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第四章

 まわりを騎士に守られながら、ドラヴリフトの首をかかげるカンニバルカを、バゾイィーは呆然と眺めている。

 ドラゴン騎士団の将卒らは、団長、大龍公ドラヴリフトが討ち取られてしまい、

「もはや、全てが終わった」

 と奈落の底へ突き落とされる絶望感に襲われ、残りの勇気も遺言もなにもかもが風に吹き飛ばされる霧のように、ちりじりばらばらに逃げ惑い。そこには、かつて王国最強とうたわれた面影はなく、完全な敗残兵としての惨めさしかなかった。

(ドラヴリフトは確かに、すぐれた男であった。だが、それゆえに、ドラゴン騎士団の連中はドラヴリフトになにもかもを頼りすぎていた)

 と、カンニバルカは思った。かかげるドラヴリフトの首の、なんと重いことよ。

 その重心を失って、ドラゴン騎士団は雨散霧消するのみ。

 無論、王の軍勢、フェニックス騎士団がこれをみすみす逃すわけもない。残党狩りと、ドラゴン騎士団の将卒らは背中から斬り払われて、討ち取られてゆく。

 ドラゴンスレイヤーと言いながらも、どっちがドラゴンだと言いたくなりそうなほど鋭く輝く目。岩を噛み砕くために、岩を顎にしたように思えるように顔面は強張って大きく、また鼻も形がよいながらも岩を突き崩しそうな張りのよさである。

 鎧兜に覆われていても、その巨躯は筋骨たくましい様を想像させ。右手に握る剣、身にまとう鎧兜は朱に染まり。顔面もまた返り血に濡れまるで血涙を流したかのように昂ぶって真っ赤になった顔の上にまた赤が上塗りされている。

 剣も主に劣らず赤く染まって、斬ったのはドラヴリフト一人でないことは容易に想像できた。

 吹き付けてくるような豪傑の風情が、カンニバルカの四肢から熱風のように発せられるようで。まさに、容貌魁偉ようぼうかいい

 騎士としての総合的な能力はともかく、剛毅さにおいてはドラヴリフトをも上回るのではないか。

(こんな豪傑が、オンガルリにいたのか)

 バゾイィーは、夢の中にいるような心地だった。

 これなんカンニバルカ、見つけ出したのは他ならぬイカンシであった。

「よくやった。よくやった」

 と上機嫌で馬を駆ってやってくる。

 もとはイカンシの治めるオンガルリ北方の、チュラヴァカイア地方に流れてきた流浪の旅人であるが、氏素性は語らないのでわからない。

 彼はある日、チュラバカイアの中心都市、プラティシェヴァナに流れてきて。自慢の怪力をもって、土木工事や荷役などの力仕事をしその日稼ぎの日雇い労働者として生活していた。

 容貌魁偉であるため、近づきがたい雰囲気はあるが、真面目に働くので周囲の評判もよかった。

 その生活が、一変した。酒に酔ったイカンシ配下の騎士が、仕事仲間を、肩がぶつかっただけのことで激情し、酔った勢いに任せて斬り殺し。これに激怒してカンニバルカは騎士を殺してしまった。素手で、殴り殺したのだ。

 理由はどうあれ、イカンシの領土内で平民が騎士を傷つける、あるいは殺す行為は反逆罪として死罪であった。駆けつけた数名の騎士により、ようやく押さえつけられたカンニバルカは死罪を決する裁きの場に引き出されようとしていたが、運命のいたずらか、たまたま近くを通りかかったイカンシは、そのカンニバルカのただならぬ雰囲気を察して、

「まて」

 と引きとめ、その容貌をしげしげと眺めて、

「これは、面白そうな男だ。どうだ、わしに仕えてみぬか」

 と、仕官を持ちかけてきた。さすがにこれには、死を覚悟したカンニバルカも驚いたが、死罪から一転騎士になれるのをなんで断る理由があろう。

「はい」

 と素直に答え、イカンシの部下となった。

 氏素性の知れぬ身でいながら、剛毅な骨柄。不気味に思う気持ちもあったろうが、イカンシなりに利用価値を認めたのだろう。王に捧げる騎士団、フェニックス騎士団を結成した際にも、カンニバルカはそれに編入された。

 そして今、ドラヴリフトの首をかかげている。そう、これが一番の目的であった。カンニバルカを求めた理由の。

 たとえ返り討ちになっても、もともと捨て駒、惜しくもなかったが。並大抵の者に、ドラヴリフトは討てなくても、並大抵でない者なら、あるいは、という期待は大当たりだった。



 カンニバルカは、周囲が呆気にとられるのもかまわず、寄ってくるイカンシをじっと眺めていた。

「まだそんな怖い顔をしおるのか」

 にこにこ顔で、イカンシは馬から降りて、もろ手を広げて、抱きつかんがばかりにカンニバルカに歩み寄る。

 イカンシの近習がカンニバルカに駆け寄り、ドラヴリフトの首をあずかる。

 それを見て、イカンシはもうご満悦であった。

(これで一番の邪魔者は失せた。さあ、いよいよわしの時代のはじまりじゃ) 

 様々な思惑が脳裏を駆け巡る。イカンシには野望があった。オンガルリ王国の王になる、という野望が。そのためには、宿敵タールコと手を握ることも辞さなかった。

 ヨハムドが攻め込んできたのをドラゴン騎士団が迎え撃つ。それとは別口から、タールコの王ドラグセルクセスが攻め込み、これを国王が追い返す。すべては、示し合わされたことであった。

