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第22話 引水


 北部へと向かう前にアマルが最初に行ったのは、諸侯に使者を立てることであった。


 それぞれが残存する諸侯の元へと向かい、異口同音に似た様なことを告げた。


 "籠城を続ければ各個撃破を誘発する、兵力を糾合して戦うしかない"


 "イスペリア軍は降伏しようが反乱諸侯を処刑している。そして、遠征軍に帯同している貴族が、空白地の領主になっている。勝たなければ、あなた方もその前例に倣うことになる"


 使者達が告げた言葉は、全て事実であった。

 貴族達も同様の結論に達しており、青くなりながらその言に従うしかなかったのである。


 開戦時、まずは情報収集から、などと寝ぼけたことをしていた諸侯達であったが、その時に拵えた情報網をもって、使者達の言う事実が現実と相違ないモノであると自ら証明することに成功したのである。


 イスペリア軍に帯同する貴族、特に土地を持たぬ者たちは、裏切り者の諸侯に対して残虐に振る舞った。民衆に手を出さぬ代わりに、いっとう激しい見せしめに処されたのだ。


 自分達が、新たなその地の支配者になるために。


 マリーナ騎士団の前でその見せしめを行った者は、やり過ぎと簀巻きにされて、メンドースの下へ送られたのであるが。


 ともかく、諸侯達がグズりながらも、己の立場と、何より命のために集結しつつあった。


 アマルはその間に、一つの賭けに出ていた。

 それは、敵の陣地への切り込みである。


 諸侯達は、ここまで連戦連敗であったから。

 一つは勝ってみせて、イスペリア軍が無敵ではないことを証明する必要があったのだ。


 結果は、鮮やかの一語で形容できるほどの成功。

 勝ちすぎて緩んでいたイスペリア軍は、アマルの急襲に何ら対処できずに兵糧を焼かれた。


 そこで、僅かながらに諸侯達の士気は上がった。

 溺れている最中の藁以上の価値を、アマルに見出したために。


 ここで初めて、アマルはイスペリア軍と相対する資格を得た。


 軍を率いるだけの威を、勝てるかもという信頼を僅かながらに手に入れ、戦う前に軍が離散することは無くなった。


 ただ、だからといって、諸侯達が強くなった訳ではない。一度会戦すれば、四分五裂する程度の集団である。


 では、その軍を戦場に踏み止まらせるには、どうすれば良い?

