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鋼の巫女  作者: 柊野英彦
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序章

鋼の巫女


第一章


 突然日が陰った。

 次の瞬間、ザーーーッという音と共に黒い細い棒のようなものの固まりが幾つも降り注ぐ。

 細い棒は鋭い音を立てて次々地面に突き刺さった。矢だ。無数の矢が降ってくる。

 同時に小さな激突音が連続して巻き起こった。一つ一つはそう大きくはないが、多数が同時に響くと耳を聾する轟音になる。

 枯れた麦畑のように矢が一面に突き立った地面に、轟音に続いて斜めになった矢や折れた矢が降り始める。頭上を覆う斜めの屋根に貼られた鉄板で弾かれた矢が落ちてくるのだ。

「突撃竜二十、接近!」

 高く澄んだ若い女性の声が響く。かすかに地響きが始まった。

「竜槍構え」

 年配らしい落ち着いた良く通る女性の声に、腰を落として背後の矢の雨を見ていた白い上下の女兵士たちが一斉に地面に手を伸ばした女兵士たちが何かをつかみ、力を込める。

 彼女たちが力を合わせて持ち上げたのは、身の丈の三倍もある柱だった。いや、その先端には腕の長さほどもある刃物が凶悪な光を放っている。槍だ。長大な槍だ。

 帆柱のような柄から幾つもの横棒が突き出し、それを何人もの女兵士が支える。

 何本もの長大な槍が天を指した時。徐々に大きくなっていた地響きは、彼女たちの身体を小刻みに揺らすほどになっていた。

 突然轟音が響き、屋根が大きく揺れた。太い材木を縦横に組み合わせ、要所要所を黒光りする鉄の金具で補強した斜め屋根が、あちこちで軋みを上げる。

 だが、屋根は持ちこたえた。

「各個に刺突、 もらすな!」

 再び良く通る声が響いた瞬間。屋根を軋ませて巨大な生き物がぬっと頭を出した。

「今!」

 低いが良く通る声と共に、真下で構えられていた長大な槍が一気に突き上げられる。

 屋根の下を見下ろそうとしていた生き物がびくん、と身を震わせ、金属同士がぶつかり、こすれる歯の浮くような轟音と共に姿を消す。

 その時は既に、生き物の喉から脳を貫いた長大な槍は素早く引き戻され、次を待っていた。

「左五歩!」

 槍の一番前にいた年かさの女兵士が、低いが良く通る声で指示を出す。

 槍を支えていた女兵士たちが、綺麗に足並みをそろえて五歩左に動き、一斉に腰を落とした。

「今!」

 再び巨大な槍が突き出され、巨大な生き物が轟音と共に姿を消す。

と、左手の方で巨大な何かが地面を打った。

 青銅の分厚い鎧に身を包んだ巨大な四足竜がのたうち、噴き出す真っ赤な血であたりを染めている。突き刺すのがわずかに遅れたのだろう。腹から折れた槍の柄が突き出ているのが見えた。槍を下げた隣の組が駆け寄り、鎧に守られていない胸を狙ってとどめを刺す。

「見るな! 右七歩、急げ!」

 低い声が叱咤する。暴れる突撃竜を茫然と見ていた女兵士たちははっと我に帰り、急いで右に動く。

「今!」

「今!」

 号令と轟音が繰り返される。その間隔は段々長くなり、突然静かになった。

 槍をかまえた女兵士たちは顔を見合わせるが、言葉を発する者はない。

「騎竜接近、百以上」

 再び高い声が響く。

「散開! 九斧の陣」

 良く通る声が聞こえた瞬間、白装束の女兵士たちは竜槍を地面に置き、屋根の下に駆け戻った。手に手に長い得物を取ると、小さな鈴音を立ながら屋根の背後の矢の畑を踏み分けて散っていく。

 彼女たちが持っている得物は背丈を越えた長さを持ち、先端には複雑な形状をした刃が付けられている。先端は鋭く尖り、その下に小さな斧状の刃が張り出している。斧の反対側は下向きに曲がった刺だ。斧槍ハルバートと呼ばれる武器だ。突き刺し、叩き切り、引き倒すという三つの使い方ができる。

 装飾なのだろうか、その斧槍の刃の下に、小さな銀色の鈴が二つ付いているのが見える。

 斧槍を小脇にかい込んだ女兵士たちは鈴音と共に広く散開し、三人組を三つ合わせた九人で、いくつもの集団を作った。三組が背中合わせになり、三本ずつの斧槍が三方向をにらむ。