 王は英雄願望が強かった。そこにつけこみ、

「ドラヴリフトが王に内政に専念せよと言うのは、あるいは王を取るに足りぬと軽視するゆえんでござろう」

 と言えば、簡単に、

「いわれてみれば」

 と納得するものだから、次から次へと、根拠のない憶測を吹き込んだ。ニコレットが戦場に出るのは、王に心を寄せながら、王はめかけを持たぬ主義ゆえに想いを果たせず。あてつけに、女を捨てて剣を握っているのだ、ということまで信じた。

 そして、とどめとばかりに、

「あるいは、反逆を企てておるのやもしれませぬ」

 と言ったとき。

「確かに。あやつの言動は、裏があってのことか」

 と、王はドラゴン騎士団を反逆者と簡単に決め付けてしまった。

(なんとも、御しやすい王よ)

 と小躍りする気持ちだった。そこへ、タールコからの密使。いわく、我らと手を握り、ともに栄耀栄華を味わおう、と。そのために、まずドラゴン騎士団を倒す。それから、オンガルリを攻め、占領し、バゾイィーを廃しイカンシを王に立てる、と。

(わしが、王に)

 それは刺激的にして甘美な誘いで、考えただけで空飛ぶ絨毯で冒険旅行をするような爽快感があった。

(そうだ、たかがバゾイィーごとき男の下にはいつくばる人生に、なんの面白みがある)

 いっそのこと、王になってやれ。

 野望は決定的なものとなった。

 ダノウ川の戦いで王は自信をつけ、ドラゴン騎士団を必要としなくなった。しかしこれは、偽りの勝利であった。もともと、王を偽りの勝利により偽りの自信をつけた滑稽な人物にするため、タールコは負けたふりをして引き返したのだ。

 そしてヨハムドは予想通りドラゴン騎士団に敗れたが、討ち取られはしなかった。無理をするな、というドラグセルクセスの言葉通り、無理を悔いて逃げ去ったのだ。おかげで、ドラゴン騎士団に疑惑をひとつ上塗りさせることができたわけだ。

 そして、ついにドラゴン騎士団は、ドラヴリフトの死によって壊滅した。ふたりの子は逃げたようだが、父を見捨てさっさと逃げるなど、たかが知れた若造どもで、放っておいても害はなさそうだった。とはいえ、念には念で、指名手配は怠らないつもりだ。

 我が子に抱擁するように、イカンシはカンニバルカに歩み寄っていた。王を無視して。

 バゾイィーも、この時になってようやく異変に気付いた。イカンシは、ドラヴリフトを討った者にドラゴンスレイヤーの称号を与えると言ったが、それを決めるのは王であり、イカンシではない。なのに、イカンシは勝手にそんな約束を騎士にした。

 ドラヴリフトを討ったカンニバルカという騎士もまた、王のゆるしもなく、勝手にドラゴンスレイヤーを名乗った。

 これは、どういうことか。

 ドラゴン騎士団を反逆者と見抜いた忠臣は、今、戦勝祝いの一言もなく、王を無視している。

(まさか)

 はっと、閃いた。と思ったときであった。

 カンニバルカの眼光鋭い目が、かっと見開かれたかと思うと、剣風唸りを上げて。

 イカンシの首を跳ね飛ばした。

 絶頂にあってか首を刎ねられたことに気付かず、その顔は上機嫌に笑っていて。

 イカンシの笑顔は、鈍い音を立てて地に落ちた。

 またそれを、カンニバルカは蹴飛ばした。



 ドラゴン騎士団の残党狩りの熱気もどこへやら。

 カンニバルカがイカンシの首を跳ね飛ばし、さらにその首を蹴飛ばし。一瞬にして、周囲の空気は凍りついた。ドラヴリフトの首をあずかったイカンシの近習も、魂が抜けたように呆けている。

 おのれ、という喚き声が響き。ドラゴン騎士団の残党に向けられていた剣が、カンニバルカに向けられた。

 バゾイィーは、身も心も凍りついたように、馬上でかたまったまま動かない。あまりの事態の急変に、ついていけなかった。だがそれは、他の将卒らも同じようで、見えない幽霊に抱きしめられているかのように、ぽかんとカンニバルカを眺めている者も多かった。

「王よ」

 己に凍りついた視線と殺意のこもった視線が混ざり合ってそそがれているのを感じながら、朱に染まった己の姿で王に迫り、カンニバルカは咆えた。

「もうオンガルリは終わった。潔くタールコに膝を屈するしか、道はござらぬぞ!」

 バゾイィーは、わなわなと震えている。

 震えながらも、うすうすと、内実をさとりつつあるようだった。

(予は、イカンシにそそのかされて、国を誤まったのか……)

 その通りであった。

 イカンシにそそのかされて、国防の要であるドラゴン騎士団を壊滅させたのだ。これが、どういうことか。

「貴様、ふざけるな!」

 と大喝し、槍を振ってカンニバルカに猛然と迫る騎士があった。これなんフェニックス騎士団の団長にして、イカンシの腹心であったウドジカであった。イカンシによく仕え、勇猛果敢な男であった。

