14.
ああ、船医さん。優しいフィリッポもついにとうとう貧乏にのまれるようにして、《叔父》になってしまいました。禁酒法が始まる前日の夜でした。わしが目を覚ますと、一階の売り場からひそひそ声が聞こえてきました。
「これはとんでもないチャンスなんだ、フィリッポ兄さん。禁酒法が施行されれば密造酒でいくらでも儲けられる。こんなケチくさい生活ともおさらばできる」
ベレンザーリオの声でした。そして、ジュセッペの声も。
「まず、ドン・チェーザレを殺っちまえばいい。ニューヨークを離れてからの五年間で、おれとベレンザーリオは組をつくったんだ。ドン・チェーザレなんて、もう敵じゃねえ。一気に片づけておれたちがシマを乗っ取っちまうんだ」
「だが失敗したら?」
「殺されるだけじゃねえか」
「だめだ、できない。父さんも反対する」
「だから親父は食い物にされた」
「ジュセッペの言うとおりだよ、フィリッポ兄さん。このままやつらに甘い汁を吸わせれば、親父はすっからかんにさせられるぞ。オレオ・イアネッラのやつが親父を目のかたきにしてるのは知ってるだろ? 親父はいままであいつの恐喝になんとか耐えてきたけど、親父ももう歳だ。このままじゃオレオ・イアネッラにやられちまう」
「兄貴にだって家族がある。楽をさせたいだろ?」
「だが、危険すぎる」
「でも、得られるものはでかい。ベレンザーリオが考えたんだ。おれたちは高利貸しで巻き上げた合法的な会社を全部まとめて一つの企業にする。洗濯工場とかパン屋組合とかだ。その社長に親父をすえる」
「どうして親父なんだ?」
「おれとジュセッペは前科があるし、それぞれの事業をかかえてる。賭場とか密造酒工場とか。そう、親父を表看板にして警察への目くらましにするんだ。子ども三人を残して妻に先立たれた貧しい男が一所懸命働いて、大会社の社長になる。《アメリカ人》好みだと思わないか」
「結局、お前らも同じじゃないか。親父を食い物にするつもりだ」
「そんなことはない。親父は別になにもしなくていいんだ。会社の経営も、違法なことにも関わらなくていい。ただ社長の椅子に座っていれば、週何千ドルの給料が親父に転がり込んでくる。なあ、親父はもう十分こき使われてきた。ガキのころから硝石掘りをしてきたんだぜ。そろそろ楽をさせてもいいはずだ。ここでフィリッポ兄さんがウンといってくれなきゃ親父の一生はずっと最底辺のままだ。おんぼろカーペットみたいに踏まれつづけて、いつかは擦り切れちまう。だから、おれとジュセッペ、フィリッポ兄さんの三人で、兄弟が結束して、この一大チャンスに賭けるんだ。ドン・チェーザレの持ち物全てを乗っ取るのは今しかないんだ。親父を説得してくれ」
「少し待っててくれ」
フィリッポが寝室に来ました。わしはすがりついて頼みました。
「ああ、フィリッポ、やめてくれ。わしは全部聞いていた。わしはもういいんだ。金持ちになんかなれなくてもいいんだ。カーペットみたいに擦り切れてもかまわない。だが、お前たちだけは! 《叔父》どもを相手に戦いをしかけるなんてことは無謀だ。殺されるに決まってる。《叔父》を倒すには自分たちが《叔父》になるしかないんだ。ああ、フィリッポ、それだけはいかん。フィリッポ。わしと一緒に真面目に生きていこう。死んだ母さんも喜んでくれる。きっと、いつかきっと……」
「父さん、店を処分してくれ。何かあったら、すぐに家族を連れて町から出られるようにしてほしい」
「ああ、フィリッポ! 行かないでくれ!」
ああ、フィリッポ! フィリッポ! ベレンザーリオ! ジュセッペ!
