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第23話 エーラ川の戦い


 イスペリア王国軍本隊は、想定していなかった出来事を前に浮き足立っていた。


 正面から突貫してくる敵主力に、背後へと迫る別動隊。どちらと戦えば良いのか、咄嗟に判断が付きかねたのだ。


 それでも、前衛部隊だけは迷う余地がなかった。

 目の前に迫る敵を前にして、背中を向ける余裕など何処にも無かったのだ。


 ただ、健気に応戦しようと槍を構え、腰に力を込めようとしたところで……彼女達は気がつく。


 ──泥濘んだ地面に足を取られて、踏ん張りが利かないことに。


 そこで、先程の水計が何だったのかをイスペリア兵達は理解したが、だからどうすれば良いのか見当が付かない。


 強襲してくる敵に、辛うじてバラバラの穂先を並べ立てて。


 そのまま、成されるがままに前衛部隊は隊列を引き裂かれたのであった。

 ──綺麗すぎるくらいに、真っ二つに。




「前衛、突破されました!」


 あまりに簡潔な、それでいて悲鳴じみた報告を受け取ったメンドースは、周りの動揺と反比例する様に落ち着き払っていた。


 正面の敵が前衛を突破してくることなど、想定内のことでしかなかったがためだ。


「見えています。前衛には泥濘から退き、部隊を再編させて下さい」


「……よろしいので?」


「ええ、構いません。むしろ、敵が今度は足を取られる番です。敵の勢いは、正面と後背の騎馬隊の勢いに追従しているだけです。あれさえすり潰せば、後には続かないでしょう」


