07:その世界
——男子寮はすごく静かだった。
卒業式を終えた今日、同じ階には残っている生徒がいないからだ。
寮の部屋には備え付けのもの以外は、もう何も残されてはいない。
既にのぼせそうなほど熱をもった体に、頭から水を掛けた。
ミディアは先に部屋へ戻って待っている。そう思うと焦ってしまう気持ちをどうにか落ち着かせ、体を拭いた。
「待たせてごめん」
部屋着を着て浴室を出ると、僕のシャツを着てベッドに座るミディアがいた。
「何だか、恥ずかしいね」なんて笑っている姿ですら、凶悪すぎてくらくらする。
はぁーっと体の中の息を全て出しきってその場にしゃがみ込んだ。その行動を心配して駆け寄ってきたミディアを、隙ありとばかりに抱き上げてベッドに下ろす。
重なった視線。ふざけあった二人の笑みが溢れた。
まるでミディアがゆっくりと目を閉じるのが合図だったように、彼女の唇にそっと口付ける。
柔らかな髪の毛に指を通すと、香ってくるのは自分と同じ石鹸の香り。彼女との距離に、温もりに、愛おしさが湧き上がってくる。
「ねぇ、カーテンだけじゃなくて戸も閉めてほしいな?」
頬を染めたミディアがそう言った。
カーテンだけではある程度の明かりは遮れても、真っ暗というわけにはいかない。
でも。
「二年間、忘れないように全部見せて?」
「ばか、えっち」
「はは、そうかも」
それでも許してくれる愛おしい彼女を、目一杯愛した。
……——こんな温かい気持ちはいつぶりだろう。
ゆっくりと目を開けると、そこには見慣れない天井があった。
——やっぱり、夢か
そう思った瞬間に、今を理解しようと脳が働いた。反射的にガバッと起き上がる。心拍が上がり、体が緊張する。
違う、きっと、これも夢だ。ぼんやりと残る記憶にそう言い聞かせ、ゆっくりと隣に視線を移した。
……そこには、シーツから白い肌が見えた記憶通りの女性がいた。
卒業式のあとの、あの幸せな記憶を……僕自身で黒く染めてしまった。
昨晩、自分の異変にもっと早く気付いていれば。
あの水を飲まなければ。
城に泊まらなければ。
そうすれば……こんな形でミディアを裏切ることにはならなかったのに。
自分にぽっかりと空いた穴から、黒があふれ出してくる。
ベッドから降りた瞬間に、足にチクリと傷みを感じた。ふと足元を見ると昨日落としたグラスの破片が床に散らばっていた。
「……そっか、グラス落としたんだっけ」
ボソッと声になる。
そのまま支度をし、誰に何も伝えずに城を出た。
空は変わらず夜に黒く塗り潰されている。それでも……王都は明るい。
時計を見ると、時針は文字盤の9を指そうとしていた。
街がだんだんと賑やかになり始める時間だ。行き交う人が挨拶を交わすなか、ただただまっすぐ研究所までの道を歩いた。
笑い合い走り回る子どもたち。
店の開店準備をする夫婦。
花壇に咲く花。
水路を流れる水。
どれもキラキラと輝きに溢れているはずなのに、まるでそこに色がないような感覚を覚える。
——灰色
ぼんやりとそんな事が頭に浮かんだ。
それ以上の事は何も考えられなかったし、考えたくなかった。
研究所の寮に到着すると、部屋のベッドに倒れ込んだ。
入っていた力を放棄すると、体が思い出したかのように足の裏の痛みを感じ始めた。何でだろう、とぼんやり考え、出てきた答えが小さく声になる。
「ああ……ガラス、か」
部屋の外がザワザワと賑やかになっていく。
まるで自分だけが時間から取り残されているような、そんな感覚がする。
大きく息を吐き、ゆっくりと立ち上がった。
机の本棚に置いてある小箱から、ペンダントを取り出した。
色が消えた世界に唯一輝くアクアマリン。
溢れ出した黒が……自分自身を飲み込んでいく。
唯一の色をポケットに入れ部屋を出た。
途中、所内の人たちから次々と声を掛けられた。
部署が違い、今まで少しだけしか話していないような人にもだ。昨晩の城への召集が広まったのだろう。
研究室につくとエルダが此方に駆け寄ってきた。