 主が討たれ、その仇を討たんと蹄の音をひびかせ喉の奥より轟く怒号を発し。馬上よりカンニバルカの顔面めがけて槍を繰り出す。

 が、カンニバルカ、かっと目を見開いたかと思えば、鼻先まで迫った槍の穂先を流れるようにさらりとかわしざま。空いた左手でその槍を掴むや、

「えい!」

 と怒号を発しながら槍を力任せに引っ張り、馬上のウドジカを馬上より引き摺り落した。

 わっと声をあげて地に叩きつけられたウドジカは、体勢を立て直そうと慌てて起き上がろうとするが。眼前に剣が閃いたかと思う間もない。その顔面に剣が叩きつけられ、血を撒き散らしながらのけぞり、仰向けに倒れて。そのまま動かなかった。

 あっという間に、ドラヴリフト、イカンシ、ウドジカといった、内情はともかくとして、オンガルリの主要人物が三人も死んだ。それも、同国人同士で戦った果てに。

 王は、衝撃が心を強く打ちつけ。それまで中天に昇っていた太陽が、真っ逆さまに地上に墜落したような気持ちだった。

 もはやカンニバルカが、どういった人間なのかという疑問も、心の外に吹っ飛ばされていた。

「静まれ!」

 得体の知れぬ恐怖が周囲を駆け巡り。恐慌をきたした者が続出し、その場から逃げ出そうとしていた。彼らがさっきまで討っていたドラゴン騎士団の残党のように。カンニバルカは、それらに「静まれ!」と叫ぶ。

 そうすればほとんどの者が死神に襟首をつかまれたかのように、走るのをやめてその場にへたり込む。

 その中には、王の姿もあった。

 カンニバルカはイカンシの首を睨みつけ。

「馬鹿一人のために、よくぞここまで国をめちゃめちゃにしたものだ。王よ、イカンシが国を売ろうとしていたのを、御存知なかったか!」

「……」

 バゾイィー、言葉もない。やはりそうだったのか、という不安が的中して、凍りついた心は砕けそうだった。

 が、それでも気力を振り絞って。

「それならば、なぜうぬは予にそのことを告げなんだのか。なぜ今になって、イカンシを討った」

 と返すも、カンニバルカは不敵な笑みを浮かべ、

「王がいつイカンシの正体を見抜くか、待っていたのよ。また、イカンシのような男はオレも嫌いだが、恩人ではある。ある程度役に立ってやってから、討ったのよ」

 と言い、さらに、

「奸臣を見抜けず、忠臣を退ける。ふん、国が滅ぶときの、君主の振る舞いそのままだな」

 と言うと、大槌で頭を打たれた衝撃だった。王は、強い衝撃を立て続けに受け、崩れるように馬から降りて。へたりこんだ。

 このとき、カンニバルカが容貌魁偉ながら教養ある人物であることをさりげに見抜いた者もいないではなかった。教養のない、粗野な人間であるなら、そんなことを言うことはまずない。

 王は衝撃のあまり気付くことはなかったが。

 なにより、王の五万の軍勢は、たったひとりの人間によって身動きを封じられてしまっていた。

 遠慮なく、カンニバルカは続けた。

「その器では、ドラゴン騎士団があろうとも、いずれタールコに負けるは必定。いっそ、早々に神美王に使者を送り、従属の誓いを立てるより生きのこる道はなし。いかがか!」

 オンガルリの歴史がはじまって以来、ここまで堂々と王に、タールコに屈せよと言った人間はいないであろう。だが、そういう人物が出ることをゆるしてしまうということは、確かにオンガルリは終わろうとしていることなのかもしれない。

 バゾイィーの目から、とめどもなく涙が溢れた。もはや一国の王ではなく、ひとりの男の姿であった。

 だが不思議なことに、なぜか胆も据わり。無言で愛馬にまたがったかと思うと。ドラヴリフトの首とカンニバルカ交互にひと睨みして、

「こたびのことで、予の器がよくわかった。いさぎよく、この首をドラグセルクセスにくれてやろう」

 予期せぬ言葉に、将卒らは声を失った。カンニバルカに好き放題言われて、すごすご都にかえるのかと思っていただけに。

「ほう」

 カンニバルカは、少し見直したようにバゾイィーを見た。バゾイィーは、もはやカンニバルカなど眼中になさそうであった。それどころか拳を振り上げ、

「だが、ただではやらぬ。予にも誇りがある。タールコの者どもを道連れにして、今ごろ地獄の番犬になっているであろうドラヴリフトの餌にしてくれよう。カンニバルカとやら!」

「なんじゃ」

「うぬは只者ではないと見た。あとのことは、頼んだぞ」

 カンニバルカは、王の言葉を聞き、不適に笑った。

「王よ、あんたは存外面白い御仁だな」

「なんの、お前には負ける」

 涙で濡れた顔を天に向け、バゾイィーは高笑いした。乾いた中にもほどよい湿り気をおびた、なんともいえぬ哀愁と潔さのこもった笑い声であった。

「ああ、そうそう。ドラゴンスレイヤーの称号を、そなたに与える。これが、お前にしてやれる、王としてのささやかな心遣いじゃ」

「痛み入る」

 このときになって、カンニバルカは王にうやうやしく一礼した。

 王はいつしかすっきりした顔になり、周囲を見渡す。

「命が惜しいものは好きにせよ。物好きは、予に続け」

 そういうと、馬を返しどこへともなく駆けてゆき。あとに、「物好き」な者たちが、少数続いていった。それらの中から、王の命を受けて、バゾイィーからの挑戦状をドラグセルクセスに叩きつける使者がさらに馬を飛ばして、王に先んじてタールコに向かった。