……三人はわしを置いて、夜の街へと消えていきました。わしはできるだけの家財道具と現金を持って、フィリッポの妻子を起こし、無理やり外に連れ出しました。《叔父》どもに逆らうことの恐ろしさは誰よりも分かっているつもりでした。ドン・トゥリッドゥに狙われてカステルビアンコを逃げたのと同じように、わしは逃げねばならなかったのです。でも、どこへ? せっかく手に入れた小さな食料品店を捨てて? やっと築き始めた生活の基盤を捨てて? わずかな金とともに一体どこへ? わしが嫁と孫を外に連れ出したその瞬間、自動車が一台急発進してきました。オレオ・イアネッラの息子が助手席から爆弾を投げつけ、それは、わしの小さな食料品店を吹き飛ばしたのです。
†
ああ、船医さん。わしの耳はどうかしたのでしょうか。キーンという耳鳴りが新聞の売り子が号外を売りさばく声に聞こえてきました。
「号外! 号外! ギャングの親分が殺された!」
新聞には、ドン・チェーザレの写真がのっていました。カステルビアンコ菓子店の店先で蜂の巣にされたあわれな姿をさらして。子どもたちは成功したのです。オレオ・イアネッラの息子は姿を消しました。ジュセッペはやつがきっと報復にくるはずだから見つけ出して先に血祭りにあげてやると息巻きましたが、ベレンザーリオが止めさせました。その前にやることがあると言って……その一週間後、運命がわしをもてあそんで、百万長者にしました。パン屋と倉庫会社と貿易会社と洗濯工場を五十所有する富裕な人間になったのでした。イタリア系アメリカ人からなる《イタリア移民友愛協会》の会長にもなりました。アメリカの新聞やイタリアの新聞が、わしは裸一貫から身をおこしたアメリカンドリームの体現者だと書き立てました。リトル・イタリーの票を目当てにアイルランド系の政治家がわしの手にキスをしました。リトル・イタリーの住民はわしを恐れ、同時に敬いました。いままで《叔父》たちにしてきたように。しかし、突然現れた運命の変転がわしの判断力を鈍らすことはありませんでした。わしはこうしたもの全てが何の意味ももたないことを分かっていました。わしが立っているのはむさぼり食う立場と食われる立場のちょうど中間、どちらでもない意味のない人間でした。そして、数週間後の夜、わしの家にオレオ・イアネッラの息子が姿を現したのです。報復ではなく、命乞いでした。ジュセッペとその殺し屋にずっと追いかけまわされたオレオは昔の面影はなく、死ぬ前の親父さんにそっくりでした。痩せ衰えて、影みたいに薄い胸板の、目がおどおどした男になってしまっていました。あわれなオレオはわしの手にしがみつき、命乞いをしました。どうかジュセッペをとめてくれと泣いて頼んできたのです。
「お願いします。あなたさまのお力でジュセッペをとめてください。おれには家族がいるんです。あなたさまに昔あんなふうにつらくあたってしまったのは、兄と母の無念を思ってのことなんです。ああ、お願いです。おれを、おれをやつらに殺させないでください。やつらはおれを生きたまま引き裂こうとして……」
銃弾が飛んできました。それでオレオの鼻が削げ落ちました。ジュセッペが扉をぶちやぶって、居間にかけこむと「手間かけさせやがって、この野郎」と罵り、オレオ・イアネッラの息子をめちゃくちゃに殴りつけました。銃を握った右手でめちゃくちゃに……ああ、ジュセッペの右手は……まるで銃を握るためにつくられたような形をしていました。ああ! 手のひらの歪みが銃の把手にぴたりと合わさり、一本だけ生えた人差し指が引き金にがっちりかかっていました。かつて、わしやルチアーナをくすぐってくれたあの人差し指が!
わしはジュセッペに懇願しました。
「やめてくれ、もうやめてくれ」
ジュセッペは薄ら笑いを浮かべて、オレオ・イアネッラを撃ち殺しました。そして、わしに言ったのです。
「おれがこんな右手をくっつけて生まれてきたのは誰かにあざ笑われるためでもねえし、親父の腹をくすぐるためでもねえ。ましてやホルマリン漬けにされるためでもねえんだぜ!」
ああ、船医さん! ああ!