 落ち着き払っている自らの将を見て、周りの幕僚団は顔色を取り戻した。状況は不味いが、正しく対処すれば数が多いこちらが有利になると、理性が算出したが故に。


「敵が泥濘に入り切った所で、半包囲致しますか?」


 幕僚の提案に数秒だけ考え、メンドースは首を振った。ファランクスを再編するのが手間であったし、そうする必要もないと判断したから。


「いえ、突破された前衛部隊に背後を襲うよう伝令して下さい。それで事足りるでしょう」


 敵は苛烈な勢いで、イスペリア軍前衛を中央突破する事に成功した。


 ただ、強力すぎる突進が、逆に前衛部隊の傷をそこまで広げなかった。綺麗に分断されたことが、伍列を維持したのだ。


 前衛部隊の秩序は、未だに生きていた。


「本来ならば騎馬隊と挟撃し、こちらの再編を許さずに壊滅させるつもりだったのでしょう。ですが……」


 メンドースは、迎撃へと向かったマリーナ騎士団へと目をやった。異教徒の騎馬隊と接敵し、そのまま敵の戦士を馬ごと吹き飛ばしていく様を。


「肝心肝要なあなた方が来なければ、私たちは立て直せます。このまま、じっくり嬲れてしまいます。さて、ここまで辿り着けるでしょうか?」


 生き残ることはできますか? と愉快げに、口元に弧を描く。


 敵の策全てを通した上で、いま戦場をコントロールしているのはメンドースだ。諸侯軍の勢いは、泥濘に嵌り著しく落ちつつあった。






 アマルは敵を確認して、僅かに目を細めた。

 反応して打って出てきたのは、僅か100名強の集団に過ぎない。


 ただ、その全員が徒(かち)にも関わらず、こちらと同じ時速40km程のスピードで突っ込んできている。明らかに異常な敵であることは、目に見えて明らかであった。


「カリフの親衛隊に、似てる……」


 そう呟いて、状況を把握する。


 祖国の親衛隊や、東ロマーナ帝国のカタクラフトの様な、大帝国だから編成できる、コストパフォーマンスを微塵も考えない化け物揃いの部隊かもしれない、と。


「……でも、戦う前から逃げるのは、戦士じゃ、ない」


 乗っている馬の尻を剣で突き、更に加速して突っ込んでいく。そして彼女が率いる兵達もそれに倣って、次々と馬のスタミナを考えずに加速していく。


 時速は60kmに届くほどのスピードで、アマルはマリーナ騎士団を馬蹄にかけようとした。


 速度はこちらの方が上で、数も敵の五倍。

 接敵した瞬間だけは、こちらが圧倒できる……筈。


 そう信じて、アマルは抜刀した。

 勢いそのままに、敵へ自らの剣を馬上から振り下ろす。


 一刀の下に眼前の敵を切り伏せ、生じた穴から敵部隊をすり抜けるために。



「うわ、おっもいですわね!?」


「……っ」


 ──だが、時速60kmの馬上からの一撃は、信じたくない事に受け止められてしまった。


 そして自分以外の者は、敵とつば競り合った瞬間に馬ごと吹き飛ばされてしまっている。


「おらーっ、死にくされですのー!」


「主よ、お馬さんをミンチにする、我らの罪を許したまえ……」


「ちょっと、萎えるから屠殺しながら祈らないでよ!」


 吹き飛ばされた馬が、人が、後続の騎馬へと接触し、馬蹄にかかっていく。


 あまりに馬鹿げた、物理法則を無視したかの様な光景。

 味方を踏み潰してしまった騎馬が慌てて手綱を引いてしまい、後続は次々と減速していく。

 

 異常な事態に、幾ら精鋭部隊といえども初見では動揺を隠せない。


 それを見て、アマルは思った。

 "……無理、馬鹿みたいに強すぎる"、と。




「……迂回、する。各員、我に続け」


 正面からの突破を図ることは不可能だと即座に判断して、アマルは躊躇なく背を向けた。


 挑まずに逃げ出すのは臆病者だが、剣を交えた上で退くのは武略の内である。少なくとも、アマルはそう考えていた。


 だが、あまりにも脱兎の如く逃げ出したものだから、目の前のマリーナ騎士団の面々は、一瞬呆気に取られた。


 "え、マジ? 騎士の風上にも置けなくない?"


 彼女達の勇猛(蛮族的)思考回路が、ここで逃げるという選択肢を排除していたから。


 ただ、一瞬の間の後に、誰よりも最初に正気に戻ったクローデットが叫んだ。


「イスペリア軍を横撃させるわけには参りませんわ、追撃ですの!!」


 クローデット自身も、自身と切り結んで無事だった敵に、"出来ますわね!"と思っていた分、は? と困惑したが、それでも事の軽重は弁えている。


 だから、即座に追撃令を出した。


 ただ、この一瞬が致命的な遅れであった。

 馬の加速力を相手にすると、さしもの令嬢達でも追い縋ることはできない。


 自分よりも足が速い相手に、出足がつかない状態で追いつけるわけがないのだ。


 だから、アマル達は背後には回れそうになかったが、イスペリア軍の脇腹を突く事には成功する……筈だった。




「ジルベール様の占いが当たりましたね」


「みんな、それぞれの主人のためにも、踏み止まってください!」


「あと、ジルベール様のためにも、気合を入れて行きなさい。──メイド隊抜刀」




 けれども、進行ルート上にはメイド隊がいた。

 こうなるであろうと読んで、ジルベールが先回りする指示を出していたのだ。


 そう、ジルベールは令嬢達の脳筋振りを、今回は計算に入れていた。敵とぶつかり合えば、五倍の数であっても一蹴できると踏んで。


 その時に敵が取る行動は、後背を諦めて最短距離で側面に回るであろうとジルベールは判断した。


 もう既に、開戦は始まってしまっている。

 ならば、敵は今ある条件で最大効率を狙うしかないと、そう判断して。


 メンドースが敵の有能さを信じた様に、ジルベールも敵が勝つために最善を尽くすと信じたのだ。


 結果、メイド隊に立ち塞がれて、アマルは応戦せざるを得なかった。


「……っ、突破する」


「突撃!」


 アマルと、ジルベールの補佐役であるアンナ(事実上のメイド隊の指揮官)の指示は、ほぼ同じものであった。

 故に、両部隊は正面からぶつかり合う。


 数の上では、150名しかいないメイド隊の三倍以上のアマルの騎馬隊。


 兵士の質は互角であるが、双方共に騎馬での戦い。

 騎馬の扱いについては、アマル側に分がある。


 本来ならば、正面衝突した瞬間に容易くメイド隊の方が突き崩されたであろう。


 しかし、今回に限っては、その突撃に腰が入っていなかった。


 先程の令嬢達の一撃が鮮烈すぎて、あれと同種の部隊ではないのだろうかという疑念を抱かせたがために。


 勢い、士気の面においては、メイド隊が歴戦の騎馬隊を上回っていた。




 接敵してから、およそ5分。

 ジルベール達は、敵の勢いに押し込まれつつあった。


「敵部隊の内部に切り込まずに、外側への一撃離脱を徹底して!」


「各班長、統制しなさい! ジルベール様に恥を掻かせる気ですか!!」


 最初こそ勢いのあったメイド隊であったが、時間と共にその勢いは減衰していった。


 接敵時、ジルベールは一撃離脱を採用して敵の勢いを減殺することに重きを置いていたが、敵がなりふり構わない前進を見せたことで、少しでも足を止めようと突出したメイド達が立て続けにすり潰されたのだ。


