第1節 案内
帝都メツアースは荘厳で気品が溢れる街だ。
徹底的に区画整理された民家。
その民家一つとっても威厳を放っている。
帝都を囲う真円の壁は、難攻不落の証。
その中でも一際目立つ建物がある。
それは帝都の中央に構えられた、巨大な黒曜の宮殿――王城。
その王城の一室――外見に比例するように、広く、威厳のある部屋。
敷き詰められた赤と黒の絨毯が気品を漂わせている。
その絨毯に靴を深く沈める存在が二つ。
定規を当てられたような直立の姿勢。
一人は、紅蓮のマントを羽織った騎士。もう一人は、白を基調とした魔導衣に身を包んだ魔導器士。
そして魔導器士は、美しい幾何学模様を背負っている。
「まさか、竜まで出てくるとはな……頭痛がするよ」
直立の二人の対面には、大きな机と椅子。
背後のガラスを通し、帝都の景色を一望している。
日は高く、城下街は活気立っている。
椅子に座り、机に肘を立て、男が呟いた。漏れるのは憂鬱の息。
「送り出した中隊の死傷者がゼロとは奇跡だ。竜に渡ったと考えれば……貯蔵器など安いものかもしれない」
椅子に座る男が、どこか安堵したように呟く。
「しかし、関所の駐屯部隊が全滅した。誰も死なせたくなかったんだがな……弔いをしよう。誇りある殉職だ。王として、せめて私が出向こう」
椅子に深く腰掛けた男――王はそっと目を伏せる。グールになり、駆逐された帝国軍人を思い浮かべているのだろうか。
静寂が場を満たす。外から聞こえる鳥の鳴き声だけが、部屋にこだまする。
数秒の後、王は目を伏せたまま問う。
「雇った冒険者の腕が良かった。将軍、アレクシス。直接見て彼はどうだった?」
「まごうことなき超常の魔導器士でした」
姿勢を崩さず、壮年の将軍が答える。直立不動を守り、視線も動かさない。しかし、緊迫は無い。固定された視線の先に、黒髪の冒険者の事を思い浮かべているのかもしれない。
身に纏うのは、柔和の雰囲気だった。
「我々の生存は一重に彼のおかげでしょう」
「君がそこまで言うのは珍しいね」
王は目を緩慢に開き、壮年の将軍を見据える。王の物珍しそうな視線に、将軍は笑みを浮かべた。
「脳がぐちゃぐちゃの状態で竜の魔術を二つも防いだんだ」
黄金の勇者――アレクシスが口を挟む。どことなく、自分のように誇らしげなのは何故だろうか。
「まさか、その冒険者を誘ったのか? 君が編成しようとしているヘンテコな部隊にさ」
王が蔑みの目をアレクシスに送る。一方、アレクシスは目をキラキラと輝かせ何も見えていない。
「やっと戦士が見つかったんだ! この調子で、僧侶と魔法使いも見つけよう!」
「彼はアルウェルの冒険者だ。それほどの腕なら、クロンヴァール候の手がついてるに決まってる」
王は溜息を漏らすと、皺の寄った眉間を手で押さえる。全身で、『またか……』と煩いを体現する。
それを見るに、過去に何度も、アレクシスに苦労をかけさせられているのかもしれない。
「イザベルがアルウェルに駐屯したいと願い出ています」
そんな王を余所に、壮年の将軍が、思慮深い視線で王を見据える。イザベル、口にする将軍は、まるで孫を案ずる祖父のようであった。
「あぁ……確か命を拾われたんだってな」
幾分か回復した王が、察したように言葉を返す。視界の端にアレクシスを追いやるように、将軍に視線を向けた。
「はい。彼のもとで、その命を役立てたいと」
「許可する。しかし……いや、まさかな……」
王は感嘆の中で、自分の考えを否定する。腕を組み姿勢を変えると、王が座る豪奢な椅子が軋んだ。
「それにしても、それほどの魔導器士なら、彼の噂が私に入ってこないのはおかしいな。……裏表問わず、世界中の魔導器士の事は例外なく頭に入っているのだが……」
目を細め、視線を流している所を見るに、思考を巡らしているのだろう。
「黒髪か……まるで、どこからかひょっこり現れたみたいだね」
瞳の中には一欠けらの興味。
