06:王と王都
「——たくさんの尊い命が闇に消えた。だからこそ、懸命に生きよう。王都の光は消えない! そして、今。夜を迎えたこの時代、魔力をもつ者が、この王都に一人。偶然ではない、これは必然だ」
空が黒く塗られてから数日。
城の前で行われた王の演説。今や王都民のみになった国民はこの演説を聞いて歓喜した。
涙を流し喜ぶ者も居たという。
僕はまだどこか希望を捨てきれず、仕事が終わると夜や魔法陣についての文献や史実を読み漁る生活をしている。
ギリギリまで眠りたくはない。ほんの少し眠るだけでいい。あの悪夢を繰り返し見せてくる自身の脳に吐き気すら覚えるから。
もしかしたら夜が来ていない場所があるのではないか。抜け道があるのではないか。無心で探る度、史実が絶望を叩きつけてくる。
夜を迎えた今なら史実も文献も、そこに記された内容や状況がよりハッキリと理解できる。
それが……苦しい。
——コンコン
部屋にノック音が響いた。
「トール、入ってもいいか?」
「……ああ」
部屋に入ってきたエルダの手には木製のトレー。
その上にはお茶とクッキーが載っていた。
「睡眠も食事も、とても大切って知ってた?」
そう言って、僕の読んでいた本を片手でパパッと片付けて、机の真ん中にトレーを置いた。
「ちなみに友達との時間はさらに大切」
ふざけたようにそう言ったエルダの表情が、僕を心配していることを伝える。
「うん、ごめん」
「はい、やり直し。そこは『ありがとう、エルダ』だろ?」
ニヤリと口角を上げ僕を見た。
「はは、そうだよね。……ありがとう、エルダ」
「おう。……先輩たちも心配してるよ、トールのこと」
「……ああ」
同じなのに。
僕のことだけは心配するんな。
「……許せないよな。うん、許せない。俺だったら、止めたやつを殴り倒して先輩も殴るな、うん。殴るだけじゃ足りないから、足も出るだろうなぁ」
「ふ、ははっ。エルダらしいや」
許すとか許せないとか、もうそんなことはどうでもよくて。
ただただ、心にぽっかりと開いた穴が苦しいんだ。
その穴を希望で埋めては闇に飲まれる。
……まるで僕の中に夜があるみたいだ。
「研究は楽しめそ?」
「正直、今は無理かな。でも何も考えずにすむから、仕事は好もがっ」
突然、口の中に甘い味が広がった。
どうやらエルダにクッキーを押し込まれたらしい。
サクッ
久しぶりに感じる甘味。
サクサクッ
目頭が熱くなる。
ゴクン
小さい、本当に小さいみっともない声だった。
「まだ、会えるんじゃないかって……そう思っちゃうんだ。会えないって、わかってるのに」
エルダがクッキーを口に入れた。
静かな部屋にサクサクと音が響く。
エルダは、机の本棚に開いたまま置いていた小さな小箱を手に持った。中にはペンダントが入っている。
「……アクアマリン」
「綺麗だよね……ミディアの色なんだ」
彼女を思い浮かべて微笑もうとした。その瞬間、頬に涙が伝った。
「そりゃあ……渡したかったな……」
城に招かれたのは、翌日のことだった。
仕事が終わる直前に、城に向かうよう所長から話があった。
きっとまた理不尽で非道な王都の価値観を押し付けてくるのだろう。魔力持ちとして国の発展に役立てと言われるのだろうか。
どちらにせよ、答えるつもりもない。後者に関しては力不足なのだから。
「トール、何を言われても王やその側近を殴ったりするなよ?」
エルダがふざけたようにそう言った。
「心配しすぎ、しないよ。まあでも……もし殴ったとして、魔力持ちは……殺してはくれないんだろうな……」
エルダの表情が曇った。
「ははっ、冗談。大丈夫だって。大人しくするし、話は流すつもりだから」
「……絶対だぞ」
「ああ」
城に入るのは初めてだった。