 遠ざかる王の影を見送り、カンニバルカも周囲を見渡し。

「これより、ドラゴンスレイヤー・カンニバルカが陣頭指揮を執る。不満のある者は立ち去れ! なんなら、剣をもって訴えるのもよいぞ」

 雷鳴のような怒号であった。

 一体、このカンニバルカは何者なのであろう。

 オンガルリ王国は、柱を立て続けに失った。敵国からの侵攻を防ぎ、国も安定し内乱もなかった。にもかかわらず、わずかな人間の心があらぬ動きを示したことにより、国は背骨を抜き取られた。

 意気軒昂に敵国の侵攻を防ぎ、反逆者を討ち取った五万の軍勢はいまや、腑抜けた烏合の衆となりはてていた。

 いかに人を集めようとも、集まって何をなすか、という意義や大儀がなくば、烏合の衆でしかなかった。今の彼らは、まさにそうだった。

 となれば、王にあとのことを託されたカンニバルカに従うしかないであろうが。ドラゴンスレイヤーのこの男は、オンガルリ王国をどうするつもりであろうか。

「まったく、面倒をすべてオレに押し付けて、王もいい気なものだ」

 とつぶやいたかと思えば、大きく息を吐き。

「全員整列!」

 と天地揺らす雷鳴のような大喝を発し。軍勢に電撃ほとばしるような衝撃が走ったか、馬蹄に足音地に響き、鎧兜の揺れる金属音も撒き散らしながら。カンニバルカの前に整列し、馬上の者は馬を降りた。その内意はともかく、軍勢の指揮全権は完全にカンニバルカが握って。誰もそれに逆らえなかった。

 武勇も教養もあり、軍隊を引っ張る力もある。かつて流浪の旅人であったはずのこの男、軍人として軍隊を率いたことがあるのか。それも相当の。そうでなくば、どうして王の軍勢が、言うことをきいてしまうのか。

「まずは、都にかえるぞ! あとはそれからだ!」

「は、ははぁ!」

 戸惑い気味に、全軍返事をし、隊列を整えルカベストに帰還する。その先頭に、誇らしげにカンニバルカ。

 そして、捕虜となったドラゴン騎士団の騎士たちも、力なく歩みながらその隊列の中にくわわって、ともに王都ルカベストに向かっていた。



 陽は雲をも紅に染めながら、反対側に見える月に光を当てつつ、そびえ立つ山々に沈もうとしていた。

 夕陽照らすどこかの峠道。三騎、影をながく落としながら蹄の音もけたたましく駆けている。

 まさか王の軍勢に異変が生じたなど知らぬコヴァクスにニコレット、ソシエタスは遮二無二に馬を駆けさせ、できるだけ遠くへ逃げようとしていた。

 軍としての統率はなくなり、ドラゴン騎士団は支離滅裂。それでも、百騎ほどは着いてきてくれるかと思っていたが……。

 気はつけば、誰もついてきていなかった。

 追っ手がないのを確認して、すこし速度を緩める。

「誰もいないのか」

 コヴァクスはうめくようにつぶやいた。今そばにいるのは、妹のニコレットにその副官ソシエタス。それぞれの背中にしがみつく、クネクトヴァにカトゥカの五人だった。

 さっきまで一万を越える人数の中にいたというのに。

「小龍公、追っ手はまいたようです。馬を休めましょう」

 駄馬ではない。それぞれが良馬を愛馬としているが、休みなく走らせていたので息も上がり力強さがない。これ以上無理をすれば、つぶれてしまう。それは人間も同じだった。コヴァクスはもちろん、ニコレットにソシエタスも、追っ手をまいたと思った途端にどっと疲れが溢れたのだから、クネクトヴァとカトゥカの疲労おして知るべしであった。

 手綱を引き、ニコレットは馬を止めた。背中にしがみつくカトゥカは全身でぶるぶるふるえていた。いかにおてんばであろうと、突如戦乱に巻き込まれれば、有無を言わさぬ恐怖に身を縛られるのはどうしようもない。それは、ソシエタスの背中にしがみつくクネクトヴァも同じだった。

 やむをえん、とコヴァクスも馬を止めて下馬した。

 辺りを見回す。どこをどう走ったか、覚えておらず、周辺に見える山野の様子から位置を探ろうとしたが、咄嗟にはわからなかった。

 どっかと、腰を下ろし、肩で息をし。深くため息をついた。

 ソシエタスとニコレットは、背中にしがみついていたクネクトヴァとカトゥカの手をとりながら馬から降ろしてやってから、自分が降りた。

 疲労に襲われながらも、地べたに座り込みうつむくコヴァクスを、四人はいたたまれなさそうに見つめた。

(なぜこんなことに)

 問答無用の怒りと悲しみが、コヴァクスの肩をぶるぶると強く震わせて、拳はかたく握りしめられていた。

 つい先日まで、ドラゴン騎士団は王国のために命がけで戦ってきたというのに。その報いが、反逆者として討伐されることとなろうとは。

 ニコレットも、ふっと崩れて膝と手を地に着け四つんばいになり、身体中を震わせていた。色違いの瞳から、涙があふれ出て、地に落ち染み込んでゆく。

 最年長のソシエタスはさすがに落ち着いたものだが、それでも衝撃は隠せなくて。沈む夕陽に目をやり、拳を握りしめて、心で夕陽に何かを訴えかけているようだった。

 クネクトヴァとカトゥカは、呆然と立ちすくんで、へなへなと地べたにへたりこんだ。

 ドラゴン騎士団の小龍公コヴァクス、小龍公女ニコレットといえば、オンガルリの若者の憧れのまとであり。少年はコヴァクスを、少女はニコレットを慕い、その活躍をきくたびに、我が事のように胸弾ませていたものであったし。