自然に吊り上げられた口元が、王の関心を強調する。
「直感で良い。アレクシス、君と彼、どっちが強い?」
「あぁ、そんなの――」
***
商業都市アルウェルは、今日も活気に満ちている。
沿岸部ではカモメが飛び交い、漁船が横行している。船笛を鳴り響かせて、船団が入港を求める。
人が行き交う路地は、相変わらず狭いが、窮屈ではない。心情的な物なのだろうけど、良い意味での生活感が心地良い。
いつもと変わらない風景。いつもと変わらない日常。
「お、おいトウヤ! あれは何だ?」
しかし、一つだけ変わった物がある。
それは今、俺の隣にいる金髪の女騎士の存在だ。騎士と言っても、全身鎧の甲冑女というわけではない。
今や、白のワンピースに身を包み、麦わら帽子で金の髪を覆っている。帯刀などしていない。
白のワンピースはアクセントとして、胸部に黒のリボン。丈は膝下、袖は七分、そこから覗くのは白く透明な肌。足元には、厚底ではあるが、機能性に富んだコルクサンダル。
路地に流れ込む風に、帽子が飛ばされないよう手で押さえつけるも、帽子から覗く金の長髪が風に煽られ、視界を遮られている。
物珍しさにあちらこちら視線をさまよわせ、あれは何だ、これは何だと問うイザベルは、現在非の打ちどころのない清廉で可憐な麗人だ。
一体誰が、この女が剣を握り、吸血鬼を斬り裂くと思うだろうか。
「あれはフィッシュ・アンド・チップスだ。魚とジャガイモを揚げた軽食で、食べ過ぎると太る」
「よし、私が買ってやろう!」
遠回しに警告したのだが、どうやらイザベルは気に掛けないらしい。軽快な足取りで露店へと向かっていった。
今日からイザベルはアルウェルに駐屯する事になったらしい。
それに伴い、俺は現在イザベルにアルウェルを案内している。
小走りで露店に向かうイザベルを見て、先日受けた護衛依頼を思い出した。
戦闘後、関所で夜を明かし、中隊は帝都に帰還。報告と指示を待つみたいだ。
そして何を思ったか、イザベルはアルウェルに駐屯を決めた。
イザベルに聞いた話だが結局、超大型魔力貯蔵器の行方は分からないままらしい。
俺はあの勇者に護衛される形で、中隊とは逆にアルウェルに帰還。
中隊を見送ってから、帰路に着いた。
勇者には道中、『勇者には仲間が必要だ』とか、『お前は勇者パーティの戦士だ』とか勧誘されっぱなしだったな。
意味が分からない。アホか。全部断ってやったわ。
あの勇者の頭がおかしいのだけは分かった。
「おい! トウヤ買って来たぞ」
声をかけられ、思考を戻す。イザベルは、両手に小さな紙袋を持っている。
中は魚と芋の唐揚げだろう。油が染みて、紙の裏が透けている。揚げたてなのかもしれない。食欲を刺激する良い匂いがする。
イザベルは、片方の紙袋を強引に俺に渡し、自身が持つ紙袋を豪快に開ける。
「ありがとう」
礼を言うが、既にイザベルは揚げ魚を頬張っていた。
もぐもぐと口を動かし、咀嚼と同時に、『あぁ。うん。全然いいよ』的な何かを述べた。
口から揚げた魚が飛び出ている。
「トウヤ、歩きながら食べるぞ! 着いてこい!」
イザベルは揚げた魚を飲み込むと、品の欠片もない言動と共に、俺を先導する。
イザベルの手が、俺の腕を引っ張る。
それでは、歩きながら食べれない、と少し笑った。
てくてくと当ても無く、アルウェルをさまようイザベルと俺。
アルウェルは、一日で見て回るには広すぎる。しかし部分的にでも、見て回ればとても意義のある一日となる。
なにせ商業都市アルウェルは世界中の全てが揃っているのだ。
河口が入港されるのは貿易物だけではない。移民の受け入れから、彼らの文化もアルウェルに溶け込む。
多種多様の文化が混ざり合い、いつしかアルウェルは世界中の全てを、その身に溶かしてしまった。
そして、こうしている今も露店で売られている珍妙な物が、イザベルの興味を引き付ける。
色彩鮮やかな装飾具に、何故か動いている果実、それに用途の分からない小道具。