 ジルベールの意図していなかった、実質的な捨てがまりが横行してしまっている様な戦況であった。


 有効ではあるが数が少ないメイド隊は、数秒毎に組織的な継戦能力を損失していった。


「ジルベール様、この様な醜態を見せて本当に申し訳ありません。まさか、ここまで統制が乱れるとは……」


「……そんなことない、です。みんな、頑張ってくれてる」


 アンナの言葉に首を振りつつも、視界がグルグルした。

 ジルベールは、意識が空転しそうになった。


 鳴り止まない剣戟の音、充満する鉄のにおい。

 怒声と悲鳴、迫る蹄の音。


 今まで間接的に感じてきたそれが、これまでにない程に近く感じる。紛れもない当事者であると、彼の脳裏に染み渡る。


 このままここで踏み止まれば、きっとメイド隊は壊滅する。自滅的な献身で、その身を全部捧げ切って。


 でも、ここで退けば、イスペリア軍は横撃されて大きな被害を出す。この戦いの、勝敗にだって直結してくる。


 最善は、踏みとどまること。

 統制を回復して、損失を最小に留めるしかない。


 でも、立て直すための時間、言うことを聞かせるためのカリスマ、戦いつつ部隊を再編する実力がジルベールには足りていなかった。


 では、どうすれば良い?