 幼い子供たちは、コヴァクス、ニコレットを勝手に名乗って戦争ごっこもしていたし。ふたりの活躍を尾ひれをつけて、これまた己を誇るように語り合ったものだった。

 その小龍公と小龍公女が、見るも不憫な、いやもっと率直に言って無様な姿をさらし、涙を流している。

 こんな姿、今まで考えたこともなかった。

 なにより、ドラゴン騎士団が、大龍公ドラヴリフトが反逆者として王から討たれようとするなど、もっと夢にも思わなかった。

(オンガルリ王国は、どうなってしまったのだろう)

 と思っても、十四の少年少女にわかるはずもない。ただひとつわかることがあれば、今日をさかいに国が変わり、これからどうなるのかわからない、ということであった。

 三頭の馬は、寄り添いあって静かに疲れを癒していた。

「やむをえません、今夜はここで野宿をし、明日新たな行き先を求めることにしましょう」

 追っ手の心配もあるが、馬も人も疲れきっているためこれ以上進むのは無理だったが。幸い身を隠す森がそばにあるので、そこに身を潜め夜を明かそうとソシエタスは言った。

 コヴァクスとニコレットは力なくソシエタスの言葉に従い、馬の手綱をとって森の中に入り。そこでまたへたりこんでしまった。

 コヴァクスとニコレットは、まるで魂が抜けてしまったようだった。

(大龍公のご遺志を託されたというのに……)

 兄と妹の様子を見て、ソシエタスは心中穏やかではない。それに、なによりも現実的な問題もあった。

 秋も深まり、冬が刻一刻と迫りつつある。我が身を包む夜気のなんと冷たいことか。この天地には春夏秋冬の四季があり、冬にの寒さは肌を裂き空は灰色に染まり白い雪を降らせて地を埋める。

 うかうかしていれば、王に討たれずとも雪に埋もれて凍え死ぬことすら考えられた。

(まずは、冬をどう越えるかが問題だ)

 大龍公ドラヴリフトの遺志は一朝一夕に成し遂げられるものではない。おそらく短くとも十年は覚悟せねばなるまい。遺志の完遂を思えば、自然という困難にも打ち克たねばならなかった。

「これが敗残者というものか」

 ドラゴン騎士団ありしころ、いかに冬を越えるかなどここまで真剣に考えたことはなかった。むしろ冬は休養の季節であった。

 いかにタールコがその野心を燃やそうとも、冬に降り積もる雪までは溶かすことかなわず。主要道もまた雪に閉ざされているため、進軍を控えて春の訪れをまたねばならなかった。

 冬の雪は国を閉ざすとともに、外敵よりの侵攻を防ぐ天然の防壁でもあった。その間、自身の鍛錬に専念できるし。なにより暖炉の燃える火を眺めながら、暖かいスープを飲み、窓越しに見える白雪の銀世界を眺めながら、雪化粧した山野を愛でながら、春の息吹を心待ちにしていたものだった。

 ドラゴン騎士団があったころは、それができた。

 それらを失った今、天然の防壁が、自分たちを生き埋めにしようとしている、と考えただけでも恐ろしい。まさに敗残者にとっては、敗残者になった瞬間から、人はおろか自然までが敵に回るのだ。

 思えば、恵まれていた。

 色々と考えるが、やはりソシエタス自身も大変疲れている。ふう、とため息をつき、戸惑うクネクトヴァとカトゥカをともない森の中に入り。

 やがて身を縮めて、夜闇に包まれて眠りをむさぼった。



 幸い追っ手に発見されることなく朝日を迎えられ、三騎は再び旅に出た。

 あてどもない旅ではあるが、まず第一に、国を出ねばならぬことははっきりしていたが。国を出るといっても、どの方向から出るか、それが問題であった。

 どの方角にゆくかが決まらぬためか、蹄の音は重く、その歩みは遅い。いたずらにうろついて、追っ手に見つかっては何もならないので、やむなく森の中に身を潜めて思案に暮れねばならなかった。

 越冬の問題はコヴァクスもニコレットも考えていた。

 クネクトヴァとカトゥカも考えるものの、こちらも名案は浮かばない。

 コヴァクスはかなり苛立っているようだ。脳天がきしむような思いに駆られながら、折の中の豹のように、眉をひそめ腕を組んで森の中をぐるぐる回る。かと思えば、森の木を思いっきり蹴飛ばし苛立ちをあらわにする。

 コヴァクスは何度も木に蹴りを入れ、そのたびに木は音を立ててゆれ、蹴られて痛くて泣くように、葉を落す。

「お兄さま、追っ手に見つかっては一大事。ここは落ち着いて」

 とニコレットがなだめれば。かっと目を向いて妹の色違いの瞳を睨み据える。

「オレに命令するな!」

「なんですって?」

「妹の分際ででしゃばるな、と言うんだ」

 ニコレットは絶句した。

 これまできょうだい喧嘩はあったが、そんなこと言われたのは初めてだった。どんなに怒っても、相手の尊厳を傷つけることは言わない兄だったのに。

 遺志を受け継ぐ心はあるといっても、やはりそこはまだ人生経験の浅い若者であった。それに対しどう対処してよいのかわからず、精神が迷子になってしまっているようだった。

「いっそイカンシを斬りに、王都にゆくか」

「それは危険です。みすみす死にいくようなものです」

 とソシエタスはたしなめた。

 昨日のことを思えば、オンガルリ王国においてドラゴン騎士団は完全に反逆者となり、居場所が失われたどころか。ドラゴン騎士団の残党を狙って、各地に探索の兵が練り回っているのは容易に想像できた。

