第4節 美徳の価値
ギルド長室。
威厳と荘厳で、部屋は満たされている。
部屋の匂いも、威厳のそれであるようにさえ思える。それは調度品のせいなのか、それとも部屋の主のせいなのかは分からない。
扉が質素であるだけに、足を踏み入れれば、その食い違いに戸惑う人は多いだろう。
それは今こうして、縛り上げられている窃盗愛好者とて変わらない。扉を開いた瞬間ぎょっとしていた。
それに何と言っても、地下街出身者は貴族が大嫌いだ。それも、『超』が付くほどに。
もちろん例外もいるだろうが、窃盗愛好者はその例外ではないらしい。
バチン! という、何かが弾けたのではないだろうかという程の舌打ちの後、ギルド長室へ足を踏み入れた。
俺はあの戦闘の後、気を失っている窃盗愛好者へ、すかさず、『第三等級魔術〈ミダスリング〉』を行使して、全身の間接を光輪で縛り上げた。
そして、天井付近で浮遊したままの論文を回収、同盟国の外交官と魔導器士に賞賛を受け、彼らの帰国を見送った。
取り残された俺とメツアースの外交官は、気を失ってピクリとも動かない窃盗愛好者の処遇を話し合って、アルウェルのギルド長に判断を委ねようという結論に達したのだ。
なにせ、伝説の大犯罪者だ。警ら隊に差し出した所で、「ハハハ、彼が窃盗愛好者だって?」と小馬鹿にされるのは目に見えている。かと言って、俺が窃盗愛好者の首を刎ねるわけにもいかないだろう。
つまる所、自分達が対処出来る範疇を越えているので、ギルド長に一任しようと結論付いたのだ。
それ程の大犯罪者は、俺達が話を終えた所で、ちょうど目を覚ました。
そして窃盗愛好者は、目を覚ましたと同時に、逃亡を試みたのだが、光輪に縛られ、まともな身動きが取れず、もぞもぞと芋虫のような動きをしていた。
そんな窃盗愛好者にハハハと冷笑を送り、逃亡に対する執着を完全に砕いてやった。
しかしいつまでも、そうしているわけにはいかず、下半身を縛り上げている光輪を外してやり、ギルドまで歩かせたのだ。
もちろん逃亡を企てられたら敵わないので、その間ずっと、首元に俺の剣状魔導器を突き立てていた。道行く人には、さぞ滑稽に映っていただろう。
銀の不死鳥はというと、俺がずっと握っていた。今も握っている。
始めこそ、プルプル震え命乞いをしていたが、俺が危害を加えない事を知ると、なんとも陽気に話しかけてくるのだ。
『私はキャロルよ! 綺麗でしょ。そしてとっても強いの!』
それに対して、窃盗愛好者はバツが悪い顔で無言を貫いていた。
「ご苦労様。取引は無事に終わったようだね。……それと、大きな土産があるようだが」
クロンヴァール侯爵の声に、思考を現実に引き戻される。なんとも愉快そうだ。
彼女は、俺の前で膝を着き真紅の絨毯に体を沈ませている窃盗愛好者に、視線を送る。
「君が窃盗愛好者か。……名前はなんていうんだい? 本当の名前だ」
「ケッ」
「ヴァイスよ! 姓は無いの! ただのヴァイス!」
「テメェ! キャロル!!」
俺の手の中で銀の不死鳥――キャロルが元気良く答える。それに対して窃盗愛好者――ヴァイスが怒号を上げる。
なんだこれ。喜劇か。
しかしキャロルの口を封じたいなら、魔石に戻せば良いのに、なぜそうしないのだろうか。
理由として考えられるのは、魔力の枯渇……いや、第八等級の強力な召喚獣だ。何か、特殊な契約を交わしているのかもしれない。
「ありがとう。綺麗なお嬢ちゃん」
「へへへ。私はキャロルよ!」
「ありがとう、キャロル」
クロンヴァール侯爵の言葉に、キャロルは俺の手の中でじたばたし、嬉しさを体で表現する。