 かすかに聞こえていた地響きがあっという間に高まり、屋根の上に幾つもの影が躍る。

 二本足の騎竜に乗った騎竜兵たちが竜を叱咤し、青銅の鎧をきらめかせて次々に矢の畑に降り立つ。何頭かの竜が甲高い悲鳴を上げて倒れ込んだのは多分、突き立っていた矢に脚の裏を貫かれたのだろう。

 だが、兵士たちはそれに見向きもせず、槍や剣を構えると白装束の女兵士たちに突っ込んで来た。

 と、突然、涼やかな鈴の音と共に何かが折れる甲高い響きが矢の畑に響いた。

 鈴音とキンキーンという響きはあっという間に戦場を満たし、無数の何かがきらきらと宙を舞う。

 目の前にいた女兵士を狙って槍を突き出した一人の髭面の騎竜兵が、鈴音と共にそれを跳ね上げられ、思わず乗竜の手綱をひいた。二三歩下がり、体勢を立て直す。槍が軽い。驚いて穂先を見た騎竜兵の髭面が驚愕にゆがんだ。磨き上げられた青銅の穂先が消えている。

 騎竜兵は柄だけになった槍を放り出し、腰の剣を引き抜いた。雄たけびを上げて乗竜を突っ込ませ、背を見せた女兵士の胴に叩き込む。

 だが、期待した鎧を割る手応えはなく、嫌な音と共に手に激痛が走った。

 その隣にいた女兵士が勢いを乗せて踏み込み、斧槍を振った。避けようと手綱を引かれた乗竜が棒立ちになり――次の瞬間、頭が消えた。

 乗竜は残った首から噴水のように血を二三度噴き出し、どうと倒れた。髭面の騎竜兵はその下敷きになるのをかろうじて避け、這うように後ずさる。腰が立たない。

 竜の首を飛ばした白装束の女兵士はもはやその騎竜兵に見向きもせず、脇から突っ込んで来た他の騎竜兵の槍を折り飛ばした。すかさず隣の女兵士が鞍上から引き倒す。倒れた兵が身を起こす間もなく、もう一人の女兵士が斧槍を突き込んだ。

 乾いた音と共に青銅の鎧が貫かれ、背中から斧槍の穂先が飛び出す。

 白装束の女兵士たちは鮮やかに斧槍を振り、刺し、引っかける。三人が一組になって一人が防御、二人が攻撃だ。斧槍の振り方によって微妙に変わる互いの鈴音を聞き分けて、防御役と攻撃役が瞬時に入れ替わり、死角を作らない。その三人が三組集まって、互いに背後を守るのだ。

 騎竜兵がその機動力を生かして回り込んでも、そこには常に三本の斧槍があった。竜は徒歩の兵より場所を取る。二頭以上並んで同じ相手を狙うことは難しい。騎竜兵は常に三対一の戦いを強いられ、自分の得物の間合いに踏み込むことができなかった。

「騎竜更に接近、三百以上」

 高い声が戦場を渡る。

 鈴音とキンキンと銅槍、銅剣が折れ飛ぶ音が増し、穂先や剣の破片が宙を舞う。竜の倒れる響き、仕留められる兵士の絶叫。戦場はいつ果てるとも知れぬ殺戮の響きに満たされた。

「歩兵接近、千、いや二千以上」

 高い声が戦場を渡る。

「前へ。三斧十二陣!」

 それに続いて良く通る声が響き、白装束の女兵士たちは陣を解くと、鈴音を立てて三人組を保ったまま屋根の方に戻りながら、十二組ずつ集まって二重の円陣を組んだ。

 鈴音が止み、横たわる竜や兵士と折れ飛んだ青銅の武器で覆われた戦場に、二重の白円が幾つも描かれる。

 先ほどから木を打つ斧の音が響いていた屋根の一角が崩れ、それを踏み越えて無数の兵士がなだれ込んで来た。

 倒れ付した騎竜兵の惨状に驚いたのだろう。先頭の兵たちの足が一瞬止まる。だが次の瞬間、指揮官らしい怒号が響き、兵たちは弾かれるように武器を振りかざし、白い円陣に殺到した。

 再び鈴音とキンキンと銅槍、銅剣が折れ飛ぶ音が戦場に満ちる。数に勝る歩兵たちは円陣を押し包んで破ろうとするが、白装束の女兵士たちは常に三人一組で一人の敵に当たり、寄せ付けない。

