第2節 年長者
「窃盗愛好家とやり合うんだろ?」
赤の短髪、強靭な肉体、登用試験で共に戦ったダラムサル人――ホアンが不敵な笑みを浮かべて俺に問う。
今現在俺は、喫茶店のテーブルを挟んでホアンと向き合っている。
何故そのような状況なのかと言うと、俺はクロンヴァール侯爵からの国際取引護衛依頼を承諾し、ギルド長室を後にした所で、ホアンに捕まり近くの喫茶店に連れ込まれたのだ。
ちなみに、その喫茶店というのは、主にケーキ、紅茶を扱い、若い女性に人気らしく、今こうして目の前に座っている筋骨隆々のホアンにはなんとも不釣り合い場所である。しかし意外と、彼は甘い物が好きらしく、この喫茶店では常連として名を連ねているらしい。それでも、女子学生や貴婦人が優雅に紅茶を啜っている中で、筋骨隆々のダラムサル人がケーキを頬張っている光景には恐ろしいものを感じる。
ホアンが腰掛ける小椅子が今にも潰れるのではないだろうか、という俺の危惧をよそにホアンは話を進める。
「窃盗愛好家は伝説の犯罪者だ。勝てるのか?」
「他人事のように言うけれど、お前の所に現れる可能性だってある」
どうやらホアンは先に依頼を引き受けていたようで、おおよその依頼内容は既に知っていた。しかもクロンヴァール侯爵は、俺とホアンの仲を知ってか知らないでか、ご丁寧に俺に依頼する内容までホアンに伝えていたのだ。
とはいえ、俺とホアンは共に死戦を乗り越えた者同士なのだから、熱い友情を築いているという事は想像に容易いし、ホアンに俺の依頼内容を漏らした所で、個人情報がどうのこうの言うつもりはない。
なんと言っても、同一系上にある依頼を引き受けた者同士が、互いの持っている情報を照らし合わせ、少しでも依頼を有利に進めるというのは常識なのだ。
「確かにそうだけどよ。大展覧会は何百人体制で警備すんだ。それに比べ、そっちはお前一人だろ?」
「いや、むしろ人が少ない分だけ警戒は楽だ。それに窃盗愛好家にとっては、警備員が何百人居ようと関係ないだろう。同盟国で起きた魔石消失事件を知っているだろ?」
「魔石消失事件と言うとあれか? 式典で同盟国の大貴族が、百を越える私兵が見守る中、愛する娘へ特大の魔石を贈ろうと手渡した瞬間――」
「消えた。しかも、ちょうど魔石を手渡した瞬間にだ。文字通りの消失」
「それも窃盗愛好家の仕業だってか?」
「あれ? 資料見てないのか? クロンヴァール侯爵から受け取っただろ?」
「あぁ! はは! 実はまだ見てないんだよ! そういえばお前は歩きながら見てたな!」
ホアンは豪快に笑いながら、服の中から折りたたまれた一枚の紙を取り出した。胸元から取り出された紙は直接肌に触れていたのではないだろうか、美女とむさ苦しいホアンがやるのでは天と地ほどの違いがあり、暑苦しさの名残を見せつける。
ホアンが取り出した未だに体温を宿しているだろう紙、それは窃盗愛好家について纏められた一枚の資料だった。
ホアンは紙を広げ、目を細めながら資料を眺める。
時間にすてほんの二、三数秒、資料を一瞥した所でホアンは俺に視線を戻す。資料を読み終えたのだろう、資料を再び暑苦しい胸元にしまう。
ホアンはその筋骨隆々の容姿と言動から、脳まで筋肉で出来ているのではないだろうかとよく誤解されるが、非常に知性の高い人物だ。
先ほどのように撫でるような流し読みで、資料の内容を十分に把握したのが良い証拠である。
「すごいな。奇怪な消失事件のほとんどが、窃盗愛好家の仕業じゃねぇか」
「窃盗愛好家の犯罪を立証出来たのは功績物だ。禁忌魔術まで行使して、記憶を読み取ったかいはある。記憶の断片しか読み取れなかったとはいえ、十分すぎるな」
「問題は手口がさっぱり分からないって所だな」
「分からないにしても、何か仕掛けがあるのだろう」
「そりゃあなぁ……。仕掛けも無しに犯行に及んでるって言うなら、それはもはや、人間じゃねえよ」
肉体的にも精神的にもな、とホアンが付け加える。
しかし、窃盗愛好家に仕掛けがあった所でその実力は変わらない。
「いずれにせよ、魔導器士級なのは間違いない」
「そこで初めの質問に戻るわけだ。もしやり合うとなったら、お前は何か策があるのか?」
