大盛りスペシャルチャレンジラーメン
明丘学院の最寄り駅。
夕方の駅前には、食欲を刺激する香ばしい匂いが漂っていた。
日も沈みかけ、仕事帰りらしいスーツ姿の人や、学校帰りの学生たちが行き交っている。
「……ふーん。こんなところにラーメン屋できてたんだ」
あたしは店の看板を見上げた。
新しくできたばかりだからなのか、店の前には何人か客が並んでいる。
列自体はそれほど長くない。
だけど――。
「……お腹減った」
限界だった。
宿題をやっている途中から空腹だったのに、そこから歩いてここまで来た。
ラーメンの匂いまで嗅がされたせいで、余計に腹が減る。
「行列はそんなに長くないけど、少し待ちそうね」
愛那が、ぐったりしているあたしを心配そうに見る。
「大丈夫、カレン?」
「……大丈夫」
そう答えながら、お腹を押さえる。
大丈夫じゃない。
その場にしゃがみ込み、膝を抱えた。
「カレン、完全に電池切れてるじゃん」
「……お腹空いた……」
「もう少しだから頑張れ」
ハヤトに励まされながら待っていると――。
「あれー? カレンちゃんたちだ!」
「……?」
聞き覚えのある明るい声。
顔を上げ、声のした方を見る。
そこには、茶色い髪を揺らしながら手を振る少女と、その隣に背の高い男が立っていた。
夏目祐乃と二宮シンだった。
「なんでお前ら、ここにいるんだ?」
シンが不思議そうに眉を上げる。
「それ、オレのセリフっすよ。アニキ!」
ハヤトが即座に返すと、シンは少し疲れた顔をすると頭を掻いた。
「祐乃の全国大会出場に関する手続きで、今日は色々回ってたんだよ。思ったより時間がかかってな。もう夕方だし、ついでに飯でも食って帰ろうと思ってたところだ」
「えへへ~」
祐乃が嬉しそうに笑うと、シンの腕に抱き着いた。
「今日は門限も少し遅くていいって許可もらったんだ。それに、コーチがご飯奢ってくれるんだって!」
「当然だろ!」
シンは腕を組み、得意げに胸を張った。
「俺が見つけた美味いラーメン屋を、お前にも教えてやろうと思ってな!」
「さすがコーチ! 太っ腹!」
「わはははは! もっと褒めろ!」
「すごーい! カッコいいー!」
「わははははは!」
「……何やってんの、あの二人」
「いつものことよ」
愛那が小さく笑った。
その横顔を見ていると、ふと表情が変わる。
祐乃を見る目が、少しだけ優しくなった。
「……祐乃、明るくなったわね」
「……?」
あたしは祐乃を見る。
いつも通り、シンの横で楽しそうに笑っている。
「……前は暗かったの?」
「そうよ」
愛那は少し声を落とした。
「家庭のことで色々あってね。昔は、今みたいに笑う子じゃなかったの。どこか影があったのよね」
「……そうなんだ」
「でも、コーチが色々動いてくれたみたいで。生活環境もかなり変わったのよ」
愛那は祐乃を見つめながら、小さく笑う。
「それからね。少しずつ、ああやって笑うようになったわ」
「…………」
あたしはぼーっとシンを見る。
「祐乃! 今日は俺より食えよ!」
「無理だよ! コーチいっぱい食べるもん!」
「最初から諦めるな! 大食いも修行だ!」
「絶対違うよー!」
相変わらず騒がしい。
あたしの前では、性格が悪くて、煽ってきて、何度も泣かせようとしてくる男。
だけど――愛那や祐乃がシンを慕う理由は、なんとなく分かる。
強いだけじゃない。
指導者としても、人としても多分、あたしが知らないところで色々なことをしている。
「アニキ!」
ハヤトがシンへ声をかけた。
「せっかく会ったんすから、一緒に食いましょうよ!」
「いいぜ! 今の俺はめちゃくちゃ腹減ってるからな! 今日はバクバク食うぞ!」
「コーチ、お財布大丈夫?」
「俺を誰だと思ってんだ!」
「外部顧問!」
「そういう意味じゃねえ!」
そんな話をしている間にも、列は少しずつ進んでいく。
そして、いよいよ次があたしたちの番になった。
「……やっと」
立ち上がる。
ようやくラーメンにありつける――そう思った、そのときだった。
「ふざけんな!」
店内から怒鳴り声が響いた。
「……?」
店の中が騒がしい。
店主らしき男と、客が揉めているようだった。
「注文キャンセルだと!? この量を用意するのに、どれだけ手間がかかってると思ってんだ!」
「こんなマズそうなラーメン食えるかよ! 俺、このあとバイトあんの!」
「時間がないなら最初から注文するなああああああっ!」
「知らねえよ!」
何を揉めているのだろう。
店の外からでは詳しく見えない。
しばらくすると――。
ガンッ!
扉が乱暴に蹴り開けられた。
「二度と来るか、こんな店!」
一人の男が店の前に唾を吐き捨て、そのまま足早に去っていく。
「……感じ悪いわね」
愛那が眉をひそめる。
すぐに店内から女性店員が出てきて、並んでいる客へ何度も頭を下げた。
「大変お待たせして申し訳ありません!」
「何かあったんすか?」
ハヤトが尋ねると、店員は困ったように笑った。
「実は……《大盛りスペシャルチャレンジラーメン》をご予約されていたお客様が、突然キャンセルされまして……」
「……名前長い」
「量がかなり多いので、食材の準備も含めて電話での事前予約制にしているんです。店主も、せっかく用意したものを直前でキャンセルされて、つい……」
「大盛りスペシャルチャレンジラーメン? 最近ちょっと話題になってるアレか」
その名前を聞いて、シンが反応すると、祐乃は首を傾げた。
「コーチ、知ってるの?」
「30分以内に完食できたら、賞金五千円がもらえるチャレンジメニューだ」
「へえー!」
祐乃が目を輝かせる。
「ただし、食べきれなかった場合はチャレンジ料金で一万円取られる」
「高いっすね! どれくらい量あるんすか?」
「とんでもねーぞ。俺も結構食う方だけど、あれは無理だ」
「コーチでも?」
「無理無理。食い切る前に腹が破裂する」
祐乃は感心したように頷くと、ニヒヒと笑う。
「ボク、あんまりたくさん食べられないから、そういうの完食できる人って尊敬するなあ。コーチ、挑戦してみたら?」
「今の話聞いてたか!?」
「応援するよ!」
「応援で胃袋は大きくならねえよ!」
シンが全力で首を横に振る。
すると――。
ぽん。
誰かが、あたしの肩に手を置いた。
「……?」
振り返る。
ハヤトだった。
なぜか、とても真剣な顔をしている。
「カレン」
「……なに?」
「お前の出番だ」
「……はあ?」
意味が分からない。
だけど、ハヤトの目は本気だった。
そんなハヤトを見ていた二宮シンは、肩をすくめる。
「まさか挑戦するつもりか? やめとけ、やめとけ」
「……アニキ。カレンを舐めすぎっす。空腹状態のカレンはヤバいっすよ」
なぜかハヤトは自慢げに語るが、あたしは空腹が限界すぎて、立ち上がることすらできなかった。
「……もうなんでもいい……はやく食べたい……」