 我がちに突っ込んでくる歩兵たちはたちまち武器を折り飛ばされ、兜を割られて倒れ込む。

それを乗り越えて迫る新手の歩兵と、武器を失って逃げる歩兵たちが入り混じり、一瞬攻撃の波が弱まる。その隙をついて外の組と内側の組が素早く入れ替わる。

 後はその繰り返しだった。歩兵の持つ武器と女兵士の武器では間合いと切れ味が違う。攻撃が一点に集中して外陣の一角が崩れることがあっても、その穴はただちに内陣に待機している組によって塞がれた。

「歩兵接近、更に三千以上」

 高い声が戦場を渡る。

「ここが切所ぞ、巫女ども、勇め!」

 それを受けた良く通る声が、巫女と呼ばれた女兵士たちを叱咤する。

 だが、増援を受けた攻撃側はじりじりと円陣を圧迫し、白い輪はどれも少しずつ縮んで行った。円陣が縮んだ後には倒れた兵士と折れた武器がうず高く積もり、輪の中には力なく倒れ伏す汚れた白装束の巫女たちの数が増えて行く。

 そして輪の大きさが最初の三分の二になり、そして半分になろうとした時、突然戦場を圧する鐘の音が響いた。

 同時に地響きが沸き起こり、竜の吼え声が響く。ぎょっと棒立ちになった歩兵の手から剣が飛ぶ。茫然と見る髭面の歩兵の目に、雄叫びを上げ、頭を下げて向かってくる軍竜の群れが映った。

 味方の竜騎兵より一回り大きいその背には、真っ白な装束に身を包んだ巫女が手綱を握って身を伏せている。と、先頭の一人が鐙に足を踏ん張って立ち上がり、手の斧槍を大きく振って行く手を指した。

 女兵士の組んだ円陣から歓声が沸いた。数十頭の軍竜はその歓声を背中に聞きながら速度を落とすことなく、白円を囲んでいた歩兵の群れに突っ込んだ。

 軍竜が何かを踏み潰す音と鈴音と、そしてキンキンという音が戦場に満ちる。

 そして歩兵の群れを突っ切った軍竜が頭を巡らし、再度突っ込もうとした時には既に、歩兵の群れは崩れたち、武器を捨てて来た方へと我先に逃げ出していた。

 それまで形を崩さなかった白い円陣がわずかにゆがみ、小さな鈴音が幾つも響く。疲労困憊した巫女たちが、次々に斧槍を杖に膝を突いているのだ。だが、血しぶきと泥と涙に汚れた巫女たちの顔には、安堵と共に喜びの輝きがあった。


「思ったより上手く行った。礼を言う」

 沈み行く夕日を受けた戦場跡を見渡して、良く通る声が言う。髪に白いものが混じった初老の巫女だ。白い装束は泥と血に汚れ、腰から下は赤黒く染まっている。

「遅うはなかったか?」

 背後からそうたずねたのは三十前後と見える背の高い巫女だった。装束にはわずかに汚れが飛んでいるだけだ。

「いや、あれで良い。あ奴らが、勝てる、と思ったときに突っ込み、一気に崩すのが軍竜の本分よ。見事な頃合いであった」

「その言葉。巫女共も喜ぶであろう」

 背の高い巫女が頭を下げる。初老の巫女が振り返った。

「良くねぎろうてやってくれ、明日はそなたらの番ゆえな」

 背の高い巫女は表情を引き締めた。

「無論承知。しかし、あ奴らは来るかの?」

 初老の巫女は首を振った。

「鎧に身を固めた突撃竜で防塞を崩し、竜騎兵が躍り込んで陣を乱し、歩兵が蹂躙する。あ奴らが得意としてきた手は、我らに通じなかった。指揮官が愚かなら明日も同じ手で来るであろう。普通なら倍の兵で来るであろうな」

「賢ければ?」

「来ぬな」

 初老の巫女の答えに、背の高い巫女は声を立てずに笑った。

「手勢が何万いようとも、この狭い道は抜けぬ。もしそ奴が愚かなら、賢くなるまで何度でも鋼巫女の力を思い知らせてやらずばなるまい」

 初老の巫女はうなずき。無数の竜と兵士が横たわる戦場跡に目を戻した。

「されど、なろうことなら賢くあって欲しいものよ」

「うむ」

 背の高い巫女がうなずいた時、夕日が最後のきらめきを見せ、山に沈んだ。


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[一言] 初めまして。続きを読みたいと思いました。
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