第2節 防災ダラムサル人
伏した訓練生の横に訓練剣がある。
俺が担当していた訓練生。
刃を潰した両刃の訓練剣。
俺は腰を折り、緩慢な動作で剣を拾い上げる。
柄は熱を帯びている。
「テメェ、何生意気な事言っ――」
言葉は待たなかった。
脳からの伝達を待たず、反射的に体が動く。
まるで脊髄に支配されたかのように。
腰を折った状態で手にした剣が、鈍くギラつく。
風切り音を置き去りにする程の高速で剣を振り抜く。
俺を中心とした傾きを持つ銀の半円が描かれる。
円周の先には、相手の両目。
しかし潰れた刃が急所を抉る事は無かった。
首を後方に傾け、寸でのところで回避される。
見上げる形で、振り上げられた剣が目に入った。
日の光を背に受け、ダラムサル人の大きな影が俺を包み込んでいる。
瞬間、剣が急降下。
全身の筋肉を使い、自身の体重を乗せ、俺を叩き潰そうとする剛剣。
後方に跳躍して避ける。
二足一腕を地面に着け、跳躍の余韻を殺す。
引きずった砂が舞い上がる中で、右手に持った剣の先で狙いを定める。
左腕の肘は屈折させ両足より前に、左足の膝は地に乗せ、右足の膝を立てた超前傾姿勢。
俺の足の筋が隆起し、全身を加速させる。
加速に用いられた位置に砂埃が巻き上がった。
刺突。
ダラムサル人は右手を柄に、左の手のひらを剣先に乗せ、大きく剣の腹を空けた受けの体勢。
俺の刺突を流れるように捌きにくる。
金属と金属が交わさり、甲高い音が鳴り響く。
一瞬の火花を煽り、互いがすれ違う。
俺は刺突の勢いを強引に止める。
ダラムサル人の左面にて無理矢理、猫姿勢のまま止めてみせた。
ザンッ、と勾配を持つ坂のように砂が爆散した。
俺が振り返る間にダラムサル人の追撃。
俺の身は屈めて迫撃に備える。
低姿勢で迫る俺に後ろ蹴りが放たれた。
左足。重心は踵。死の威力を秘めた後ろ蹴りだ。
右手に持った剣の腹を、放たれた左足の裏に優しく当てる。
そして、強引に上へ流し掻い潜る。
ダラムサル人は流された勢いを利用。
強靭な肉体を地と並行に回転、右手に持つ剣を垂直にして斬り上げる。
俺は突き出したままの剣の根と鍔を斬撃に合わせる。
そして、上方へ受け流す。
再び、甲高い音が鳴り響き火花が散った。
それでもダラムサル人の回転は止まらない。
空中で半回転、流された勢いを更に利用してくる。
今度は左手による裏拳。
強靭な肉体が可能にする連撃。必殺の威力。
俺は突き出したままの剣を手放す。
刃が潰された剣が宙を舞う。
自由になった右の手のひらで裏拳を包む。
ダラムサル人が驚愕に目を瞠る。
回転に外力を加え、更に回転を加速させるようにカンストレベルの筋力で上方へ流す。
俺は身を翻し、空中で回転するダラムサル人に狙いを定めて、上から下へと殴りつける。
地響きが鳴る。
その中心地には、仰向けのダラムサル人と小規模のクレーター。
すかさず握りしめたままの右の拳を、顔面を砕く鉄槌として振り下ろす。
意識を手放していないダラムサル人が首を振って回避。
俺の拳は地を穿った。
ダラムサル人は、全身の筋肉による伸縮を利用してその場から逃れる。
剣は手放していない。
俺は即座に地に刺さった拳を引き抜く。
俊足。
間を置かずして、ダラムサル人が前方へ出てくる。
今度はダラムサル人からの刺突。
俺は悠然と落とした剣を拾い上げる。
それと同時にダラムサル人の剣先が到来。
ダラムサル人が俺を刺し殺そうとする。
突如、剣先がブレた。
幾重にも繰り出される連突き。
歴戦の技巧。
始めは俺の右目を狙った鋭い突き。
右手にした剣の先で弾く。
次は左首の総頸動脈を、刃が潰された剣で強引に突き破ろうとする突き。
右手にした剣で弾く。
次は右肺の上葉に、穴を空けようとする突き。
右手にした剣で弾く。
次は胸腔の正中部、弾く。
右骨下動脈、弾く。
左目、弾く。気管、弾く。胃、弾く。横隔膜、弾く。左肺下葉、弾く。鼻、脳底動脈、弾く。腎動脈、弾く。胃冠状動脈、弾く。心臓、弾く。内胸動脈、弾く。弾く弾く弾く弾く。……幾重か分からない攻防の中でこちらかも刺突を見舞う……再度、右目、弾く、貫く。肩、弾く、貫く。甲状頸動脈、弾く、貫く。弾く貫く。弾く貫く弾く貫く弾く貫く……。
血が霧のように舞う。
半歩下がり連撃を止めるダラムサル人。
一瞬の隙、血まみれのダラムサル人が後方に飛び退く。
俺と十分な距離を取るまで、一回、二回、三回、四回。
大気に満ちたマナが揺らめく。
不可視でありながらも、異様であることを全身が知覚する。