 そんな中、何の根拠もなくただルカベストに赴きイカンシの首を求めたところで、ソシエタスの言うとおり、みすみす死ににゆくようなものだ。

 それでは、遺志を託された意味がなくなってしまう。

「ソシエタス、お前、臆病風に吹かれたか」

 と、コヴァクスは目を血走らせ、剣を抜き。カトゥカはにぶい光を放つ剣と、そのあまりの形相に、きゃあ、と思わず悲鳴を上げてクネクトヴァの後ろに隠れ。

 ソシエタスは、無言でコヴァクスの剣を見据えている。

「臆病風に吹かれたから、剣でどうするおつもりなの」

 と言うのはニコレットであった。

「どうもこうもない。臆病者は邪魔になるだけだ。そんな足手まといになる者は、斬る!」 

「お父さまが、そんなことを教えてくれたの? 足手まといになる者こそ、守れ、というのが、お父さまが教えてくださったことでしょう」

 とニコレットは言うが、

「教えは教え、現実は現実だ! この餓鬼どもも……」

 とクネクトヴァとその背中に隠れるカトゥカを指差し、

「邪魔となれば、斬る!」

 と咆えた。もし追っ手が近くにいれば、その声が聞こえそうだった。

「なにが小龍公よ。がっかりだわ!」

 と言うのは、カトゥカだった。びっくりしてクネクトヴァはおろおろしている。

「お、おいカトゥカ」

「あんたの言ってることって、結局ただの餓鬼大将だわ。こんなのが小龍公だなんて、信じられない。これなら、あたしやクネクトヴァがドラゴン騎士団の団長になった方が、まだましな気がするわ!」

「な、なに……。赤毛の餓鬼、オレを愚弄するか!」

「愚弄なんていっちょまえに小難しい言葉使って貴族ぶっちゃって、やーね! あたしはただほんとのこと言っただけよ。ねえニコレット姉さん、そうでしょ」

 突然振られてニコレットは苦笑するが、うろたえる兄の姿に、カトゥカと同じように軽蔑の念を抱いたのだが。

 彼女自身もうろたえているのは同じで、コヴァクスが先に無様な姿をさらしたものの、それより先に自分が無様な姿をさらしたかもしれないのだ。

 ニコレットは兄が先にうろたえて、それを見てかえって落ち着きを取り戻し。兄が爆発してふたりの少年少女に斬りかかったときのために、すかさず、その前に立ち、コヴァクスを見据えている。

「残念だけど、カトゥカの方が正しいと思うわ」

「ニコレット、お前までオレを愚弄するか」

「誰もお兄さまのことを馬鹿にしていないわ。お兄さま、どうか落ち着いて話し合いましょう」

「話し合いなど生ぬるい! 我らは剣に生きる者。舌先三寸で、剣が振えるか!」

 剣を握りしめ、一歩踏み出すコヴァクス。このままでは、ほんとうに斬ってしまいそうで、ソシエタスははっとしてこちらも一歩踏み出す。 

「斬るなら斬ればいいわ。私を斬って、お兄さまの勇気を証明すればいいわ!」

 ニコレットは叫んだ。その背中にかばう少年と少女も、瞳を揺らしながら、コヴァクスと剣を見据えていた。

 ニコレットの黒い左目の瞳と、碧い右目の瞳が、コヴァクスを映し出す。

 色違いの瞳に映し出されて、コヴァクスは両親にも見られているような思いに駆られた。

「くっ……」

 剣を鞘におさめ、どっかと座り込む。

 無様な姿をさらしたことを、恥じているようだった。

「お兄さま……」

 ニコレットは兄のそばに駆け寄り、肩に手をかける。言葉は出ない。

 クネクトヴァとカトゥカは気まずそうにしていたが、

「ぐぅ」

 とふたりして腹の虫がないてしまい、顔を真っ赤にした。 

 


「そういえば、何も食べておりませんな」

 と言って、ソシエタスは場の空気をほぐす。が、たしかに、何も食べてはいない。

 その何も食べていないことを、いま思い出した。それほどまでに、皆切羽詰っていた。

「それなら、僕らにまかせてください」

 とクネクトヴァは言うと、手ごろな小石を拾い、ひゅと風を切るように石を投げれば。木の上にとまっていた小鳥が、ぴっと悲鳴を上げて落ちてくる。それに続き、カトゥカも同じように小石を投げれば、また小鳥が落ちた。

 機転を利かしたソシエタスは木の枝を拾い集め、懐から火打石を取りだして火をつける。

「あなたたちって、狩りが上手ね」

 とニコレットは感心しきりだ。狩りの経験はあるものの、それは弓矢を用いてのこと。いま誰も弓矢をもっておらず、小鳥を捕らえることはかなわない。たとえ猪や鹿が現れて、それを剣でしとめようとも、逃げ足早く逃がしてしまうだろう。