 少し考えて、アマルはすぐに結論を出した。


 ──死地に送り出せば、三流の戦士くらいにはなる、と。



 エーラ川付近の天幕で、諸侯達の前でアマルは告げた。


「……水計を使う。敵を吊り出すために、渡河して一戦する必要がある」


「しかし、アマル殿の手勢は少数ですが……。マルドルから援軍があるのですか?」


 他人事の様に言う諸侯の一人に、アマルは表情を変えることなく告げた。


「ない──だから、全軍で渡河する」


「……は?」


「全軍で渡河して、一撃してから対岸へと退却する。追撃してきた敵を、水を使って一掃する」


 諸侯達の顔色が、青を超えて白くなる。

 それぞれが、"嫌だが?"と顔色に湛えていた。


「む、無謀な! そんな事をすれば敵軍に押し込まれて、退却する暇もなく川に追い落とされて終わる!!」


 そうして、声を荒げる諸侯にアマルは頷きつつも、冷ややかな目を向けた。


「勝たなければ、あなた達は死ぬ。残酷に処されて、遺骸は弄ばれる。それを、分かっているの?」


 死なないために勝たねばならないが、死にそうな立ち位置には居たくない。


 保身だけを考えて生きてきた諸侯達の言い分はそれだが、自局この情勢に及んでは寝言に過ぎない。


 暴風が吹き荒ぶ中では、風見鶏にとって安全な場所などどこにも無い。風見鶏である事をやめて、戦い、勝ち取る他にない。


 否が応でも、戦士になるしかないのだ。

 その事実を突きつけると、諸侯は絶句する。


 未だに、自分だけは安全圏にいようとする諸侯達の心理が、ガラガラと崩れ落ちていくのを、各々が感じずにはいられなかった。


「……工兵が、いる。上流で堰を作り終えれば、橋の作成をさせる。ある程度踏み止まれば、川に橋を幾つか架けさせる。そこから、退却する」


 最後に、アマルは少しの飴を添えた。

 譲歩をしたのだから、指揮には承服してもらうと。


 諸侯達は、それぞれが顔を見合わせて、渋りながらも頷かざるを得なかった。


 少なくとも、勝算の面ではこれが一番大きい様に感じたから。逃げ場が用意されるのならばと、死地に立つ覚悟を決めたのだ。


 ──尤も、アマルはマルドルから到着した工兵に、その様な指示を出してはいなかった。


 橋など架ければ、諸侯達は我先にと逃げ始めて、橋が渋滞したところを並行追撃を受け、壊滅の憂き目に遭うのは目に見えていたが故に。


 諸侯達は、どこにもない逃げ場を信じて死地へと赴いた。橋が掛かった瞬間、自らは退こうと決めて。


 その姿を確認し、アマルは諸侯ではなく、集まった兵士たちに言葉を掛けて回った。


 諸侯達では、兵士に戦う意志を持たせられないと感じ、口下手なことを自覚しながらも、自らが激励して回ったのだ。



「……命を賭けて、戦って。あなた達は、戦士になれる。私は、誇りある戦士を、何より尊ぶ。生き残れば、あなた達を尊重する」


 そして、声を掛けられた兵士達は、不思議とアマルの言葉を受け入れていた。


 兵士達の指揮者である諸侯達が、軒並み怯懦に震えて右往左往している姿と比較して、この人は頼りになると、泰然とした無表情の少女を信じたかった、信じる他になかったのだ。