「いや、無いよ。正面から捕縛を試みる」
「お前なぁ……」
「別に決死の覚悟ってわけではない。危なくなったら外交官を連れて逃げるさ。なんと言っても窃盗愛好家は盗みはするが、殺人はしない。きっと見逃してくれるさ」
もちろん根拠などないのだが、これまでの窃盗愛好家の行動から、俺はホアンに一つの推測を述べた。
窃盗愛好家の行動――彼が引き起こした窃盗事件は大小合わせて四桁にのぼる。確かにそれは異常な数であり、ただの窃盗だとしても十分に凶悪犯と成り得る程だ。まさに、『史上最悪の犯罪者』という不名誉な称号をいただくのに相応しいと言った所だろう。
しかし、それはあくまで表面的な数字にすぎない。なんと言っても、四桁にのぼる事件の中で、窃盗愛好家が死傷者を出した事件は一件たりとも無いのだ。
俺の知る由ではないのだが、窃盗愛好家は何故か人を殺さない。
けれど、それでもやはり希望的観測であるのには違いない。もし理学だった確実に破綻している無理矢理な帰納法だ。自分でも呆れ返ってしまう。
「窃盗愛好家は義賊じゃねえんだぞ。そんな甘い考えが通用するか」
「お前に、『甘い考え』なんて言われるとは思わなかったよ」
そこで俺は、ホアンが登用試験で同期の受験者を守り抜いた事を揶揄してみせる。それに対し、「違いねぇ」とホアンは笑って見せた。
「それにしてなぁ、くすんだ緑の髪に……」
ホアンが言いよどむ。『くすんだ緑の髪に』の後に続く言葉――。
「推定十九歳か?」
「あぁ。遊びが過ぎる子供にお灸を据えてやりたい所だな」
クロンヴァール侯爵が言ってた通り、俺と窃盗愛好家は推測に過ぎないが、同じような年齢だ。
俺が二十三歳。ホアンが二十四歳。そう、ホアンは二十四歳なのだ。たとえホアンが中年……俗な言い方をすれば、『おっさん』のような風貌でも二十四歳は二十四歳なのだ。
「若輩者が道を踏み外したとして、正してやるのも年長者の務めだ!」
ハハハッ! とホアンはまたしても豪快に笑う。
窃盗愛好家とホアンの歳の差は五歳。その大して変わらない年齢差を引き合いに出すのもどうかと思う。
「現れないに越した事はない」
俺はそう結論付けて、笑うホアンを眺める。
ホアンは決して窃盗愛好家を甘く見ているわけではないのだが、冗談を言う程度には余裕がある。その冗談というのも、面白い事など何一つ無い。ましてや、史上最悪の犯罪者を更生させようなど笑えない冗談に程がある。
しかし、気が付くと俺は自然と笑っていた。笑えない冗談に笑うとは、まさにこの事なのかもしれない。
そして、ふとある事に気付いた。
ある事と言うのは、ホアンが、一人で警備する俺の気を少しでも軽くしようと、冗談を言っただろう事。
ホアンが設けたこの場は、情報の照らし合わせ以外にも、そういった意味合いが含まれているのだろう。
余計なお世話などとはとても言えない。素直にありがたみを感じる。
俺とホアンの歳の差は、たかが一歳。されど一歳。
その一歳差――年長者というのも、中々どうしてバカに出来ないものだなと強く思った。
***
海岸の近くの大きな倉庫――修理場。外の喧噪とは隔離された空間。
船を修理場であろうこの場には、大小様々な船が修理を待ちわびている。
所々にスパナだのハンマーだの、修理に用いられる道具が落ちている。それは修理場として、この場が活動している証拠であった。
しかし、この場には現在数人しかおらず、その数人というのも、きちんとしたスーツに身を包んだ、修理工とはかけ離れた存在だ。
空間を満たすのは油の匂い。独特の匂いが鼻を刺激する。けれどなにも、地面に油が滴っているというわけではない。倉庫の端に佇むドラム缶に、燃料油、塗料、溶剤などが詰まっているのだろう。
日は暮れ、空は夕日に染まっているのだろう。
船が出入りするために大きく作られた扉の隙間、窓のガラスから漏れる茜色がさし示している。
まだ夜の暗闇が到来してないとはいえ、俺が警戒を怠る事はない。
「このような所で申し訳ありません。アルウェルといえど、隠れて国際取引に活用出来る場となると限られてしまいますので」
皺一つないスーツに、寸分の狂いなく絞められたネクタイ。
帝国メツアースの外交官が無礼を詫びる。
