーキ。すべてのイチゴがわずかな時間で消失した事件だ。俺らの中の未解決事件の一つ。
「そんな話してないだろ。今は」と二木は言いかけて口を閉ざした。横に雄二がいたからだろう。雄二のいる前であいつの殺人犯とかさすがに俺でも言わない。子供の前でどこまで話していいかは難しい線引きだが、二木の中ではこれはひっかかったのだろう。
「ちっ」と二木は舌打ちして、「イチゴ返せよ」と話をずらした。
「無理だ。俺が何個食ったと思うんだ?」
「16個」と即答していた。根に持っていたのかもしれない。
「もう旬も終わったし、そんなに手に入んないよ。最近色々とあってお金もないし」
「っていうか食い過ぎだよ。そしてよく覚えているな」と言うと、翔の方からは「そうかなぁ」ととぼけた声が聞こえたが、二木の方からは何も聞こえなかった。もう完全な無視だ。こっちを向いてすらいない。
俺のせいなのか会話が途切れた。二木はあえて口を閉ざしているし、それを見ている翔も苦笑いをしている。雄二は話についてこれていないのだろう、ペンで遊んでいる。
もう帰りたいと思った。これ以上いても意味がないだろう。後のことは俺を無視し続けている二木がどうにかしてくれるはずだ。俺らはここから少し遠いし、そろそろ帰るべきだろう。家では夕食の準備が始まっているかもしれない。
「じゃあ、俺らは」と言いかけたあたりで、遠くで歓声が聞こえた。健三の声に似ていた。その声はすぐに止んだ。俺は「このへんで」という言葉を取りあえず出しておく。小さすぎて誰も聞こえなかっただろう。
翔が居間を飛び出した。それに続いて二木と雄二も出て行く。俺は独り椅子に座ったままだった。俺も行くべきだろう。腰を上げるときに、意味もなく「よいしょ」と言う。
立ち上がって、あたりを見渡した。もちろん誰もいない。さっきまでと明かりは変わらないのに、なぜか暗く感じた。そして寒さも少し感じる。俺は長い前髪を前に下ろして、視界に髪を入れた。
息が詰まって、咳をした。まだ何か詰まっている気がしてもう一回咳を今度は自発的にする。それでも喉のつかえは取れなかった。
歩いて、廊下に続く扉を開ける。ひんやりとした空気が流れてきた。その流れに逆らって廊下に出て、声がするほうに歩いていく。
「わぁ。変身ベルトだ!。買ってきてくれたんだ」
またも入れない雰囲気があって、俺は廊下にいるままで部屋の中を見ていた。健三は複雑なうれしそうな顔をして、変身ベルトの箱を抱えるように持っていた。顔はすこし赤く、まだ熱はあるみたいだ。興奮しても大丈夫なのだろうかとすこし疑問に思った。無機質的にきれいに施されたラッピングは床に転がっていた。メインではないけれど、あれにもお金はかかっている。
健三は箱を開けて、おもちゃの本体を取り出した。箱は床に投げ捨てて、ラッピングの上に転がった。寝た体勢のままベルトを腰に当てている。ボタンを押しているが反応はなく、何回も繰り返していた。翔が透明な絶縁体の役割をしているビニールを引き抜く。すると、すぐに音が鳴ってベルトは光りだした。
「とぉ」と寝ながら手を構えるように上に出す。健三の中ではもう変身は完了したのだろう。そして空想の敵と対峙している。
翔はまさに敵と戦っている健三の頭を撫でた。
「元気になったら、それで遊ぼうな。な、ヒーロー」
「うん」と元気よく返事をして、健三は構えた手をやめた。
この光景はあいつがしたかったものなのだろう。代わりに俺らがしている。これは正義と呼んでいいのだろうか。あいつが死ななくて、普通に買ってもらっていたらどうなっていたのだろう。
健三はベルトをしたまま布団をかぶって、寝る体勢に入った。興奮は冷めないようで目はぎらぎらと輝いている。
「翔兄ちゃん。ありがとう」と言っていた。そして遠くにいる俺にも「直己兄ちゃんたちもありがとう」と言った。
