28.困惑! ジョーカーより恐いもの
MRF株式会社の社長、山田は背が低く、太った男だ。まるで、たぬきの置物のような体型をしており、年齢は60代半ばといったところ。頭頂部がはげているのに対して、横の毛はふさふさだ。
取り立てて特徴のない顔立ち。しかし、やけに目がギラギラしている。容姿は冴えないが、服装は整っており、自信に満ちあふれた雰囲気を発している。
それは大企業の社長であるという自負心からくるものかもしれなかったし、逆にこういう男でないと社長は務まらないのかもしれなかった。
「お忙しい中、足を運んでいただいて恐縮です。それで、今日はどのようなご用件でしょう?」
人当たりの良い笑顔を目の前の女に向けながら、山田は丁重な物腰で話を切り出す。普段のこの男の横柄な振る舞いを知っている者が、今の彼を見たら驚くに違いない。
しかし、彼にしてみれば、この態度は当然だった。
山田はジョーカーの構成員だ。面識はないが、佐藤と名乗る女の正体――彼女はジョーカーの大幹部だ――を知っており、彼女は丁重にもてなすべき相手だった。
女はつまらなそうな顔で言う。
「あら、そんなにかしこまらなくても大丈夫よ。今日はちょっとあなたに確認したいことがあってきたの」
「……私に確認したいこととは、なんでしょう?」
山田が不思議そうな顔をする。
「組織への上納金の件よ。あなたのところ、かなり儲けているみたいじゃない? なのに、どうして組織に納めている金額がこんなに少ないのかしら?」
彼女の露骨な質問に、山田は気を悪くするでもなく、にこやかに対応する。
「いきなり何をおっしゃるかと思えば……。組織へは詳細な数字を報告していますし、ちゃんと利益に見合った額を納めています。なんなら帳簿類もお見せいたしましょうか? そんなことを疑われているとは、心外ですな」
言葉遣いは丁寧だが、そこには侮りのニュアンスが含まれている。
ジョーカーの怪人とはいえ、彼女は山田の孫と同じくらいの年齢だ。しかも女。どうせ、物事の真偽など見極められまい。
すると、突然、女がクスクスと笑い出した。
「どうされました?」
山田が不可解な顔をする。
「ごめんなさい。だって、あまりに滑稽なんですもの」
「なっ。どういうことだ!」
一瞬にして山田の頭に血がのぼる。
自分よりもはるかに年下の者に笑われて、気分を害さない者はいない。
しかも、山田はプライドの高い男だった。
相手がジョーカーの怪人だという事実も忘れ、山田は女をギロッと睨み付ける。
しかし、山田の剣呑な視線を受けても、女は平然としている。
「あなた、全然わかってないみたいね。“組織が怪人を遣わす”ということの意味を」
「……何が言いたい?」
山田が怪訝な顔をする。
「数字? 帳簿? そんなものの確認のためなら私をここに遣るわけないじゃないの。組織の別の構成員――普通の人間を遣るわよ。でも実際には、怪人の私がここにいる。ねぇ、これがどういうことか、わかる?」
何がそんなに面白いのか、おかしそうに女が言う。
逆に、山田は恐怖に顔を歪めた。
「組織が私を切り捨てるというのか? 馬鹿な、ありえない!」
「どうして? 私としては、ありえないと言い切るあなたの方がありえないわ」
「私は十分組織に貢献している。私ほど上手くやれる奴が他にいるか? ここまで会社が大きくなったのも、利益を上げられているのも、全て私のおかげだ! 私がいるからだ!」
興奮して山田が語気を荒げる。最後の方は叫びに近い。
女はそんな山田を見て、鼻で笑う。
彼女からしてみれば、山田の主張などどうでも良かった。
山田がいくら優秀だろうが、組織に貢献していようが関係ない。
問題は、山田がジョーカーを裏切ったことにある。
ジョーカーは裏切り者を許さない。
「はいはい、それはすごいわね。だから、組織への上納金をごまかしてもいいと、そう考えたわけね」
「そ、そんなことはしていない!」
山田は必死に否定する。
「あらそう。まぁ、私としてはどっちでもいいんだけど」
女は素っ気なく言う。
「……どっちでもいい?」
「だってそうでしょ。あなたが組織を裏切っていようがなかろうが、私には関係ない。私はただ組織の命令に従うだけ」
女はニヤニヤ笑う。底意地の悪い笑みだ。
山田はぶるりと震えた。最悪の可能性が脳裏に浮かぶ。
「組織は……、組織はどんな命令をお前に下したんだ?」
絞り出すような声。彼女はそんな山田を見て、楽しそうに笑った。
「あなたのこと好きにしていいって言われたわ。つまり、あなたを生かすも殺すも私次第ってわけ。なら、楽に終わらせたいじゃない? 事実がどうこうなんて面倒なだけよ。適当な理由をつけて、不正を働いていたから処分しました。これが一番手っ取り早いのよね」