「外交官殿、トウヤ君もありがとう。後はこちらの仕事だ。外交官殿は予定が詰まっているだろう。後は任せてくれ」
「はい。それでは失礼致します」
そう言って外交官は洗練された動作で、部屋を後にした。
終始取り乱す事など皆無だった。
さすがは大陸最大の強国、帝都メツアースの外交官だ。
「トウヤ君。彼女を離して構わない」
「はい。分かりました」
クロンヴァール侯爵が言うならと、素直にキャロルを自由にしてやった。
俺の手から逃れたキャロルは、ふわふわと浮遊し、翼を伸ばす。
キャロルが文句を言う事は無かった。状況が分かっているのだろう。
幻獣――不死鳥フェニックスは知性が高い。それは、人に勝るとも劣らないとされている。キャロルがまだ幼いとはいえ、知性の高さは変わらない。
キャロルは翼を羽ばたかせる事なく、滑らかにヴァイスに近づく。
「ん? それは君の器か?」
キャロルが縛られているヴァイスの懐から何かを取り出す。
自身とさほど変わらない大きさ――それは七色に輝く特大の魔石だった。
「そうよ。綺麗でしょ?」
「あぁ。とても綺麗だ。同盟国の大貴族が、愛娘に贈ろうとしただけの事はあるな」
キャロルは七色に輝く特大の魔石――自身の半身を褒められて、嬉しさを翼のバタつきで表現する。
そして、クロンヴァール侯爵の言葉を受けるなら、これが同盟国で消失した魔石。
「うん。ヴァイスが私を助けてくれたの」
「それは関係ねぇ。テメェの事情なんか知るかよ」
どうやら二人にしか分からない何かがあったのだろう。そしてそれは、どこまで行っても二人だけの領域だ。
不死鳥フェニックスは知性が高い魔物だ。そして何より――誇り高い。
心から認めた相手でなければ、その力を貸す事は無いのだ。仮にも幻獣の一角だ、その忠誠を買う事もまた何より難しい。
つまり、キャロルがヴァイスと契約しているという事は、誇り高い不死鳥が、ヴァイスを認めたという事だ。
永遠に続く絆と信頼。婚姻にも似た関係だ。
何がそうさせたかは分からない。……分からないし、他者が推し量っていいものではない。
何と言っても、召喚術士と召喚獣の契約は神聖なものだ。
契約は、身を捧げ、魂を刻む大儀式。
他者が契約に口を出すのは、召喚術士と召喚獣の魂の在り方を疑う行為。そして他者が契約を推察するのは、魂を覗く行為に相当する。
たとえ、召喚術士が犯罪者だとしても、犯してはいけない絶対不可侵の領域なのだ。
しかし――。
「なんだ。良い所あるじゃないか。ヴァイス」
キャロルの言葉を受けての俺の発言だ。この程度は許されるだろう。俺の前方で、膝をついているヴァイスに声をかけてやった。
「ふざけんなッ! 気安く呼ぶんじゃねぇッ!!」
「ふふふ」
キャロルは自身の器を抱えて、俺の周りを旋回する。主人を褒められて嬉しいのだろう。
しかし本当によく懐いている。
もし俺が、あの場でヴァイスを殺そうとしたら、キャロルは己の全てを賭けて阻止しに来ただろうな。
捕われた身で、出来る事が限られているとしてもだ。
最後の手段としては、自身の魔力の暴発が考えられる。
不死鳥の莫大な魔力を、幼鳥の小さな身に極限まで圧縮、臨界状態を経て意図的に崩壊させる。それは魂の燃焼――すなわち自爆。
魂が燃え尽き、たとえ不死鳥の輪廻から外れる事になっても、キャロルは躊躇いなく主を守ろうとしただろう。
召喚獣が主を守って命を捨てる事は、多々ある事だ。その逆もまた然り。ヴァイスにそれがあるかは知らないが……。