魔力が渦巻く。
中心は血まみれのダラムサル人が持つ剣。
ダラムサル人が剣に魔力を宿した。
間を置かずして俺に爆音と共に火球が肉迫する。
『第二等級魔術〈ファイヤボール〉』
高密度に圧縮された巨大な火球。
大気を焼きつつ迫りくる巨大な火球を一瞥する。
焦りはない。
緩やかな動作。
撓う鞭のように剣で斬り捨てる。
斬り捨てられた火球は展開を維持出来ず拡散する。
火球に隠れて風を切る音がした。
巨大な火球を斬り捨てたことにより、それは露わになった。
『第二等級魔術〈ファイヤアロー〉』
矢を型どった鋭利な火が六本飛来してくる。
火球に忍ばせた保険。
右手の剣を神速で振う。
斬り返したのは往復三回。
全て叩き落とした。
そして火の矢は拡散して消えた。
瞬間。
爆音が鳴り響く。
『第三等級魔術〈ロアリングフレイムズ〉』
紅蓮の炎が広大な訓練場の二十分の一程度を覆う。
対処が困難な範囲魔術。
幸い展開範囲に人は居ない。
右手に持った剣を一閃。
超高速で振り抜く。
剣の軌跡が空間に面を作る。
紅蓮の炎が割れて四散した。
空気を焼く匂いが漂う。
ダラムサル人の剣は煙りを上げている。
魔術の行使の余波ではない。
魔術の行使に耐えきれず刀身自体が融解しているのだ。
魔術による追撃はもう来ないようだ。
なら――。
俺は足に力を入れる。
一気にダラムサル人のもとまで跳躍。
ダラムサル人が間合いに入ったと同時に、片手で剣を振う。
ダラムサル人は融解している剣で受ける。
懸命に両手で受けた。
金属音は鳴らない。代わりに鈍く低い音が唸る。
融解した剣の悲鳴。
剣の質量が取るに足らないものだとしても、俺が与えた絶大な加速度により極大の力が生まれた。
受けたダラムサル人は、体に穿たれた穴から血を噴き出す。
顔が青い。出血のせいか。魔力枯渇のせいか。その両方か。
攻撃の手を休めない。
俺は片手で剣を振う。
右斜め上から左斜めにかけての斬撃。
ダラムサル人が、両手で持った剣で受ける。
地に足を着けて重みを与えた斬撃。
「うっ! ぐ!」
ダラムサル人はその衝撃に苦痛を漏らす。
噛み締めてる歯が接する口蓋から血が垂れる。
俺は剣を構え直し、左下方から右下方へ横薙ぎの斬撃を見舞う。
ダラムサル人は対処しきれない。
脛骨を叩き折る。
体勢を保てず転ぶダラムサル人。
皮膚と肉で接続を保っている下肢は、ぶらんと情けなく下半身との連携を失う。
追撃。
右上から左下へ剣が翔ける。
今のダラムサル人に捌けるはずもなく、すんなりと肩を砕く。
バキンと綺麗な音がした。
ダラムサル人は何かを言っているようだが、どうにも理解出来ない。
またしても魔力の渦巻き。
ダラムサル人が持つ剣が、魔力を帯びて輝く。
即座に眩い光が放たれた。
光が収まると、剣は刀身の中程までを融解させて、剣としての役目を終えていた。
最後に行使されたのは、『第三等級魔術〈グリタリングダイアモンド〉』だ。
ダラムサル人を覆うのは半球半透明の魔術障壁。
完全な球では無く、所々に面を押し付けたようなごわつきがある。
球の中でダラムサル人は形容し難い顔している。
障壁を生身で割れる訳がない、とでも言いたそうな。
中にいる自分は安全だ。
しかし、恐怖を拭い切れていない、そんな顔。
日の光を受けて美しく輝やく魔術障壁。
特に雷撃魔術への耐性が強く、物理的な衝突への耐久性も高い。
しかし、今さらそれがなんだと言うのか。
無造作に刃の潰された剣を振って、障壁を造作もなく割る。
キラキラと光の粉が宙を舞う。
その光が舞う中で俺は、振り下ろすために剣を掲げる。
次は頭蓋を割ってやる。
剣を振り下ろす寸前、顔の横を魔術が飛んで行った。
後方から放たれた魔術。
耳を掠める音が、脳内で木霊する。
緻密で正確な狙撃魔術。
停止している俺に当てなかったという事は、俺を攻撃するための魔術じゃない。
このダラムサル人ではあるまい。
振り返ると別のダラムサル人が近寄ってきた。
「やりすぎだ。もうやめろ」
ホアン・アルミホ。
赤の短髪、強靭な肉体。
共に登用試験で戦ったダラムサル人。
「話は聞いた。お前の訓練生は医務室で手当てされてる。それにそいつ……」
ホアンは、血まみれで倒れているダラムサル人を見る。
「お前の訓練生よりやばい事になってるぞ……」
そう言って、俺に冷たい視線を向けた。
突如、自我とも言える理性を取り戻す。
周囲の情報が急速に入ってくる。
音、気配、向けられる視線。
周りを見渡すとやけに騒がしかった。