自分勝手な理屈を当然のことのように言う。その声には、相手をなぶるような響きがあった。
「そんなことをしたら、お前もただじゃすまないぞ」
強い口調で山田が言う。しかし、そんな脅しは女には通用しなかった。
哀れみと侮蔑を込めた目で、彼女は山田を見る。
「馬鹿ね。まだわからないの? 組織はあなたをもう見放しているのよ。裏切り者には死を、それが組織の方針でしょ?」
「そ、そんな……」
山田の顔から血の気が引く。もはや死刑宣告されたも同然だ。
女は、山田に優しく慰めるような声をかける。だが、その言葉はどこまでも残酷だった。
「かわいそうにね。でも、あなたがいけないのよ、調子に乗るから。残念ながら、忠誠を誓えない者は組織には必要ないの」
女の姿が変わる。薄い紫色の皮膚。人間とは明らかに異なる顔、形。ジョーカーの恐ろしい怪人の姿だ。山田は声にならない悲鳴を上げ、部屋の隅に逃げる。
「ち、違う! 私はそんなつもりじゃあ」
「そんなつもりねぇ……。なら、どういうつもりだったのかしら?」
獲物をいたぶるかのように、怪人姿の女はねっとりとした声で問いかける。
しかし、山田は何も答えない。
彼女は、小さくため息をつく。
「残念ね」
女が、山田に一歩近づく。
「ま、待て! 私は組織を裏切るつもりなどなかったんだ。ただ脅されて仕方なく……」
血相を変えて山田が叫ぶ。
「……脅された? 誰に?」
女が立ち止まる。その言葉は、聞き捨てならない。
「そ、それは……」
この期に及んで、悪あがきをする山田。
女は怒気を込めた声で、彼に迫る。
「もう一度質問するわ。一体誰に脅されたの?」
しかし、山田は強情だった。真っ青になりながらも、必死で抵抗する。
「……い、言えない」
「言わないと、死ぬことになるわよ?」
女は指から糸を出し、山田の片足に絡ませ、引っ張る。
山田はバランスを崩して無様に倒れた。
そのまま、彼女は糸を引っ張り、山田をグイグイと自分の方へ引き寄せる。
「ひ、ひぃ……」
「素直に言いなさいよ。理由によっては、ジョッカーに許してもらえるかもしれないわよ?」
情けない声を上げる山田を、容赦なく引きずる。
「わ、私を脅したのは、脅したのは……」
言葉が続かない。
何かを言いかけようとし、すぐにやめる。
突然、山田は何かを思い出したような様子で、恐怖に目を見開き、ガタガタと震えだした。
本気で怯えているようだ。
その異様な光景に、女は息をのむ。
「どうしたの? 誰がお前を脅したというの?」
なおも山田に質問するが、反応がない。
うなだれたまま、山田は一言も言葉を発さなくなった。
「……。まぁ、いいわ。答えてもらうわよ、全て」
女が細い糸を指から放出する。催眠効果のある糸だ。
山田はビクッと一瞬体をこわばらせたが、すぐに動かなくなった。
彼女は軽くため息をつき、話を聞き出す準備に入った。
◆◇◆◇◆
もう最悪ね!
あの山田って社長、気持ち悪いったらないわ。
先程のMRF株式会社の任務を思い出して身震いする。
今回私に下された任務は、MRF株式会社の社長、山田の処分――ではなくて、裏切りの背景を聞き出すこと。できれば証拠品も持ち帰れと言われていた。私の能力を見込んでの任務だ。
でも、残念ながら、私の能力はそこまで万能じゃない。
催眠術の効き目は、相手の心理状態に左右される。相手が私に魅惑されていたり、動揺していたりすると効果が高いけど、そうでなければ少ししか操れない。
さらに尋問するなら、ある程度ピンポイントに聞かないとダメだ。漠然とした質問だと、きちんとした答えを得られない。
誘惑するのは絶対嫌だから、脅す方向へ持っていったわけだけど、これはある程度成功したといえる。聞きたいことは聞き出せたし。
問題は、山田が金のために組織を裏切ったのではなかったということね。彼は誰かに脅されていた。山田を脅していた人物、その名前も聞き出すことはできたけど……。
一体どういうことなのかしら? ワケがわからない。アイツがジョーカーを裏切っているなんて。こんなこと、誰にも相談できないし。
それにしても、あの山田の怯え方。普通じゃなかった。山田はジョーカーの制裁よりも、脅していた人物の名を言うことを恐れた。
……ジョーカーよりも恐いもの。そんなもの、この世に存在するかしら?
次回は木曜日に更新。
さてと、後はこの書類をカマキリソルジャーに届けるだけね。
えーっと、アイツの会社はっと……。
次回、『不幸! 悩めるエリート カマキリソルジャー登場①』