研究所から見ると距離もあり、そこまで大きくは見えていなかったが、実際に来てみるとかなりの大きさがある。
衛兵に連れられ、城の案内に引き渡される。そのままその人の後ろに着いていく。
豪華な装飾、絵画。本当だったらもっとキラキラと輝かしく感じるのだろうか。今はどうしても「ある」としか思うことが出来ない。
大きな部屋に通された。謁見の間だろうか。
奥には階段が数段あり、その上には豪奢な椅子が一脚。
そこに座っていたのは、想像していたよりもずっと若い人物だった。父さんより少し年上くらいの、金髪で口髭をはやした人だ。
状況からも、彼が間違いなくこの国の王なのだろう。
両サイドには護衛騎士。階段より下に立っている人たちも、国の中枢で働く側近たちなのだろう。
「よく来てくれた、君が研究所のトール君だね」
呼ばれた名前に、片ひざを立ててしゃがんだ。
正直このような場での礼儀など学んだことはない。とりあえず挨拶は必須だろう。
「はい、恐れ入ります。国王陛下に挨拶申し上げます」
「ああ、堅苦しいのは良い。楽にしてくれ」
にこりと微笑んだ国王陛下の表情はすごく柔らかだった。
正直意外だった。演説内容を聞いた時、勝手に王の顔が浮かんだのだけど、こんなに穏やかに笑うような人物は想定していなかった。……もっと身勝手なイメージを持っていた。
「まずは君に、感謝を伝えたい。王都の地下にあった魔法陣の解読、現人類にとってはかなり貴重で重要な成果だ」
「とんでもないことでございます。それに、解読は僕だけの力では出来ませんでした。研究所の皆の力です」
「ああ、勿論そうだとも。だが、研究所長に聞くところ一番貢献したのは君とエルダ君と聞いている。研究所の皆が貢献してくれているのは、私たちは知っているよ」
自分の感情に罪悪感が生まれるほどの穏やかな優しい笑みだった。
あんな演説をする人間だ、国の選民思考の根元だとばかり思っていた。でも、もしかすると……
「君を代表として、ここに呼んだ理由はもう一つあるんだ」
穏やかな笑みから真剣な眼差しに変わり、こちらを見る。
側近と思われる一部の人たちがざわつき始めた。国王陛下はその側近の方を見て微笑み、また僕に視線を戻した。
「トール君。君は、イスタにある東の奥の村出身だそうだね」
その瞬間、僕の出身を知らなかったであろう一部のもの達がざわつき出す。
「イスタ城下の出ではないのか?」
「端の者だったのか」
ぼそぼそと聞こえる声に、拳を握り耐えるのはいつもの事だ。
やっぱり同じだ。変わらない。
国王陛下の言葉に少しの希望を持ったのが浅はかだったんだ。
「やめよ」
その一言でしんと静まり返った。
「トール君、本当に申し訳ない」
耳を疑ったのは、僕だけでなくこの場に居た全員だろう。声にはならないざわつきがこの場に広がっている。
「この国に根付いた選民思考は、以前よりきっと君たちを苦しめていただろう。そして、誰もが経験したことのない夜が訪れた今。王都だけが生き延びたこの現状に、それを『選ばれた』と言う思考に……きっと心を握られる思いだろう」
この国の王が、話している。選民思考の根元だと思っていた人物が、今目の前で。
この話をすることもきっと、ほんの一部の側近にしか伝えていなかったのだろう。部屋のざわめきがそう教えてくれる。
「王都には昔から深く根付いた選民思考がある。……それはすぐには消えない厄介なものだ」
夜を迎えて、自分たちだけが光に守られているこの状況に、ますます選民思考が強くなっていると言う。
「私はね、それを変えたいんだ」
「……え」
「愛する家族がいただろう。将来を約束した相手も、いたのかもしれない」
「……」
