第6章ー23
川本泰三中尉が、右近徳太郎中尉を連れだしたのは、駐屯地の傍にあるバーだった。
とは言え、欧州に来たばかりの右近中尉には、少々、強烈な店だった。
どう見ても、娼婦にすぐに変わりかねない女給が何人もいる。
だが、川本中尉は、既にかなり慣れているらしく、それとなくチップを渡して、二人きりの空間を確保することに成功した。
「慣れておられるのですね」
「慣れないとやっていけないのさ」
右近中尉の言葉に、川本中尉はジンのロックを呷りながら言った。
本当はストレートでジンを呑むつもりだったようだが、さすがにいきなりはまずい、と自制したようだ。
ちなみに、右近中尉はビールをたしなんでいる。
「荒れておられるようですね」
「事情を知っている者に話をしたくてな。ついでに思い切り酔って、こんな所で少々羽目を外したくなった」
川本中尉は、思い切り愚痴りたいようだ。
右近中尉は、取りあえず付き合うことにし、水を向けることにした。
「何かあったのですか」
「ああ、半分以上も既に死んでいるそうだ」
「誰が」
そこまで口に出した瞬間、右近中尉も察してしまった。
川本中尉が、そういうメンバーとなると一つしかない。
「それ以上、言わせるな。言いたくないんだ」
川本中尉は、ジンを呑んだことによって回った酔いもあるのか、涙を浮かべだした。
右近中尉は、何も言わずにビールを自分も呷った。
更にジンに自分も切り替えようか、と考えたが、自分が酔い潰れては、川本中尉の面倒をみることができない、と自制して、ドイツワインを飲むことで我慢することにした。
もっとも、心の片隅で、ドイツワインをそんな理由で飲むのを恥じつつ、口を開いた。
「話せる限り、話してください。話を聞かせてもらいますよ」
「済まんな。上官の岸総司大尉はいい人なんだが、サッカー関係者ではないから、自分の気持ちがどこまで分かってくれているのか、不安でな」
そう断りを言い、川本中尉は吶々と語り出した。
自分が、ベルリン攻防戦の際に、相良大尉(戦死後、特進により中佐)の死を看取ったこと、その死の一端は自分にあること、そして、相良大尉から、あの時のベルリン五輪のサッカー代表選手の過半数が戦死していることを知らされたこと。
それらを、右近中尉は黙って相槌を打ちながら聞いた。
何と言葉を掛ければよいのか、右近中尉にはどうにも分からなかった。
陸軍士官として戦場に自分が赴いてから数年が経つのだ。
だから、上官や同僚、部下の死を、自分自身も何度も経験した身なのだ。
それなのに、どうにも言葉が出てこない。
何杯目のジンロックを、川本中尉が呷った後だっただろうか。
ようやく腹の中をぶちまけ終わり、更に完全に酔いが回ったらしく、川本中尉は沈黙して涙をこぼしながら、カウンターに半ば突っ伏していた。
気が付けば、右近中尉も数杯のワイングラスを飲み干して、酔いが回っていた。
だが、心の片隅が酔い切れていない。
右近中尉は想いを巡らせた。
こんな世界大戦の真っ最中で、更にソ連欧州本土へ攻め込もうというのに、サッカーのことを気にするなんて、おかしいといえばおかしいのかもしれない。
だが、川本中尉が荒れて、腹の中をぶちまけたくなるのも分かる気がする。
こんな時は、酒と女か。
赦されないことかもしれない。
だが。
酒場の女給は、片言ながら、日本語が分かるらしい。
川本中尉の世話を頼んで、そのためのお金を、右近中尉の判断で渡した。
もし、川本中尉が酔いに任せて関係を持っても大丈夫なように。
もっとも、それでも多すぎたらしく、その女給は、
「オツリ」
と言って一部を返してきた。
「いいよ」
と言って、右近中尉はその酒場から熱い涙を溢れさせつつ、立ち去っていった。
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