12.脱獄! マルカトラズ連邦刑務所
空を黒一色で塗りつぶしてしまったかのような、月も見えない夜。辺り一面は静まりかえっており、波の音だけが聞こえる。
暗い海の上で、まるで世界から見放されたように一つの島がポツンと浮かんでいた。
その島の名はマルカトラズ島。別名監獄島ともいわれる犯罪者の牢獄である。
闇夜に紛れて、静かにその島に降り立つ。
島の中央に佇む、ものものしい雰囲気を漂わせる建物を見て、私はゴクリとつばを飲み込んだ。
これがマルカトラズ連邦刑務所か。刑務所っていうより要塞ね、これは。
実際、この刑務所は、昔、軍事要塞だったらしい。渡された資料に、そのことが長々と書いてあった。
四方をとり囲む巨大な壁に、外敵を発見するために設置された塔。ごつごつとした石の壁はいかにも頑丈そうで、窓には鉄格子がはめられている。
まるで、軍事要塞として活躍していた自らの歴史を誇るかのように堂々とそびえ立っている。
……実際に見ると、すごい威圧感。
大丈夫。今日はB・Bがいるから楽勝よ、楽勝!
B・Bの方をチラリと見る。彼は面白そうな顔をして建物を眺めている。余裕ね……。
さてと。
私は、腕時計型装置のスイッチを押す。
私の姿が変化する。皮膚の色が薄い紫色に変わり、固い殻が身を覆う。その殻は、一見すると、レオタード型の鎧のように見えるかもしれない。手足を覆う殻は、ロングブーツ、ロンググローブの代わりだ。顔の下半分は人間らしい部分が残っているが、上半分は蜘蛛の顔をした仮面のような殻で覆われる。
この格好は、少し露出が気になるのよね……。
B・Bも怪人化する。顔を含め全体が赤銅色の鎧のような固い殻で覆われる。頭から生えているカブトムシの立派な角と、赤く不気味に光る目が印象的だ。体もひとまわり大きくなる。
私の姿は人間の名残があるけど、彼の場合はまさに二足歩行の昆虫といった外見ね。
ちなみに、この腕時計型装置がなくても怪人にはなれる。ただ、着ている服が破けるので、怪人化を解除した時に裸になりたくなければ、この装置は必須なのだ。
どういう仕組みかって? ……細かいことを気にしてはいけない。この世界には不思議がいっぱいなのだ。
実は、この装置、私たちが死んだときには自動的に爆発する。機密保持のためだ。だから、勝手に外すことは許されない。肌身離さず持っておくことが義務づけられている。
「行くわよ、綾ちゃん」
B・Bが私に声をかける。人間の時とは違ってくぐもった声。
その声で、その言葉遣い。ますます不気味ね……。
そんな失礼なことを考える私。怪人になると、多かれ少なかれ皆声の質が変わるのだ。
もちろん私も。この姿から、本来の人間の姿を想像するのは難しい。
B・Bが壁を登り始めたので、私もそれに続く。
ペタペタペタペタ……。
バカみたいに高い壁を登っていく。普通の人間なら苦労するものでも、怪人の私たちには通じない。
苦もなく、壁のてっぺんまで登り切ると、私はB・Bの方を見た。
彼は羽を広げて、飛び立つ準備をしている。
下から飛べたら楽なんだけど、どうもカブトムシの怪人であるB・Bは飛ぶのがそれほど得意でないらしい。高いところから飛び立たないと地面に激突してしまうのだ。
「綾ちゃん、私に捕まって。飛ぶわよ」
がしっ。私は、飛び立とうとするB・Bの手に捕まる。彼はためらうことなく、壁から飛び降りた。
B・Bの飛び方は、空を飛んでいるというよりは、まるでハングライダーで滑空しているよう。あっという間に、目的の壁が近づいてくる。
すたっ。着地成功! 指から蜘蛛の糸を出して、B・Bから建物の壁へと飛び移る。ほぼ同時に、B・Bも壁に飛びついた。
例の窓の近くまでよじ登っていく。中に入ろうとするが、窓には鉄格子がかかっている。
「B・Bお願い」
「任せてちょうだい!」
B・Bが鉄格子に手をかけて力を入れる。
パキン!
鉄格子は甲高い音を立てて、壁から外れた。
さすが! 拍手をしたいところだけど、今は任務中だ。
私は窓から刑務所の中にサッと滑り込んだ。
まずは監視カメラをなんとかしなきゃ。資料で場所は確認してある。私は、注意深くカメラの死角に入りながら、糸を発射し、カメラのレンズを覆う。
危なそうな位置にあるカメラを塞ぐと、B・Bを呼び寄せた。
「B・B、もういいわよ」
「了解!」
B・Bも建物の中に入ってきた。
「ターゲットの牢屋へ急ぐわよ」
私の言葉にB・Bが頷く。
ここからは時間の勝負だ。看守が異変に気付いて駆けつけてくる前に、ターゲットと接触しなくてはならない。
怪人は隠密行動が基本。目撃者は消すのがルールだ。戦闘にでもなったら面倒なことになる。
私とB・Bは駆け出す。目指すはターゲットがいる牢屋だ。しかし、急ぐ私たちの目の前に、鍵付きの扉が立ち塞がる――が、すぐに、B・Bがその怪力で扉を壊す。
バキッという音を立てて、いとも簡単にその扉は開いた。
やっぱり、B・Bの能力は便利よねー。私だとわざわざ鍵を探しに行かなくちゃいけないもの。あれ、毎度毎度、大変なのよね。
『何だ、ありゃ?』
『ば、化け物だ!』
『あれ、女じゃね?』
『ヒュー。姉ちゃん、こっちに来て俺たちの相手をしてくれよ』
『出せー。出してくれ!』
周りの牢屋に入っている囚人達が騒ぎ出す。
……うるさいなぁ。私たちは忙しいんだから、あんたたちに構っている暇はないの。
私は、囚人達を睨み付ける。
外国語だから全部は聞き取れないけど、絶対ろくなこと、言ってないでしょ。
あーあ、時間があったら、しばき倒してやるのに。
えっ、目撃者は消すのがルールじゃないのかって?