どういたしましてとは言えなかった。俺はここで何をやっているのだろう。
「おう」と翔が言って、健三の手を握っていた。そして「はやく。病気治せよ」と言う。二木も手は翔と健三の握っている手に載せて、優しい微笑みを見せていた。俺は動けないで、外から、でも手を振っていた。
「じゃあ、またな」と翔が離れると、二木も離れる。そして名残惜しそうに退室しようとする。こちら側に歩きつつも手を振ったり、笑顔を振りまいたりしていた。健三は赤い顔をしながら「じゃあね」と言っていた。先ほどまで翔たちが握っていた手は母親の手によってふさがれていた。
翔たちが完全に外に出てからこの部屋の扉を閉める。無言で翔たちは歩き始めて、居間に入った。俺もそれについてく。居間に入ると、翔たちはさっきと同じ立ち位置に座っていた。
「そろそろ帰らないか?」と立ったまま提案する。
「そうだな」と翔は返事をするが、立ち上がろうとしていなかった。座ったまま下を向いている。翔が座っているところのテーブルの上には何もない。雄二のあたりにペンが転がっているぐらいだ。動かない翔を見ていると、ふつふつと怒りがわいてきた。きっと正当なものでない。逆切れに近いものだろう。
「なぁ。早く帰ろうよ」
「ああ、そうだな」
翔はうつむいたまま口と喉だけを動かして返事をした。蝋人形みたいだ。服は蝋らしくないから、蝋人形に服を着せているみたい。髪も蝋らしくない。翔の生きている細胞だけ蝋らしく見えていた。
その蝋人形は急にブリキの人形みたいに顔をがちっと上げた。
「部屋に行ってみたい」
生気が感じるようになった翔は、生身の人形みたいにあたりを見渡していた。
「部屋って、あいつの部屋?」と一応訊いておく。
「そう。帰る前に行ってみたい。だろ?」
翔は立ち上がって、扉の近くにいる俺の方に来る。すると雄二が椅子に座ったまま「やめた方がいいよ」と言った。翔は雄二の方を振り返る。雄二は翔の方をまっすぐ見ていた。
「そのままだから。四日前から何も変わってない。お母さんと警察が入って少し捜索したあとで、すべて元に戻していたんだ。まるで何もなかったかのように。帰ってきても大丈夫なように。わざわざ戻したんだ」
手がかりを探すために警察が来たのだろう。そのとき隅々まで捜索したはずだ。きれいに整頓したはず。それを後で、元の位置に戻した。それをしたのは母親だろう。その姿を想像すると、笑えるぐらいに痛々しい。
「帰ってくると思っているんだよ。お母さんは。葬式もして、ちゃんと死んだ顔も見たのに、帰ってくると思っているんだ。頭がおかしくなったんじゃないよ。ちゃんと心の奥では死んだと理解はしているはず。でもさらにもっーと深い心の奥では、帰ってくると思っている。馬鹿みたいだよね」
雄二は淡々とした口調の割には、感情的な表情になっている。雄二もその気持ちが少しあるのだろう。帰ってくるという希望。そういうありえないふざけた希望が心の奥にある。
翔は驚いたのか、少し口が開いていた。翔にもあったのだろう。
「あー。雄二。なんていうか。その。なんだろう」と翔は中身がない言葉を言った。
部屋に入るときっと翔たちは後悔するだろう。帰ってくるわけがないのにそれを信じている姿を客観的に感じてしまうからだ。ゼロパーセントだとわかっている希望は希望ではないことだと悟る。
「でも、部屋に行こうか」と二木が言った。立ち上がって、扉の前に立ちすくしている翔の肩に左手を載せた。
「現実は受け止めないと先に行けない。犯人の手がかりがあるかもしれないし。警察では気づけなかったけど、親友であるからこそ気付けるものがきっとある」
二木は肩から手を放して、居間から出て行った。翔は「俺は犯人を見つけるようなことはしたくない」と言いながら二木の後を追った。