「まあそりゃ。お腹が空いたらこうしてたんだ」

 腕白な、そして満足に食うことができなかったふたりは、郊外の森に出てはこうした狩りで空腹を凌いでいた。

 孤児院はもちろん食事は出たが、朝昼晩の三度だけ。おかわりはない。ゴルドンがけちなのではなく、孤児の皆に平等に食を与えるために、節制をせねばならなかったのだ。

 が、腕白盛りの子供には足りず。ふたりは、自らの努力で食を得る必要性を幼いころから心に叩き付けられ、またその技も身につけていた。

「父上は言っていたな。なまじ恵まれると、自分の足で歩くことも出来なくなる、と」

 コヴァクスは、恥じるとともに、最初足手まといと思っていたクネクトヴァとカトゥカがこんなところで優れた手腕を見せたので。しみじみと、父の教えを思い出していた。

「オレは、そうなるまいと心がけていたが……。いざとなれば、お前たちの方が頼りになりそうだな」

「いやあ、そんなあ」

 とクネクトヴァとカトゥカは、コヴァクスとニコレットに感心されて、照れ笑いをしている。まさか憧れの小龍公と小龍公女から、こうして褒めてもらえるなんて夢にも思わなかった。

 ともあれ食の問題は、まず問題ない。が、冬はそうもいかない。

 このまま手をこまねいていては、行き場なく雪に埋もれてしまう。

 ソシエタスは眉をひそめながらも、何か思いついたようだった。それを察したニコレットは、

「何か考えがあれば、言ってちょうだい」

 とうながし。ソシエタスは、迷い気味に、では、と口を開いた。

「オンガルリより南西方向の、旧ヴーゴスネアにゆこうか、と思っておりました」

「ヴーゴスネア……」

 オンガルリ王国の南西に、ヴーゴスネアという国があった。タールコとも国境を接し、オンガルリと同じように敵対関係にあったが、内乱が起こり今は七つの小国に分裂している。

 この内乱は別にタールコが何かをしかけたわけではなく、ヴーゴスネア国内での権力闘争がついに内乱というかたちになって、国を七つに分けへだててしまった。

 その七つの国は互いに反目しあい、今も内紛が耐えず、各地で毎日のように戦火があがっている。

 そのため人心はすさみ治安も悪化。内戦のどさくさに紛れて白昼堂々と盗賊のたぐいが暴行略奪をほしいままにし、旧ヴーゴスネアの地は、混沌としているという。

 またタールコも、オンガルリという優先事項もあり、旧ヴーゴスネアの七つの国が結託してタールコに敵対することもないので混沌とするにまかせて、手を出していないという。

「ヴーゴスネアか……」

 とコヴァクスがつぶやく間に、火の燃える熱気が肌に触れるとともに、肉の焼ける煙も触れ、香ばしい匂いも鼻に触れる。

「危険は多けれども、旧ヴーゴスネアにゆくよりほかに道はなしと思います。北方は、冬の厳しさを思えばゆくべきではありませぬし、東と南はタールコの支配下に置かれ。オンガルリより西方諸国は安定し、かえって我らの居場所はないでしょう」

「なぜ西には、私たちの居場所がないの?」

 とニコレットが問えば、ソシエタスうなずいてこたえる。

「西は、オンガルリがタールコよりの侵攻を防ぐ防壁の役目をなした甲斐あり、平穏な暮らしを享受していると聞きます。これからはどうなるかわかりませぬが……。ドラゴン騎士団が反逆者として討伐されたという噂は、西方にも広まるでしょう」

 コヴァクスとニコレット、クネクトヴァとカトゥカは、肉を手にしたまま押し黙って聞き入っている。西方には、かつて西の大帝国の属州であった地域がそれぞれ独立し大小さまざまな国家群をなしている。これらの中の隣接する国々はタールコよりの侵攻を防いでもらいたいがために、オンガルリと同盟関係にあった。

「となれば、平和な暮らしを壊されたくないと、タールコとの戦いを避け和平案が起こり、あるいは我らをタールコの犬とでもして災いの種と忌み嫌い、捕らえようとするかもしれず。またこれに抗い流血の沙汰となれば、恨みが残るは必定。オンガルリに対しての印象も悪くなり。西側に新たな敵ができたとなっては、大龍公のご遺志を遂げても意味がないというもの」

 ソシエタスの話を聞き、コヴァクスはうーんと考え込む。

「でも、ウィーニアやソルティブルグ、ヴルノはやはり同盟国。真実を語れば、受け入れてくれるかも」

 とニコレットはもっともな疑問を呈した。同盟国である。実際に行ってみなければわからないではないか、と。

「その疑問はごもっとも。希望もあるでしょう。ただ、失望もありうるのです。大龍公のご遺志を、いちかばちかの博打のように扱うわけには、まいらぬのです」

「むしろ混沌とした旧ヴーゴスネアにゆき、どさくさまぎれに新たなドラゴン騎士団を作り直す方が、確実性はあるな」

「小龍公の言うとおりです!」

 ソシエタスはコヴァクスがうまく自分の考えを察してくれて、顔をほころばせた。コヴァクスも、汚名返上ができたと、すこし自信を取り戻す。

「どうせ危険は避けられぬ。旧ヴーゴスネアに跳梁跋扈する盗賊どもを退治するなどして、その地の民や王に恩を売れば、重く用いられて。一兵団でも貸してもらえるかもしれないな」

「あるいは、我らの剣にかけて、義勇兵を募ることもできましょう。それらを訓練し、新生ドラゴン騎士団とできる望みもあります。それも混沌としているがゆえに、できることなのです。なにより、冬を過ごす場所もみつかるやもしれません」