 そんな思考の迷路の中にいた彼は、強制的に現実へと引き戻された。


 ──敵が、すぐそこまで迫ってきたが故に。



「……見つけた」



 粘り強過ぎる敵の指揮系統を破壊しようと奥深くまで切り込んできたアマルが、ジルベール……の隣にいる、部隊を懸命に指揮していたアンナを見つけたのだ。


「ジルベール様、お下がりを!」


「……遅い」


 アンナはジルベールを後方に下げようとした。

 しかし、それより早くアマルは己が剣を一閃して。


 咄嗟に受け止めたアンナだが、体勢が悪かった。


 鋼と鋼が打ち付けられ、火花を散らしたと同時に……アマルの剣を受け流しきれず、押し込まれる様にして落馬してしまう。


「ぐっ、うぅぅっーーーっ!!」


「よそ見、厳禁。戦場では、特に」


 強かに体を打ち付けたアンナを一瞥して、アマルは次にジルベールへと視線を向けた。


 最初はアンナが指揮官と思ったが、どうやらそうではないらしいと悟って。


 呆然と立ち竦んでいるジルベールを前にして、アマルは剣を構えた。


 フード付きの外套からはその顔が分からないが、アンナとは違いあまり戦士らしさを感じないと思いながら。


「……読みは当たっていたけど、実力不足」


 それだけ告げて、アマルは、その剣を振り翳した。

 ジルベールは、半ば他人事みたいに、その剣の軌跡を追っていた。


 諦めているとか俯瞰できているとかではなく、正常性バイアスがこれから訪れる死を極端に矮小化しながら。


「ごめんなさい、クローデットさん、みんな……」


 思わず、最後にと心の底に浮かんだ言葉を呟いた瞬間──一陣の風が吹いた。アマルとジルベール、両者の合間を割るようにして。


 咄嗟に距離を取ったアマルは……見てしまった。



「……泣いてる、男の、子?」



 強い風によりフードがはためき、そこから覗いたジルベールの顔。涙に濡れている、幼さと無垢さを感じさせる男の子の顔。




 その時だけ、アマルの中で剣戟の音も、血のにおいさえも拭い去られてしまった。


 どうしてか、その子から目が離せなくて。


 唯一、ジルベールのみが彼女の中に存在していた。




「……なんで、泣いてる?」


 戦場の中で、牧歌的すぎる問い掛け。

 何故こんなことを聞いてしまったのか、アマル自身もよく分かっていない。


 ただ、どうしてか泣き止ませようと、自然と思ってしまったのだ。


「みんなの役に、大切な人の役に立てなくなるから……」


 対して、ジルベールも正気ではなかった。

 もう死ぬものだと思って、敵の問い掛けに応答してしまう。


 アマルはその返答に、僅かに瞳を揺らして。


「……戦場、向いてない」


 それだけ告げて、踵を返した。

 後方より迫る土煙を確認して、これ以上は無理と判断して。


 撤退するのもやむを得ないと、自らの判断に納得しながら。


「もう、出てこないで。次は……酷いこと、する」


「あっ……」


 呼び止める間もなく、アマルは撤退して行く。

 配下を纏めて、川の方へと。


 ──攻撃そのものを、断念したのだ。



「ジルベールさーん、ご無事ですの〜!!」


 逃げて行く敵に構わず、物凄い勢いでメイド隊の方へと駆け寄ってくるクローデットは、ジルベールの姿を確認して……動揺した。



「……クローデット、さん?」



 あのジルベールが、勝手に強いと思っていた彼が、涙をほろほろと溢していたから。


「…………何故、泣いておいでですの?」


 動揺のままに尋ねた言葉は、奇しくも先程のアマルと同じものだった。


 だが、同じ言葉を掛けられたジルベールの反応は、全く違っていた。


「……っ、クローデットさん、ごめんなさい! 俺、上手くできなくてっ、メイドの人達も、死んじゃって!!」


 胸の内に溜まりそうな言葉を、素直に吐露する。

 上手く出来なかったという後悔を、クローデットへと漏らしてしまう。


 クローデットは、考えるよりも先にジルベールを抱き締めた。


 そうしなくてはならないと思えて、仕方なかったから。


「それを言うなら、ワタクシ達も敵を取り逃しましたの。撃退したのは、メイド隊のお手柄ですわ」


 体を震わせながら泣くジルベールに、優しく背中を摩りながら言い聞かせる。


「あなた達のお陰で、イスペリア軍の戦列は守られました。ご立派でしたわ、ジルベールさん」


 自らの盟友を、一番大切な男の子を慰めたくて。

 戦いの趨勢は決まったと、戦局全体を俯瞰して判断しての抱擁であった。




 後にエーラ川の戦いと称される一連の戦闘は、奇襲部隊であるアマルの騎馬隊が敗走した時点で決着がついた。


 諸侯軍の勝ちの目それ自体が無くなり、諸侯達が我先にと後退を始めたのだ。


 兵達も踏み留まるだけの理由を失い、雪崩を打った様にそれに続く。


 イスペリア軍本隊は追撃を画策したが、泥濘と化した地面に足を取られてそれは不発に終わる。


 ただ、泥濘の外側で部隊の再編を済ませた前衛部隊により、川に諸侯軍の死体を多少積み上げることには成功した。


 参加兵力はイスペリア王国軍側がおよそ12000人、マリーナ騎士団が296名(令嬢138人、メイド隊156名)。諸侯軍側が約7000人、クルアン教徒の騎馬隊が512人。


 発生した損害は、イスペリア王国軍の死傷者682人に対して、諸侯軍の死傷者は1896人に昇った。


 与えた損害以上に、与えた影響は大きい。

 これ以降、諸侯達は組織的な行動が取れず、そのおおよそが敗死するか亡命の二択を強いられることとなる。


 斯くして、勝敗は決した。

 北西部は、完全にイスペリア王国が掌握する。


 イスペリア解放戦争における初の大規模な会戦は、戦術的にも戦略的にも、イスペリア軍の大勝であった。



 ……その中で、マリーナ騎士団が負った損害は、令嬢の死傷者が7名にメイドの死傷者が41名。


 対して、アマルの騎馬隊は死傷者が33名。


 会戦全体で発生した損害を俯瞰すれば、損害はささやかとも言える範疇ではあるが、戦局に与えた影響を考えれば、横撃を阻止したマリーナ騎士団側の勝利と称しても良いだろう。



 ただ、それぞれの指揮官に残された心の波紋は、後に複雑な紋様を描いて影響し合うことになる。


 その結果について知るものは、未だどこにも存在していなかった。

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