「僕は行かないよ」と雄二は俺に言う。転がっていたペンを両手で握って曲げようとしているみたいだ。曲がりはしないが、ミシミシと言う音は聞こえた。
俺はどうするべきだろう。行ったところで何もないだろう。とはいえ残ったところで雄二と二人きり、気まずいだけだ。
「そうか。ならちょっと待っててね」
俺は行くことにして、開いている扉から外に出た。廊下にはもう誰もいなかったあいつの部屋は確か二階にある。手すりを掴んで少し急勾配の階段を上った。二回の廊下にも誰もいなかった。電気はつけずに行ったのだろう暗いままだ。一番奥の部屋から光が漏れている。
廊下のわきには掃除機やら、段ボールなどが積まれている。それに気を付けながら進んで、あいつの部屋の前まで行く。親友と言うくくりではあったとはいえ、少し入りにくい。意を決して、扉を引いた。部屋の中の光景はいたって普通、俺の部屋みたいだ。生活感がある。あいつが帰ってきても問題なさそうだ。
扉の向かいに机が一つある。右側にベッドがあって左は本棚になっている。床には教科書が置いてあって、プリントもある。翔たちは部屋の中央にいてあたりを見渡していた。俺も少しだけ部屋に踏み入れて、よくよく観察してみた。特に面白いものはなかった。部屋の主が居なくなっても埃がたまっていて、本棚や机の上が白くなっている。
「なにも手がかりになりそうなものはないな」と二木は言った。手がかりも何も翔たちは何も触っていない。目で見ているだけだ。
「あっ」と本棚を見ていた翔が声をあげた。俺と二木は翔の目線を追う。そこには漫画が数冊あった。三巻と九巻など、とびとびの巻数だ。
「なくしたと思ったらあいつが持っていたのか。貸しっぱなしだったんだな」
もともとは翔のものだったのだろう。適当に貸し借りを繰り返していたから、返すのを忘れていたのかもしれない。翔はその漫画を取ることはしなかった。それを見て終わりだ。
「持って帰れば?」
「いや、いいや。まだ貸しとくよ」
いつまで貸しておく気なのだろう。そもそも貸すと言う表現自体がおかしい。あげると言うべきだ。いや、この家に献上すると言いなおしてほしい。あいつにあげることももう不可能だから。
「ここに居ても寂しいだけだな」
翔はベッドにこしかけて、天井を見た。そのとき電気が消えて、一気に暗闇に突き落とされた。前にいた二人の姿も見えない。ざわざわと鳥肌が立ってきて、背筋の方から生暖かい風を感じる。帰ってきたのか。首が固まったように動けなかった。振り向きたいけれど、目だけしか動かせない。手が震えてきた。右手も動かなくなる。動かないのに震えが大きくなって、左手で押さえた。呼吸が浅くなってきた。肩を上下させてむりやり呼吸をする。カタッと後ろで音がした。目が慣れてきて、あたりが薄く見れるようになる。すると下で何かが動いたような気がした。嫌な予感が、する。俺は目線を下に向ける。
俺の下に影がある。人の形をしている影だ。
「ごめん。手でリモコン押してた」
電気がついた。
下に影があった。俺の影だ。後ろを振り返っても段ボールしかない。
部屋の方に向き直る。翔が白いリモコンを上にかざしていた。ベッドに座ったとき同時に押してしまったのだろう。
「心臓に悪いよ」
「さすがに冗談が過ぎる」と二木も言った。
「たまたまだって」と翔は弁解するように言う。おそらくわざとだろう。天井の蛍光灯がリモコン式だと気づいてこの悪ふざけをしたんだ。
「でもさすがだよな。直己はすぐに悪乗りして『許さない』って低い声を出したんだからな」
「え?」という声が重なる。俺と二木の声だ。
「あれ?聞こえなかった?」と翔が驚いた顔をした。顔から血の気が引いた気がした。背中から寒気がする。
「お、おい冗談だよな?」と二木が恐る恐る訊いた。