「昨晩は寮に帰ってなかったようだけど、だいじょうぶだったのか?」
「ああ、うん。大丈夫」
「大丈夫って割には顔色すげぇ悪いぞ?今日は休んだ方がいいんじゃねぇか?」
先輩たちも心配してくれているのか、そう声を掛けられた。
「そうですか? 体調は特になんともないんですけどね、はは。強いて言うなら、足の裏が痛いみたいです」
「みたいって……どういうこと?」
エルダが眉を寄せた。
「うん、ガラス踏んじゃってさ。ズキズキするみたい」
「……トール?」
「んだよ! まだ寝ぼけてんのか。城のベッドはさぞ寝心地が良かったんだろうなぁ! 俺も泊まってみてぇよ」
「はは。僕は……もう、じゅうぶんかな」
語尾が掠れた。
「地下の鍵、借りますね」
「朝から熱心だな、頑張れよ」
階段を降りる。
心なしか、いつもより空気が冷たく感じた。
いつもは二つある足音も、今日は一つ。
——コツン、コツン……
笑い合う声もない。
ただ聞こえるのは、自分の足音だけ。
厳重に施錠されている鍵を開けると、そこには見慣れた空間が現れる。
何度も何度も足を運び、魔力を流しては書き写し全貌を明らかにしたと言うのに。
こんな夜が存在する理不尽な世界で、衰退していく力を知ってなお、エルフは僕たちに何を伝えたかったのだろう。
「……ふふ、わかんないや」
この辺りには外周の円があるはずだ。軽く魔力を流すと、ふわっと浮かび上がった光が脳内の情報と一致した。
腰に掛けた仕事用のポーチから、インク瓶を取り出す。
瓶を開け、ツーっとインクを垂らして先ほどの光に垂直に線を一本入れる。
インクは瞬く間に地面に吸収されるように消えていった。
魔法陣だけでなく、書いたもの全てが消えるのか。そんな今さらの新たな発見に思わず苦笑する。
魔法陣は一つでも間違いがあると正しく発動しない。 そして、今書いたものには魔力がまだ流れていない。
既存の魔法陣と馴染むよう、魔力を込めれば——
——コツコツコツ
階段を駆け降りてくる足音が響く。
鍵の開いたドアを勢いよく開けたのはエルダだった。
「よかった! 様子がおかしかったから心配だったんだ」
上下する胸元。上がった息を整えながらエルダがばつが悪そうに笑う。
「言っただろ、友達との時間は大切だって」
「……うん」
「何があった」
何が、あったんだろう。
何が僕をこうさせているんだろう。
働かない思考、追い付かない感情。
今の僕が、エルダに話せることは何だろう。
目頭が熱くなり、息が上がる。だんだんと滲む視界。堪えきれず、一筋、また一筋と頬に涙が伝った。
「穴が空いて……埋まらないんだ。灯った光もどんどん黒く塗られていく」
「黒く?」
「僕には、何の力もない」
「……トール?」
ゆっくりと地面に触れた。
ひんやりと冷たくて気持ちいい。
「ごめんね、エルダ」
「え、何を」
僕の大切な友人。弧を描いた目元から涙が溢れた。
冷たい地面にありったけの魔力を流し込む。
刹那、目映いばかりの光を放ち魔法陣が浮かび上がり、そして——
「僕は——」
◆ ◆ ◆
「あっ、消えちゃった」
今、一つの小さな光が静かに闇に消えた。
「他のより少し長く光ってたのに。つまんないの」
先ほどまで闇のなかに灯っていた光は、今はもうどこだったのかもわからない。
「それ楽しい?」
ソレが問いかけた。
「別に。でも、それぞれ光の長さが違うのは楽しいかも」
ツー……ポタッ
再び垂らされる小さな光の雫。
闇のなかに落ちて、まるで解け合うように広がっていく。
中央はキラキラと輝き始め、広がり解け合った先から闇に変わり始めた。
その光を見ながら、ソレは微笑んだ。
「今度は、どんな消え方をするのかな」
トールお話はこれでおしまいです。
きっと別の光の雫のもと、新たな命が生まれ、物語が紡がれては消えていくのだと思います。
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最後までご覧いただきありがとうございました。