いいの、こいつらは。どうせ、囚人の戯言で片付けられるわよ。
囚人達を無視して、通路を進んでいく。地図はちゃんと頭の中に入っている。
あっ、ここじゃない?
一番奥の牢屋の前で止まる。
牢屋の中には初老の男が呆然とした様子で立っていた。写真で見た顔と同じだ。背は高く、口ひげを生やしており、いかにも神経質そうな顔をしている。大きなギョロッとした眼は、驚きに見開かれている。
――こいつの名前はカール・メレンゲ。あの“死神医師”のDr.メレンゲといえば、大抵の人間はピンとくるはず。史上最悪のマッドサイエンティストである。
こいつは、人類のための実験とかいいながら、自分の患者や攫ってきた人間を“モルモット”と呼び、様々な人体実験を行っていた。その実験の内容は常軌を逸したものだった。
彼の目的は新たな生命の創造であったという。独自の理論に従い、ある時は死体を、またある時は生きた人間を使い、彼曰く、人類の希望を生み出すことに励んだ。
警察官が駆けつけた時、哀れな被験者は皆人ならざる姿に改造されていたという。事態が発覚するまでに、約1,500人もの人間が彼の実験の犠牲者となった。
そんな彼に世間がつけた二つ名が「死神医師」。
残念ながら、彼が逮捕された州には死刑制度がなかったため、彼は終身刑としてマルカトラズ連邦刑務所に入れられることになったのだ。
こんなヤツ、一生牢屋に閉じ込めておけばいいのよ。ジョーカーが何を考えているかはしらないけど、どうせこいつを使ってろくでもないことをするに決まっている。
……失敗したフリをして、帰りの海に投げ捨てちゃおうかな。
ついそんな考えが頭にもたげる。
しかし、ジョーカーでの命令違反は死だ。失敗にはある程度寛容でも、命令に逆らった場合は有無をいわさず処分される。結局、どんなに気が進まなくてもやるしかないのだ。
B・Bをチラリと見る。彼は頷くと、牢屋の鉄格子に手をかけた。
メキメキメキッ。
鉄格子が歪み、悲鳴を上げる。みるみるうちに、人間が入れるくらいの穴が開いた。
『ひ、ひぃ。ば、化け物』
Dr.メレンゲが無様に尻餅をつく。彼は一生懸命、私たちから距離を取ろうとする。しかし、上手くいかないようだ。腰が抜けたのかもしれない。
『Dr.メレンゲ、私たちと来てもらおう。お前に、拒否権はない』
私は、できるだけ冷たい声を出す。
『わ、私をどこに連れて行くつもりだ?』
『さぁ? でも、そうね。死神にふさわしいところなんて、地獄ぐらいじゃない?』
鼻で笑ってやる。絶望に顔をゆがめる彼。
あら、死神が私たちを怖がるなんて不思議ね?
『い、嫌だッ』
必死に逃げようとする。
もう! 手間かけさせないでよ。
暴れるDr.メレンゲを素早く蜘蛛の糸で簀巻き状態にする。声が出せない様に、顔も巻いておく。
ヒョイと、B・BがDr.メレンゲを担ぎ上げた。さて、さっさとここから脱出しなきゃ。
ドカッ。
すごい音がした。牢屋の外側の壁をB・Bがその拳で、ぶち壊したのだ。パラパラと壁が落ち、外の景色が丸見えになる。
私たちは、B・Bが作った壁の穴から飛び降りて、建物の外に出た。
鍵をかけても簡単に壊せるし、壁があってもぶち破りそこに道をつくることができる。B・Bの前では一般的なセキュリティーは意味をなさない。
私の能力だとこうはいかない。ただ、B・Bは手加減が苦手だから、生け捕りなどの繊細な作業は向いていないみたいだけど。
なにはともあれ、今回の任務はB・Bのおかげで非常に楽ね。
ヂリリリリリィーン!
おっと。警報がけたたましく鳴り響く。
建物の外に出た私たちは、最初に登ってきた壁の元へ急ぐ。よし、着いた!
ドゴッ!
またもや、B・Bの拳が壁を砕く。行きは気付かれたら困るから登ってきたけど、帰りはそんなことをする必要はない。壊れた壁をくぐりぬけ、ボートへと急ぐ。
看守らはまだ私たちを捉えることができていないようだ。見当外れな場所で騒いでいる。私たちはボートに乗り込み、サッサと島から離れた。
任務後、B・Bはサンフランシスコの観光に綾を誘う。
美味しそうな食べ物に目を輝かせる綾を見て、B・Bは思う。
この子、意外に食い意地が張ってるわね……。
次回、『美味! サンフランシスコ観光』