翔は驚いたように目を開いたまま、俺らの顔を見比べている。そして
「ああ。冗談だ」と小さく笑いながら言った。
よし、一回どつこう。そう思った時には二木が翔の頭はパシッと叩いていた。翔の髪がバサッと揺れて、前髪が目にかかっている。翔は手でそれをもとの髪型に戻しながら、「何すんだよ」と言う。まだ笑っていた。
「翔って、不謹慎なギャグを普通にするよね」
俺は褒めたわけではないが、翔は照れたように頭を掻いた。二木はあきれているようだ。ため息を一つ吐いてから、もう一回バシッと今度は肩を叩いている。
「もう出るか。手がかりはないし、そういうのを探す空気でもなくなったし」
振り返って俺にどけと目で合図してくる。俺はベッドの方にずれて道を作った。二木が通ったときふと懐かしい香りがした。いつか嗅いだことがあるような優しい花の匂いだ。二木を目で追いかけていたが、一回も振り返ることなく部屋を出ていた。
「俺らはもう帰るか」
「そうだね」
翔がベッドから腰を上げると、沈んでいた布団はゆっくりと元の大きさに戻っていく。焼き立てのパンみたいだ。低反発素材を利用しているのだろう。最近、有名なサッカー選手がコマーシャルをしている敷布団がある。「いいプレーはいい睡眠から」と言うのがキャッチフレーズだ。おそらくいくら睡眠をとっても練習しないと強くはならないだろう。でもそれにあいつは触発されたのかもしれない。俺もよく眠れそうなのでちょっと興味があったが、今更座ることもできなかった。
カバンを取りにリビングに行く。案の定雄二がまた暗号を解きたがって、俺らが帰るのにしぶられた。何とか振り切って俺は家の外に出た。
「じゃあな」と見送りに来た二木が翔にだけ言う。わかっていたことなので俺は何も言わないでもう歩き出す。
二木は家も近いことあってまだ残るようだ。雄二もまだ起きているし、その方が都合がいいだろう。
また翔と二人きりで暗くなった道を歩いている。最近この組み合わせが多い。でもその回数が多くなったわけではないと思う。他の組み合わせが減っただけだ。死んだあいつはもちろんのこと、二木とは喧嘩中だ。夏凪も学校に来ていない。
翔はふざけた調子もなく、普通に歩いていた。その足がふと止まった。神社に続く階段の下のとこだ。階段は三十段はあって、一番上までかなり高い。赤い鳥居が俺らの近くにある街頭でほんのり照らされて、幽霊が好みそうな感じだ。
「なぁ。お参りしようぜ」
「願いことがないよ」
「じゃあ、俺もない。でも行こう」
翔は俺の手を引っ張って階段の一段目を登らせる。手を放した翔は一段飛ばしで上に向かって登って行ってしまった。仕方なく登り始めるが、疲れた足が上に上がることに抵抗していた。
「やっぱりやめない?」と顔をあげて言うと、もうかなり先に行った翔が振り返って「なんか言った?」と言ってきた。
「なんでもない」と返す。どうせ行くしかないのだろう。
頂上まで登りつくと、さすがに疲労で息が荒くなった。前かがみになって手を伸ばして膝を押さえる。その体勢のまま息が整うのを待つ。
「根性ないなぁ」となんでもない顔をした翔が横にいた。
さっき三キロも歩いて、そのあとでこれを登ったら帰宅部なら誰でもこうなる。例外は翔ぐらいだ。俺はようやく調子が戻ってきて、姿勢を元に戻す。道の真ん中に立っていた。道以外の場所は砂利になっている。それなりに広い神社だ。夏祭りもいつもここで開催される。
「祭りを思い出すなぁ」
「翔もか」
「おっ。直己も思い出してたか。まぁあれが最後の思い出みたいなもんだからな」
周りにずらっと屋台が並んでいた。真ん中に櫓が組まれて、上に提灯がぶら下がっている。その赤い光に照らされながら、俺らははしゃいでいた。プラスチックの容器にたこ焼きだったり、焼きそばだったりを持ってある気ながら食べた。さすがに高校生なのでお面は翔以外買わなかった。夏凪はわたあめが好きで、口周りをべたべたにしながらかぶりついていた。すべてが懐かしい。
