第6章ー22
ちなみにこういった事態は、多かれ少なかれ、ポーランドやチェコスロヴァキアでも起きていた。
こちらでは、米英日を主とする連合国軍が各所に駐屯して、対ソ欧州本土侵攻作戦のために対応する準備を着々と整えつつあった。
なお、こちらでは主にドイツ系の民族が迫害を受ける立場に立つことが多かった。
ダヴー少佐のように、こういったことに嫌悪感を覚えて、何らかの行動を起こすべき、と考える人物がいなかったわけではない。
だが、連合国軍の将兵を駐屯させる基地、駐屯地を建設、整備、維持して、更にその将兵を慰安する歓楽街を作って、維持するとなると。
使いたくない言葉だが、この世界大戦が終わるまでの間は、必要悪として目をつぶるしかない、と言う声が圧倒的な多数を占めるのは、半ばやむを得ない話だった。
更に、こういった駐屯地やその周囲の歓楽街は、対ソ欧州本土侵攻作戦中は、安全な後方基地、前線の将兵が一時的に後方に下がって慰安を得られる場所として維持されることになる。
そして、それによって生まれた様々なものが、第二次世界大戦終結後も長い間、大きな翳を欧州、世界に投げかけることになる。
さて、話は変わるが。
「本当に欧州に来ることになるとはな」
右近徳太郎中尉は、ブレーメンの港に降りて、しばらく感慨に耽らざるを得なかった。
「それにしても、ブレーメンの市民が集まってくるとは思わなかった」
思わず独り言まで呟いていた。
似たようなことを西住小次郎大尉も想っていた。
自分達、日本陸軍の将兵が、貨客船シャルンホルストから降りて来た時、集まってきた多くのブレーメンの市民が浮かべた余りにも複雑な表情。
この船の歴史を想えば無理もない。
貨客船シャルンホルストは、ブレーメンの港に入る前、盛大な汽笛を鳴らした。
それは、貨客船シャルンホルストが、本来の祖国ドイツに還ったのを告げる汽笛だった。
聞き覚えのある汽笛の音を耳にした多くのブレーメンの市民が港に向かい、そこでかつて自分達が誇りとした貨客船シャルンホルストが生きて祖国ドイツに還ってきたのを知ったのだ。
だが、その一方でかつて華やかな衣装に包まれた乗客が降りてきて、待ち構えていた親戚や知人と出会いの喜びを交わしていたその船からは。
日本陸軍の将兵が軍服姿で続々と降りて来て、今のドイツが、日本を含む連合国の占領下にあり、更にソ連との戦争が続いているという現状を、そこに集ったブレーメンの市民に再認識させることにもなった。
あの市民たちの一部が流していた涙は、何の涙だろうか。
流していた市民自身も正確には分からないのではないか。
そんなことを西住大尉も、右近中尉も想わざるを得なかった。
そして、西住大尉や右近中尉ら、日本からブレーメンへと到着した日本陸軍の将兵は、当座の宿として準備されたブレーメン近郊の駐屯地へと移動した。
そこで、検疫を受ける等してから、ポーランドの駐屯地へと日本陸軍の将兵は向かうことになっている。
だが、そうは言っても、休暇を取る等して、既に欧州に赴いていた海兵隊や空軍の軍人が、日本から到着した陸軍の軍人を、直接に訪ねることが禁止されている訳ではない。
だから。
「よく来たな。駐屯地の傍の店で一杯やらないか」
「川本泰三中尉」
「階級を付けて呼ぶのは止めてくれ」
右近中尉は、いきなり訪ねてきた海兵隊の川本中尉に驚く羽目になった。
「どうして分かったのです」
「ちょっとコネを使った」
川本中尉は、石川信吾大佐に、もし、かつてのベルリン五輪のサッカー代表メンバーが欧州に来るなら教えてほしい、と頼んでいた。
そして、石川大佐は、その頼みを聞き入れて、右近中尉が欧州にくることを川本中尉に教えたのだ。
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