「生まれた場所、住んでいる場所だけで、その命の重さは絶対に変わらない。私は、そう思うんだ」
……——そう眉を下げ微笑んで下さった、陛下の表情が忘れられない。
今日は遅いからと用意された、王城にある一室のゲストルーム。
部屋付きのメイドに案内されて入った部屋は、豪華な装飾に大きな窓、何より寮の部屋何部屋分になるのだろうと思うくらいの広さのある部屋だった。
部屋に食事が運ばれて、遅い三の食事を頂いた。その際にメイドの女性が出してくれたお酒。気は進まなかったが、勧めもあり一口だけ口にした。あのお酒のせいだろうか、体が熱を持っている。
……早めに湯浴みを済ませて寝てしまおう
湯浴みを終えベッドの縁に腰かけた。
何だろう、頭がボーッとする。
——コンコンコン
「トール様、お水をお持ちしました」
あのメイドの女性の声だ。
扉を開けると「おやすみ前に失礼致します」と部屋に入り、手際よくベッドのサイドテーブルに水差しとグラスを置き、すぐ飲めるようにグラスに注いでくれた。
「では、こちらに置きますね」
そうして彼女はにこりと微笑み、入ってきた扉の方へ向かう。
僕はグラスを手に取った。体が火照るのも、頭がぼーっとするのも、体に水分が足りていないのかもしれない。
コクリと喉がなる。ほんのり甘く感じたその水は冷えており、体に染みていく感じがした。
あの時話した陛下は、思っていた人物とは違った。
いつものように村を、皆を見下した発言を浴びせられるのだろう。そう思っていたのに、実際は……
——「私はね、それを変えたいんだ」
あの瞬間、ぽっかり空いた穴に微かな光が灯るようだった。もしかしたら、この世界にはまだ——……
——ドクン。
それは突然だった。
体が急激な熱に包まれ、心臓がドクドクと血液を身体中に流しはじめる。息もだんだんと荒くなっていく。
震える手で、グラスの水に手を伸ばし残っていた水を飲み干した。
「はぁっ……はッ」
——パリン
グラスを置く手がぶれ、床に落ちたグラスが高い音を立てる。
体の中を暴れ回る熱を逃したい。この熱を発散させたい。頭がその欲だけで塗り潰されていく。
「すごい音がしましたが……あら」
さっき出て行ったと思っていたが、まだ部屋にいたなんて。すぐに部屋から出るように伝えなければ。
「すみません、早く、休みたいので……出てもらえますか」
「体調が悪いのですか?」
「ええ……早く寝ればっ……大丈夫です」
彼女の唇に、首筋に視線がいく。
その欲がバレないように、視線を反らした。
「あら、ふふ。結構強い薬でしたのに……あのお水、全部飲んでしまったのですね。それはお辛いでしょう? お手伝いしますから」
「えっ……」
彼女が惚けたようにニコリと微笑んだ。
ゾワリと肌が粟立つ。
「お水甘かったですよね。ふふふ、これからもっと甘い時間を過ごしましょう」
「何を言って――」
「だって、トール様は魔力持ちなのでしょ? だったらその子供が私の腹に宿るなんて、私は特別になれるわ」
彼女がゆっくりと此方に歩いてくる。
ベッドの前で立ち止まる。着ていたエプロンドレスが、パサリと音を立て床へ落ちた。
「こっちにっ……来ないで下さいっ」
「大丈夫、襲われたなんてことを言ったりしないから、安心してトール様も楽しんでくださいな。だって……個人的に、その魔力の種が欲しいだけなのだから」
止めて。お願いだから。あなたに、触れたくない。
これ以上、ミディアとの繋がりを切りたくない。だから、僕の側にこないでくれ——
そう思えば思うほど、体の熱は暴れ、ドクドクと血がめぐる。頭が熱に浮かされ意識が保てない。
僕の目の前にきた彼女が不敵に笑った。
——ギシッ
「ほら、楽しみましょ?」
僕の意識は……熱に呑まれた。