「保証、する。生き残れば、私はあなた達を、大切にする。だから、指示に従って」


 敵が迫る中での少ない時間で、アマルの言葉は兵達に染み込む様に広がっていった。


 大層な言い訳を情けなく並べ立てる諸侯よりも、アマルの拙い、けれども嘘を感じない言葉の方が、まだ命を賭ける価値があると思えたから。


 この人の言葉に従って戦い、生き延びよう。

 その意識が、水面下で密やかに浸透していった。


 アマル・ビント・ディーマは、言は少なくともその居住まいで兵卒の支持を得ていた。

 後に、史書に明記された一文である。






 エーラ川で対峙した両軍の戦力は、イスペリア王国軍が12000に対して諸侯軍が7000。


 諸侯側が必死に兵を掻き集めてきたことは理解できる。


 しかし、既に過半の諸侯がイスペリアの奇襲によって撃破されている現状では、あまりに薄いと形容する他にない陣容であった。


 ただ、眼前の敵の特殊な状況を勘案すると、計算が立て辛くなる。


「背水の陣、か」


「誠、見事な覚悟でございます」


 隣から、涼やかな声が聞こえてきた。

 俺の補佐をしてくれている、メイドのアンナさんのものだ。


 そう、俺は今、前線に来ている。

 クローデットさん達の機動には追随出来ないため、その後方だが。


 前衛の令嬢達とイスペリア軍を連動させる中間点の、武装メイド隊の指揮を取る立場として。


 みんなから反対されたけれども、俺は諸葛孔明や劉伯温、黒田官兵衛みたいな戦場全てをコントロールできるタイプの軍師じゃないから。


 戦況が変化して、作戦の修正が求められる都度に、手が出せる場所にいないといけない。


 だから、軍中占い師として帯同しようとした俺を、クローデットさんは武門のメイド150人からなる部隊を新設して、その指揮官に据え置くことで対処した。


 現在、令嬢方は馬を使っていないので、代わりにこちらに回してもらったりもしてくれながら。



『本当は、前線には極力来て欲しくないのですわ。でも、ジルベールさんは案外頑固ですものね』


『我儘で、ごめんなさい。でも、自分が立てた作戦くらいは、責任を持ちたくて……』


『ええ、分かっておりますわ。だから、背中を預けることにいたしましたの。──信用、しておりますわ』



 クローデットさんに掛けてもらった言葉を反芻して、手を握り締める。


 嫌がりながらも、俺に期待を掛けてくれた。

 その信用が、形が無いのにとても熱くて。


「自滅覚悟じゃ無いかもしれません」


 頑張りたいって、心の底から思えた。

 無茶をする必要はないけど、過不足なく役割をこなしたいって。


「占いの結果ですか?」


「はい、占いです」


 眼前の敵は、中央が突出した陣を敷いている。

 騎兵を起点に置いた逆Vの字型、いわゆる偃月の陣だ。


 全面に出ている精鋭部隊が敵の衝撃力を吸収し、その隙に左右の両翼が敵の側面を突く陣形。指揮官が前面に出ることで士気を高揚させ、思わぬ熱狂を生むこともある。


 その性質上、敵の指揮官が矢面に立ち死亡するケースも多々ある最悪のデメリットも秘めた、一か八かの陣形。


 この陣を敷いたと言うことは、敵の指揮官は切羽詰まっているのか、他に策があるのか──或いは、集中砲火を受けても生き延びる自信があるのか。


 ……まだ判断は付きかねるけど、先頭の騎馬隊に敵軍は追従している。普通に見えても、普通じゃないかもしれない。


 油断するのは良くないだろう。

 どこか、齟齬がある様にも感じるし。


「こっちはファランクス、かぁ」


 敵に近付きつつある現在、イスペリア軍は大量の槍衾を組んでいた。


 ファランクス、槍を持った歩兵で厚みを形成する陣形。

 敵軍による突撃力を減殺し、逆に自軍の突撃は面制圧し敵軍を圧倒できる。


 利点だけ聞くと正に最強の戦術だが、勿論欠点もある(無かったら、みんながこの戦術を使って、先に手を出した方が負ける千日手みたいな奇妙な戦場が形成されるだろう)。


 それは、とにかく機動力がないこと。

 槍衾を組めるのは正面のみで、歩兵が隙間少なく密集しているために方向転換も容易ではない。


 後背どころか側面に騎兵で回り込まれでもしたら、何ら対処できずに一方的な攻撃を受けることになる。


 そうならないために、通常は長槍兵の他に軽歩兵や騎兵も備えておくものだが……今回、イスペリア軍は殆どの兵をファランクスに組み込んでしまっていた。


 意図は分かる、敵は背水の陣を敷いているから。

 ジリジリと、敵を川へと追い落として行くつもりなのだろう。


 メンドース将軍は、最初から敵が背水の陣で来ることを想定していた。だから、こんな偏った編成をして、完封勝ちを狙っている。


 敵が本気で勝ちに来るなら、諸侯達を纏め上げて、兵を脱落させずに統率し、川を背後に布陣させることが出来ると信じて。


 ある意味で、将軍は誰よりも敵の能力を信じていた。通常ならば、どれか一つだけでも実行できれば大したものであるが、全部出来ると思って行動を選択している。


 そして、それは的中していた。


 敵のことを、よく知っている。

 これまでの軍歴が、経験が教えてくれているのだと思う。


 今のところ、全てが将軍の掌の上。

 順当に行けば、このまま大した損害もなく勝てると思う。


 ……ただ、何か違和感があった。


 諸侯を纏めて背水の陣を敷ける敵の指揮官が、いざ矛を交えるタイミングだけは正攻法に頼ることなどあり得るだろうか、と。


「ジルベール様、イスペリア軍本隊より通達。マリーナ騎士団は後方で待機、戦況を判断しつつ独自に動かれたし、とのことです」


「今まで先鋒を務めてきたのに、ここだけ後方に……?」


 多分、違和感は将軍も感じている。

 だから、マリーナ騎士団にフリーハンドを与えた。


「ファランクスに組み込まれれば、折角のお嬢様達の突撃力は削がれてしまいますので。将軍はお嬢様方のことを、正しく評価してくださっているのですよ」


「……それはそう、ですね」


 アンナさんの言葉に頷きつつ、敵陣を見遣った。


 遮蔽物の無い、川を背後にした偃月陣。

 伏兵を潜ませる場所もなく、川自体は渡河しなければ奔流の計に巻き込まれる危険はない。


 そもそも、今頃は将軍が派遣した別働隊が、敵の堰を打ち壊している筈で……。


 そこまで考えて、敵軍の陣容をもう一度だけ見つめた。

 概算で7000程の、こちらよりも薄い陣容。


 先頭の騎馬隊も、隙なく統制を取っているイスペリア人が率いているが、だからと言ってマリーナ騎士団ほど絶対の存在では……。


「……イスペリア人の、指揮官?」


 はて、と疑問が過った。

 後方の物資集積地を襲ったのは、果たしてあの騎馬隊だったのであろうか、と。


 敵の騎馬隊はクルアン教徒で構成された筈だ。

 将軍は、"異教徒の騎馬隊"と明言していたのだから。


 眼前の騎馬隊は、イスペリア人で構成されている。

 これが、違和感の正体だ。


 では、クルアン教徒の騎馬隊は、何処にいる?