『殺さないでください』とはよく言ったものだ。あれは、『ヴァイスを殺さないでください』という意味だったのだろう。
「そういえば、盗んだ品はどうしてるんだい?」
クロンヴァール侯爵の声によって、俺は再び現実に引き戻される。
「あぁ。全部まとめて下にある」
ヴァイスが言う、『下』とはアルウェル大地下街の事だろう。
「ヴァイスは盗んだ物、全部私に運ばせるのよ」
「不死鳥に運ばせるなんて贅沢に過ぎるが、合理的ではあるな」
そして俺が口を挟む。
大方、不死鳥に不可視の魔術をかけて運ばせていたのだろう。
不死鳥は鳥類で最速だ。そして強い。撃ち落される事はそうそう無いと言える。
希少性から贅沢と言わざるを得ないが、運搬に用いるとするとこれ以上はないだろう。
なんと言っても王族が、密書のやり取りに不死鳥を用いるくらいだ。
「それならば、盗んだ品はこちらで全て回収させてもらう。いいね?」
確認など取る必要は無いのだが、クロンヴァール侯爵は、『一応』と自前の律儀さを見せる。
「勝手にしろ。使えるもんは使うが、それ自体に興味も価値も無ぇ」
「……では、些事が片付いた所で本題に入ろうか」
「あぁ。俺の未来は一つしか無ぇけどよ」
絞殺、焼殺、打ち首、数えれば切りが無いが、結果として行き着く先の未来――それは死。
裁かれるとして、極刑は免れまい。彼は史上最悪の大犯罪者の一人だ。
国を跨ぎ、その名を世界中に轟かせた大犯罪者――窃盗愛好者。
彼を裁くとなれば、帝国メツアースはより一層の栄光を手にするだろう。
『かの大犯罪者、窃盗愛好者を捕縛、首を落とすのは、やはり大陸最大最強帝国メツアース』って所か。
そして、クロンヴァール侯爵は口を開く。
「冒険者にならないか?」
呆気にとられるヴァイス。しかし、すぐに我に返る。
「テメェ何言ってんだ?」
「分からないのか? 君を殺すのは勿体ないと言っているんだ。君には魔導器士級の実力、いや……もはや魔導器士と呼ぼう。仮にも、魔導器士に成り得るだけの頭があるなら、ここから先は言わなくても分かるね?」
「……アルウェルの剣になれってか。アンナ=マイヤ・クルゼル・クロンヴァール」
「そうだ。君が誰かを一人でも殺していたら、首を刎ねてやらなくてはいけなかったんだがね」
盗品は回収、返却出来るし、窃盗は大きな問題にはならない、とクロンヴァール侯爵が続ける。
「冒険者……というよりも、私に雇われる、と言った方が差異がないな。そこのトウヤ君みたいにね」
君はどう思う? とクロンヴァール侯爵は俺に問を投げる。
「大賛成です」
迷いなど見せない。そんなもの即答だ。
客観的に見てヴァイスは強い。これは変え難い事実だ。
活用しない手は無いだろう。
しかしやはり……どこまで行っても、『御せれば』という前提の上での話だ。
「どうだい?」
クロンヴァール侯爵が、笑みを浮かべる。その笑みというのも、非常に暖かいものだった。
笑みの先にはヴァイスを捉えている。
「くだらねぇ」
対するヴァイスは、残虐なまでの冷たい視線で答える。
「今すぐ返事が欲しいわけではない」
「……」
交わる、『正』と、『負』の対極の視線。
クロンヴァール侯爵は、いかにしてヴァイスを取り込もうか考えている。あるいはその先まで。
ヴァイスは、いかにしてこの場をやり切るか画策している。あるいは提案に乗った先で、どのようにしてやり切るかまで。
無限にも思える沈黙。
「分かった」
先に口を開いたのはヴァイス。
「乗ってやる」
厳密な計算の先で導かれた答え。幾重にも検算を重ねヴァイスが導き出した答え――それは、『承諾』だった。
