第1章 望みは、ひとつ 6
吹き抜けの空間は、周囲をぐるりと本に囲まれていた。
埃っぽい空気を吸い込んだミーシャは、咳をひとつした。
静まり返った図書館に響いた音は、高い梯子の上にいた少年の耳にも聞こえた。
「マーティン。話があるの。降りてきて。」
梯子の一番天辺で、棚に寄り掛かるような体勢で、本を読んでいたマーティンは、一階のエントランスホールの中央に立っている少女を見下ろした。
「今すぐ、聞いてほしいの。」
切羽詰まった声を聞いたマーティンは、肩をすくめると、本を棚に戻した。
ミーシャを無視することはできない。
「マーティン。私達は、友達よね?」
梯子を降りたマーティンに駆け寄ってきたミーシャは、噛みつかんばかりの勢いで少年の肩を両手で掴むと、顔を覗きこんだ。
「そうだと思っているけど。」
興奮している時のミーシャの言動は、ろくなものじゃない。
嫌な予感を感じたマーティンは、渋々答えた。
「どうしても、ほしいものがあるの。手に入るのを手伝ってくれない?」
そら、きた。
マーティンは、内心、大きなため息をついた。
「ほしいものって何?」
「まだ、秘密。」
「何をしてほしいの?」
「私を白磁宮の巫女にしてほしいの。」
「君を何にだって?」
面食らったマーティンは、ミーシャを見つめた。
「巫女。ムトスの神々の預言者。白磁宮の巫女になりたいの。」
ミーシャは、さらりと答えた。
「白磁宮の巫女は、一代に一人だけだ。その一人は、もう君の姉さんに決まっているだろう。」
マーティンは、慎重に答えた。
「姉様では、役不足だと言ったら?」
状況の掴めてきたマーティンは、挑戦的なミーシャの視線を落ち着いて受け止めた。
「シーナ・マルケウスとユリウス・ラッカを結婚させるためか。あらかた、君の姉さんに泣きつかれたってところだろう。」
「違う。ほしいものを手に入れるためよ。自分のためなの。」
「自己犠牲の精神は、好きじゃないんだ。」
容赦なく言い放ったマーティンだったが、ミーシャの目に大粒の涙が浮かんできたのを見ると、さすがにぎょっとした。
「そんな善いものじゃない。ただ、もう惨めになりたくないの。ほしいものをほしいと言いたいの。」
ミーシャは、涙を隠そうとも拭おうとしない。
「だから、そのほしいものって、何だよ。ユリウス以上にほしいものなんてあるの?」
弱ったマーティンは、シャツの袖をミーシャの顔に押し当てて、ごしごしと拭いた。
マルケウス家の娘をそんな粗雑に扱うのは、マーティンくらいだろう。
「言えない。だけど、あるの。もう長いことずっとほしかったの。」
鼻をぐずぐずいわせながら、ミーシャは、言った。
「嘘をついていない?」
「ついていないわ。神々に誓って。」
ミーシャの言葉を聞いたマーティンは、くっと喉で笑った。
「その台詞。他の人間が言うと、白々しく聞こえるけど、ミーシャの言葉だと、なぜか信じられるよ。」
「手伝ってくれるの?」
「いいよ。でも、ちゃんと体張ってもらうから。」
マーティンは、真っ赤な鼻をした少女が安堵の表情を浮かべるのを見ると、再び小さく笑い声を上げた。