 伏兵を置ける場所など、何処にもない。


 ……いや、違う。

 騎馬隊なら、わざわざ戦場の至近に隠さなくてもいいんだっ。


「──アンナさん、河川上流5km先にいる騎馬隊がここまで来るのに、何分くらい掛かりますか?」


 5km、それは敵の堰があると推定していた川の上流部。別働隊を派遣して、敵の工兵隊を討とうとしていた地点。


「足場が悪いので迂回することになるでしょうが、20分もあれば到着するでしょう」


「丁度、隙が生じる頃合いだ……」


 そうか、と納得した。

 戦場の霧に隠れている敵の姿を、見つけた気がした。


「あの、クローデットさんに伝令を。マリーナ騎士団は、上流から奇襲を企てる敵の部隊に──」


 そこまで口にして、言葉が止まった。

 何処からか、低い地響きが聞こえて。


「──え?」


 俺だけではない、イスペリア軍からも不安げな騒めきが広がって。原因を確かめる前に──それは訪れた。


「……水?」


 そう、水だ、奔流の計だ。

 警戒していた筈の、渡河をした途端に全軍が崩壊の危機に瀕するであろう水の暴力。


 それが、どうしてかこのタイミングで、襲い掛かってきた。

 ──川じゃなく、前衛のイスペリア軍に向かって。


「……これに、何の意図があるのでしょうか」


 困惑した様に、アンナさんが呟いたのも分かる。

 だって訪れたのは、想定していた津波よりも遥かに小規模な、足元を掬うくらいの浅い水深のもの。


 多分、田んぼに水を引くやり方の大規模版。

 堰止めて、支流を引いて無理やり地上に水を流し込んだ。


 攻撃というよりは、給水車が壊れて辺りを水浸しにしてしまったという風情がある。

 氾濫とは程遠い、威力の無い水鉄砲。


 ただ、足元が緩く、歩きづらくなったくらいのもので……。


「──マズイ、それが一番困るんだ!」


 そう叫んだ瞬間に、上流から土煙が見えた。

 何かの集団が、こちらに向かっているのだ。


 それと同時に、敵正面の軍が大声を上げながら、此方へと駆け出していた。


「っ、クローデットさんに連絡! 敵の奇襲部隊が接近中、此方から打って出るように伝えて下さい!!」


「は、はいっ、承知いたしました!」


 土煙を撒き散らしながら接近してくる的に、思わず下唇を噛んだ。


 油断していなかったのに、虚を突かれた。

 鮮やかに、完璧なぐらいに。


 気が付いたのが一手遅くて、先んじられて。

 敵の方が上手だったと、認めるしかなくて。


 イスペリア軍は、混乱の只中にあった。

 自らが、攻める立場だと思い込んでいたが故に。


 攻勢をかけられている現実を、直ぐには受け止められていない。


 ──虚が、生じていたのだ。



 ……挽回、しなければ。

 まだ、戦いは始まったばかりなのだから。


 そう思いながら、接近してから敵を睨んだ。

 このままにはしておかないと、強い意志を持って。






「……狙うはメンドースの首一つ。他に構わないで」


 水で泥濘んだ道を避けながら、アマルは一直線に突き進んだ。目的は、メンドース将軍ただ一人のみ。


 あれが、イスペリアで数少ないマトモな指揮官。

 アレさえいなくなれば、この集団はマトモに機能しなくなる筈だから。


 そう判断して、彼女の率いる騎馬隊は一路イスペリア軍後背へ、部隊の最奥で指揮をしているであろうメンドースの下へと突き進んだ。


 これが成功すれば、勝てると踏んで。

 前方から、此方へ向かってくる土煙に、反応の良い敵がいると、僅かに顔を顰めながら。




 迫り来る砂塵を確認して、周りが慌てふためいているのを気にした風もなく、一つメンドースは頷いた。


「やはり、こちらの想定を超えてきましたね。流石はイスペリアの大敵、ファイカ・ビント・ハミダ」


 いつもの微笑みは何処へやら、無機質に戦況を俯瞰して。


「──ですが、想定を越える理不尽があると、貴方も思い知る時が来ました」


 瞬発力を見せ、接近してくる敵奇襲部隊に反応するマリーナ騎士団を確認し、メンドースは今までにない程の笑みを見せた。


「北部諸侯が頼りにならないのならば、自ら出て来ざるを得ませんからね。そのために、ガルガン人達を煽りました。北西部を失陥すれば、取り返せる余地はありませんもの」


 ──ネットリとしていて、粘着性に富んだ笑みを。


「ふふ、ふふふふふっ。ええ、それが最善手でしょう。ですが、その判断の正しさが貴方の命取りです!」


 これまで何度も苦渋を飲まされた敵将に対して、歪んだ敬意と明快な憎悪を発露しつつ、メンドースは自らの唇を軽く舐めた。


「理不尽な暴力を前に、今度は貴方が屈する番です。策を粉々にする脳筋の恐ろしさを、是非その身で味わって下さいな」




 ……あまりに鮮やかな手腕を披露する相手に、ちょっとメンドースは勘違いをしていた。

 今回の相手は、ファイカの孫であるのだから。


 後日、それを知り、羞恥のあまりに近くの木に蹴りを入れまくることになるのはお姉さんの秘密であった。

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