今、この境内は暗く静まり返っている。虫も鳴くのを遠慮するぐらいの静けさだ。翔は道の左側を歩いて、賽銭箱の方に向かった。手を洗うところをスルーしていた。正しいルールは知らないけれど、賽銭前に洗うべきだった気がする。とりあえず洗い方もわからないので、流れている水に一礼だけした。
賽銭箱の前まで来て翔は静かに上の鈴を鳴らした。チランシャランと控えめな音がした。
財布の中から五円を取り出して、下投げして入れる。横で翔は親指で五円をはじき、コイントスするみたいに投げていた。うまく賽銭箱の中に入ったが、御利益あるかどうかは微妙なとこだ。
翔はコインが落ちる前から目をつぶっていた。二回頭を下げてから、音がしないように手を二回たたく。
「世界平和をお願いします」
「食べ物屋の注文みたいだね。そして無駄に規模がでかいよ。他にないの?」
俺が横から茶々を入れると、翔は手を合わせたまま
「じゃあ、俺だけでいいから幸せにしてください」と言った。
「まず、五円じゃ無理でしょ」
他にも言いたいことはあったが、とりあえず無難なものを選んで言う。
「じゃあ、俺の隣にいる直己の入れた五円も使ってください」
「一〇円でも無理じゃないかな」
他にも言いたいことはある。勝手に使うなよとか。
「じゃあ、一〇円でどこまでできるか教えてください」
「それにお願い使ったら、また一〇円入れないとだめだね」
「じゃあ、さっきから横でうるさい直己を静かにさせてください」
「それは俺に直接言ったほうがいいんじゃないか?」
なぜ一回神様を経由して俺に注意を言うのか。神様も俺と同じことを思ったことだろう。ここでもふざけ倒すつもりなのだろう。そう思った。けれど翔はさっきとは全然違う顔つきになった。目をつぶったまま祈るように
「じゃあ。じゃあ、何もしないでください」と言って翔は一礼した。深く頭を下げたまま翔は動かなかった。長いことその体勢のままだった。じっくり時間をかけた一礼は翔の心からのお願いだと証明しているようだ。
俺は翔に入れた賽銭分を使われた気がするので、お願いはしなかった。また財布を取り出すのも億劫だ。翔が顔を上げると、俺の方を向いた。
「直己はお願いしないのか?」
「ああ、お前がフリーズしているときにしといた」と嘘を吐く。
「そうか」
翔は賽銭前から離れて、また道の左側を歩き始めた。急に横に曲がったかと思うと、砂利をあるいて端っこにある石でできた椅子に座った。俺はそれを賽銭前で見ていた。翔が手招きしてきたので、まっすぐ砂利を歩いて椅子に向かう。
椅子は常日頃から掃除されているみたいだ。きれいでそういう面では座るのはためらいがないが、かなりひんやりとしそうだ。
「帰らないの?」
「ちょっとだけ休憩」
翔はそう言って、開いている右側のところを叩いた。俺は首を横に振る。翔の斜めに立ったまま、翔を見下ろしていた。少し肌寒くなって、襟を直してからポケットに手を突っ込む。
「あ、うん。えと。その、直己はもし」と翔は何か話を切り出したいみたいだ。俺がもしなんだろう。
「直己はもし、えーと。俺が宇宙人だって言ったらどうする?」
「冷めた目で見返す」
「そう、だろうな」
翔は「あー」や「うー」などと考えるように呻いた。俺の右下の方を見ながら、左手で首の裏あたりをごしごしと掻いている。俺は翔の言葉を待った。
「直己はもし俺が。いやいいか。この話はやめよう」
翔は賽銭するときと違って少し音を立てて手を叩いた。これで終わりと言うことなのだろう。俺からすれば何も始まってもいなかったが、翔の中では葛藤があったみたいだ。翔は明るくいつもよりほんの少し高い声を出した。
「じゃあ、ここで俺もお前に告白しようと思う」