「いえいえ、とんでもありません。無理なお願いをしてるのはこちら側ですし、場所に拘るというのは筋違いでしょう」
対するのは同盟国の外交官。その身なりはやはり外交官と言える。国の顔となるのに恥ずかしくない程、上品なスーツに物腰だ。
同盟国の外交官の後方に巨漢が二人――どちらも二メートル三十センチと言った所だろうか――控えている。一人は剃髪、一人は長髪と対象的ではあるが、統一されたスーツに身を包んでいる。それに口元だ。二人は、鼻の中ほどから下を全て覆い隠す、黒のマスクをしている。
あの独特のセンスは同盟国の魔導器士で間違いない。しかも冒険者などでは無く、国飼いの魔導器士だ。腰にそれぞれ佩いている同盟国の紋章が入った剣状魔導器が、俺の予想を裏付けている。
そして、二人の立ち入ち。同盟国の外交官が動くたびに、二人の魔導器士も微細な動作で自身の立ち位置を調整する。いついかなる時でも対応出来るように、いついかなる時でも主である外交官を守れるように。
そのような些細な事で、二人の実力が垣間見える。そしてそれは、『魔導器士』と呼ぶに差支えないだろう。アレクシスには遠く及ばないが、イザベルなどよりは数十段上だ。
「早速ですが、論文をお渡ししてもよろしいでしょうか?」
「えぇ。助かります。ご挨拶はまた公の場で行いましょう」
二人の外交官が歩み寄る。それに伴い、俺と二人の魔導器士が付随する。
やがて互いの間合いが重なり、緊迫が満ちる。
目の前の二人の魔導器士が、俺とメツアースの外交官に手を出す事など無いと思うけれど、万が一がある。警戒は解けない。解いてはいけない。
そして、それはあちらの魔導器士とて同じ事だ。極大の警戒を現在、俺に向けている。
「こちらになります」
メツアースの外交官が、封筒を差し伸べる。
そこで、俺は恒常展開していた探知魔術を極限まで拡大、鋭利化する。
あちらの魔導器士に対する警戒は解けない。しかし、それ以上に警戒するべきものがあるのだ。
俺の魔力を受けて、ピリピリと空気が強張る。
それでも、メツアースの外交官はたじろく事は無かった。さすがは大陸最大国の外交官、政戦に身を費やしてきただけの事はある。
そして、あちらの外交官もやはり同様たじろく事は無かった。
堂々と差し出された封筒に手を伸ばそうとする。
肘を掲げて、腕を封筒へ伸ばす。
手のひらを翻して、指を開く。
封筒を掴もうとして、指を閉じる。
しかし、その指が封筒を掴む事は無かった。
何も無い空間を煽っただけだ。
意図的に? 違う。あちらの外交官は確かに封筒を受け取ろうとした。
受け取ろうとして、指を動かしたが、そこに封筒は無かった。
――消失。
窃盗かどうかすらも分からない。文字通りの、『消失』だ。
外交官達が驚愕を露わにする前に、不可思議な魔力の流れを探知。目の前の二人の魔導器士のものではない。
瞬時に流れを辿る。
超高度に隠蔽された誰かの魔力。日常だったら俺でさえ気づく事はないだろう。
残された魔力の残滓さえ、すぐに消え去った。
しかし、それで十分。
もう見つけた。
目には見えないが、尾を曳いた魔力の主は天井にへばりついている。
そしてそいつは、微動だにしない。なんだ? こちらを眺めているのか?
「第四等級魔術〈ディテクト〉」
俺は天井にへばりついている何かに対して、即座に魔術を行使。
『第四等級魔術〈ディテクト〉』は隠蔽魔術を打ち破る魔術だ。
たとえばそう今……天井で透明化の魔術を展開しているあいつみたいな奴に対して。
「あ"ぁ"? なんだ? チッ」
ビリビリと紫電を放ちつつ、透明と化す空気の鎧が剥がれ落ちる。
そしてそいつは姿を現した。
天井にへばりつき、逆さに俺たちを眺めていたのは――華奢な体、くすんだ緑の髪、歳は十九程度――窃盗愛好家。
瞬時に二人の魔導器士が抜刀。
二人は、メツアースの外交官も自身の間合いに含め、安全を確保する。
優秀だ。
そう。言葉を交わさずとも、役割はすでに決まっている。
彼らが外交官を守り、俺が窃盗愛好家を捕縛する。
「面白ぇじゃん」
へらへらと笑う窃盗愛好家に、俺は攻撃魔術を超高速行使。
夕暮れ、茜空の下。爆音が鳴り響く。それは、くだらない劇の幕開けの合図だった。