これは何だ、これは何だと、しきりに聞いてくるが、俺にも分からない物が多かった。
俺が分からなければ、店主と問答を繰り返し、なるほどなるほどと一人で納得する。
それが終われば、次へ次へと貪欲に興味を消化してゆく。そして、それは尽きる事が無いように思えた。
イザベルは、徹底的に区画整理された帝都で育ったのだろう。
二十四歳にして騎士になるという事は、幼い頃から帝都で訓練に身を費やすという事だ。
乱雑に建物がひしめき合う、このアルウェルがいくら帝国最大の都市だとしても、観光になど来る暇など無かったのだろう。
しかし、同情など決してない。イザベルはどうやら騎士である事を誇りに思っているし、騎士は特権階級だ。騎士になれれば幾らでもおつりが来る。
事実、自ら訓練に身を費やす者も多い。観光など騎士になり、退役した後に来れば良いというのは極々自然な考えだ。
「大通りに出たぞ」
不意にイザベルが声を上げる。
物珍しそうに視線をあちらこちらに動かすイザベルを見ていると、こちらまで楽しくなる。
「あぁ。そのまま進もう」
今日は天気が良い。暖かい。そんなちょうど良い春の天気。開放的な気分になる。
吹き付ける風がとても気持ち良い。
風を受け木々がざわめく。
いつかの並木道。
左右に等間隔で植えられた木々は満開を過ぎたが、今だに花を咲かせている。
「帝都にも並木道はあるが、これ程じゃない。花が綺麗だ」
「満開は過ぎたけどな」
「よし! もう一回咲かせよう! 魔術で!」
「や、やめろ! 警ら隊に追いかけられるぞ」
「冗談だ。そんなバカな事するわけないだろ」
「ぅ……ぐ……」
言葉に詰まらせる俺を見て、イザベルは引いている。変な所で勘が鋭い。イザベルの冷たい視線が俺を捉えている。
「お前もしかして……」
魔術で花を咲かせたのか、とイザベルは蔑みの表情で問いかける。
「はい。そうです」
あっさりと認める。イザベルの軽蔑の眼差しに、耐えがたい屈辱を受けるが、自身を無にする事でそれを軽減する。
そして、自分の軽はずみな行動を反省する。
どれほど耐えれば良いのだろうか。
そう思っていると、イザベルの軽蔑の眼差しが柔和な物に変わり、やがてイザベルは笑顔を見せた。
「んふふふ。ハハ。お前はバカだ。ハハ」
笑いを堪えながらも、イザベルは並木道の先を行く。
たくさんの人が行き交う並木道で、堪えきれず吹き出すイザベルはとても楽しそうだった。
「イザベル、ちょっと待ってくれ!」
「着いてこい」
イザベルは陽気な声を上げ、年甲斐もなく足を速めてみせる。
俺は人の目に多少の羞恥心を感じながらも、イザベルを追いかける。
周囲の景色が流れていく。
どこに向かってるんだよ……。
街中で全力疾走して、捕縛するわけにもゆかず、俺とイザベルの距離は中々縮まらない。
しかし、その拮抗は突如破られた。
急にイザベルが止まったのだ。疾走により、地と並行になっていた金の長髪が、重力に従い自然な形へと垂れる。
ここは、白を基調とした大理石の建築物――ギルドの前。
予め場所を知っていたとしか思えない最短経路だった。
イザベルは、追いついた俺に振り返る。息は切れていない。
「なぁ、依頼は失敗になったのか?」
依頼とは超大型魔力貯蔵器の輸送護衛の事だろう。
結局、帝都まで届ける事は出来なかった。
「いや、あれはギルド長の個人的なお願いって形で処理されている。成功、失敗は関係ない。報酬も前払いで貰っている」
「そうか。それなら良かった」
なんだ? 依頼を達成出来なかった止むを得ない事情を、ギルドに説明してくれるつもりだったのか?
恐らくそうだろうな。依頼の失敗は、冒険者としての歴に大きくキズをつける。
「何かあったら私を頼れ。姉だと思って良い」
「あぁ。姉のように思わせて貰うよ」
「うん」
そう言ってイザベルは満足そうに頷いた。
では続きを見て回ろう、とイザベルは踵を返し、俺は日が暮れるまでアルウェルを案内して回った。