「お、おい。ちょっと待ってよ」
「いや、告る」
「この場には俺と翔しかいなんだよ。俺に、その、そういう趣味はないよ」
俺はノーマルだ。だがここは人が居ない境内。ほんのり薄暗い夜。絶好の告白ポイントかもしれない。少し身構えつつ、四歩後ろに下がった。
「後ろに下がり過ぎだろ。それに愛の告白じゃない。告白って他にも意味あるだろ。さっきも言っていたような嫌悪感の告白とか罪の告白とか。秘密を打ち明けることを告白というだろ。戻って来い」
翔は弁解するように必死に言うので、俺は二歩前に進んだ。
「じゃあ何を告白するの?」
「それはお前らが夏凪のことを好きだということを知っていたということ」
翔は「お前ら」の「ら」の部分を強調して言った。翔はさも重要なことのように言ったが、俺からすれば当たり前のようなことだ。俺らはずっと親友だった。いつも一緒にいてふざけあった仲だった。それくらいのことを知っていても不思議ではない。俺だって翔が翔子のことを好きなのを知っている。
「まぁ、知っていても不思議じゃないね」
「そうか」と翔は言った。そして「じゃあこれは知っているか?」と前置きをした。
「何?」
間をあけるように、俺の目を見てきた。俺は一歩近づいてあげる。翔の目は泣く前のように少し揺れていた。ゆらゆらと、ふらふらと振動している。
「お前が勝つであろうことを」
「はぁ?」
何を言っているのだろう。勝つと言うことは夏凪と恋仲になるということか。ライバルなら勝率は五分五分だろう。夏凪が俺のことを好きだったら話は変わるが、夏凪が誰が好きなのかはわからない。好きな子に対する評価ではないが、夏凪はまだ精神が大人じゃない。子供っぽいところが強いから、人を好きなることを区別できていない気がする。
「諦めていたんだ。勝手に、馬鹿みたいだろ。それがお前がライバルだったからという理由でだ。俺はそういう悩み相談を何回も受けてた」
「嘘つかないでよ。それいつの話?」
「夏祭りの後ぐらいから」
夏祭りはお互いにお互いが夏凪のことを好きだと把握したときだ。それからなら時期はあっているけれど、そんなそぶりを受けたことがない。
「その分だと、直己は知らなかったんだな」
「待ってよ。翔。ねぇ。ちょっと待って。なんでそれ今言うの?」
「だって、なぁ?」
翔はわかっているだろという顔をした。俺は狼狽してしまっている。どういうことなのかわからない。嘘だろう。そうだ、きっと嘘だ。いつもの翔の冗談だ。俺を困惑させて楽しんでいるだけ。そしてこれから俺がどう動くかを笑おうとしているのだろう。不謹慎なギャグをするぐらいだ。こういうつまらない冗談だってきっとするだろう。
「でも、夏凪が俺のことを好きかどうかわからないよ」
「それはそうだなぁ。そればっかりはわからない。でも、もう勝負はついているみたいなもんだ。あいつは途中棄権みたいなもんだ。直己はもう焦る必要ないだろ」
これは本当に冗談なんだよな。ここで例えば「冗談よせよ」と言いながら頭をパシッと叩けば、「ああごめん。悪い冗談だったかな」と言ってくれる。そういう冗談なんだよな。
翔まであと二歩の距離がある。頭を叩くには、これを詰める必要がある。だけど俺は動けずにいた。冗談かどうかを訊く必要はないと結論を勝手につける。これは冗談だ。
「翔」
「なんだ?」
「そんなことを言うぐらいだったら、いつものふざけた冗談のように俺に愛の告白をしてくれた方が面白かったよ」
俺が頑張って笑顔を作って言うと、翔はさわやかに笑いながら、
「それはお前が本気で応えてくれる気がして怖かった」と言った。俺はそれを聞いて、二歩前に歩いて、翔の頭をパシッと叩いた。それでさっきまでのすべてが冗談だったように、お笑いのために作られた設定のようでうれしかった。