そしてその答えは、クロンヴァール侯爵の期待に足り得る物だった。
場を満たすのは、クロンヴァール侯爵の暖かい笑顔と、ヴァイスの少しばかりの気まずさ。
「一つ疑問なのだが、君はどうして人を殺さないんだい?」
クロンヴァール侯爵が疑問を投げる。それに脅迫性はない。ただただ興味の果ての疑問。
「法哲学は苦手だ。それに理解も出来ねぇ」
「そういう意味じゃない。美徳を説くつもりはないんだ。質問を変えよう。人を殺さない事が、君の美学か?」
「違う。人を殺さない事は一つの手段にすぎない。それは窃盗という行為も変わらねぇ。どこまで行っても一つの手段だ」
一間置いてヴァイスが続ける。
「……とはいえ、美学が行動をいざなう物ではなく、一連の行動に付随する物ってなら、人を殺さない事が、窃盗における俺の美学と言えるかもな」
「それが聞ければ十分だよ」
そう言ってクロンヴァール侯爵は視線をヴァイスから外し、窓の外へやる。
「後はこっちに任せてくれ。もう行って構わない」
顔は見えない。しかし、彼女の声はどこもでも愉快そうだった。
ギルドの大理石の廊下。
ギルドは、白を基調とした城のような巨大な建築物であり、廊下においても比例するように、幅が広く、白い大理石が敷き詰められている。
そんな廊下にコツコツと響き渡る足音が、二つ。
俺とヴァイスだ。
「……」
会話は無い。無言を貫きつつ出口に向かう。ただ向かう出口が同じであるだけ。口を交わす必要はない。
「あ! トウヤ様!」
そんな沈黙を打ち破ったのは、やけに元気な声。
足を止めて、声がした方向、後ろを振り向くと案の定、ギルド職員のセリーヌ・アリオーが居た。
桃色のショートカットで、所々から毛が飛び出している。
その毛をぴょこぴょこと跳ねさせながら、小走りで駆け寄ってくる。
いつも元気だ。
「お疲れ様です! またトウヤ様宛てに凄い額のお金預かってますよ」
今度は何したんですか? とセリーヌはひまわりのように笑う。
「あぁ……ちょっとな」
隣に居るコイツを退けて得た金だよ、とはさすがに言えず曖昧な返事をする。
ヴァイスに気を遣う必要は無いのだが、無駄に社交的な返事をしてしまった。
「隣のお方はお友達ですか? 歳は私と同じくらいですね」
「うん……まぁ。そんな感じだ」
「あぁ! 急がないと! それではトウヤ様、お友達さん失礼します!」
セリーヌはそう言って忙しなく、廊下を走って行った。
そして、俺は出口に向けて再び歩を進める。
しかし、僅かばかりの違和感を覚えた。ヴァイスが立ち止まったまま動こうとしないのだ。
「お、おい! ト、トウヤとかいったなお前!」
後方からヴァイスが俺に声をかける。しかも、やけに狼狽した声で。
俺が振り向くと同時にヴァイスが、矢つぎばやに言葉を走らせる。
「さっきの奴はなんだ?」
「あぁ……ギルド職員のセリーヌ・アリオ―だ」
聞かれたならば、答えない道理も無く、簡潔に教えてやる。
「そ、そっか……セリーヌ……さん……かぁ」
ヴァイスはそう呟き、俯いて頬を赤く染――え?
それは、これから長い付き合いになるヴァイスが、初めて俺の名を呼んだと同時に、最も俺を困惑させたやり取りであった。
第4章はここまでです。
ここまで読み進めて下さり、ありがとうございます。
最近暑くなりましたね。
だらしない恰好で書いています。
そして、恰好以上にだらしない文章です。
そんな文章を読んでいただき、本当に感謝しています。
すみません。精進させて頂きます。
これからもどうかよろしくお願いします。