 幸いに、というのも妙な話だし、他国の不幸につけ入るようでもあるが、その方が確実性があり。またそれゆえに希望の光も強く輝くように感じられた。

「ただ……」

「まだなにかあるの?」

 ニコレットはコヴァクスとソシエタスの言葉を聞き、色違いの瞳を輝かせていたが。踏ん切りのつかないようなソシエタスにやや苛立ったようだ。

「まあ。ふたりをどうするか、という問題もありまして」

 とクネクトヴァとカトゥカを見つめた。

「この旅は危険極まりなく、まだあどけない少年と少女に耐えられるかどうか」

 なるほど、とコヴァクスとニコレットもふたりを見て。見られるクネクトヴァとカトゥカは、気まずそうにうつむいているが。

「連れて行ってください!」

 と、ふたりそろって言った。

「私は、ゴルドン神父から使命を託されたそのときより、すべて覚悟の上です」

「あ、あたしは、どうせ居場所なんかないし」

「居場所がない、というだけでは、連れてゆけぬよ」

 とソシエタスは、カトゥカに優しく諭す。クネクトヴァがともかく、どうしてこの赤毛の少女は着いてゆきたがるのだろうか。危険がよくわかっていないのか。

「で、でも、お願い! 連れて行ってください! 足手まといになりませんから……」

「でも、と言われても……」

「住み込みで働いてるところのご主人さまは意地の悪い人で……。いつもあたしを棒でぶって……。それに、もっと大きくなったら、身売りさせるって……」

「なんだって!」

 と声をあげたのはクネクトヴァだった。ある商人に孤児院から引き取られて、住み込みで働いているのだが……。

「お前、どこかに売られちゃうのか? 人をもののように売るなんて、なんてひどいんだ」

 身売りとは言うのは、男相手の商売をさせるつもりなのだろう。が、まだおさないクネクトヴァには、そのことがよくわかっていなかった。単にどこかの店の働き手として買われる、というくらいにしか想像できなかった。

 そんなクネクトヴァに苦笑しつつ、仮にも王都最大の教会管理の孤児院の孤児を引き取りながら、そんな下卑た真似をしようとするやからがいることが、コヴァクスとニコレット、ソシエタスには衝撃的だった。

(教会の威信も、落ちつつある……)

 思えばイカンシが王に近づいてから、妙に都の雰囲気がかわった。柄が悪くなった、というか。

 大きな教会管理の孤児院の孤児が引き取られる場合、しかるべきところが引き取り、大切に面倒を見るのが通例であった。それが、教会への帰順の意思表示でもあり、神の教えが浸透しているという証しであった。

 が、それが崩れつつあるようだ。 

 もともと欲深いイカンシは厳格な教会とはそりがあわず、もっぱら商人たちと、それもあまり根性の良くない商人とばかり付き合って、金銭や高価な品々を仲間内で増やしながら流し合っていたようだ。

 その中には、人身売買をする者もあったろう。

 最初こそは、それは隅っこに少しだけ浮かんだ染みだったろうが、イカンシが商人たちとともに欲を満たすにつれて、染みは商人から、召使いや労働者などの雇われ人に広がり、王都を侵蝕しつつあったようだ。

 クネクトヴァは知らなかった、ゴルドンは教会管理の孤児院の孤児が根性のよくない引き取り先により不当に売買されている実態を掴んで、その保護や対応に苦慮していたことを。

 弟子の少年に伝えるのは、俗すぎるため、伝えられなかったのだ。

 またその引き取り先が、イカンシとつながりがあることも、うすうすながら勘付いていた。

 そういうこともあって、エルゼヴァスの、悪魔祓いの儀式のときに、疑惑は確信へと変わり。ドラゴン騎士団に危機を知らせられたのだ。

 全くイカンシという者は、何を望んで生きていることやら、である。

「ここで見放されたら、あたしは、身を売るか流れ者になるかの、どちらかしかないんです。だから、つれてってください……」

「わかったわ」

 とニコレットは言った。同じ女性の身だから、というのもあるだろうが、クネクトヴァ同様狩りはうまく、またコヴァクスにきっぱりと啖呵を切ったりする気風のよいところがあるのが気に入ったのもあった。

「お兄さま、ソシエタス、この子は私が守りますから。一緒に行ってもいいでしょう?」

「わかった。好きにしろ。ただそう言った以上、最後まで責任を持って守れ」

「もとより承知ですわ」

 兄と妹のやりとりを聞き、カトゥカは涙を流してニコレットの手を握り、

「ありがとう、ありがとう、コヴァクス兄さま、ニコレット姉さま」

 と何遍も礼を言った。それを微笑ましげに、あるいはすこしものかなしげに、コヴァクスとソシエタスは見つめていた。

 危険に飛び込むのだ。よかったと言いきれることではない。かといって、このまま帰しても結局は不幸な人生しかない。

 この世には、そんな選択肢のない境遇に置かれた人もあることを、カトゥカを見てて改めて思い知ったのだった。

 ともあれ、話は決まった。善は急げで、五人は旧ヴーゴスネア目指し南西の方角へと駆けた。

「しばしの別れだ」

 と、コヴァクスは切なそうに山野にささやき。ニコレットはふるさとを思い出していた。

 秋深まり冬迫り、山野の木々は常緑樹を押しのけるようにして紅く染まりつつあった。やがて木の葉も落ちつくした裸木の上に、分厚い雪が覆って、雪化粧の銀世界を織りなすようになる。

 そんな少し未来の冬の景色を脳裏に描きつつ、頭上の太陽に見守られながら、五人はオンガルリの山野に対し、しばしの別れ、とつぶやきあっていた。

 まだ短い人生とはいえ、思い出のいっぱいつまった故国の山野を目にするのは、これが最後になるかもしれずとも。

 しばしの別れ、であった。


 

 さてカンニバルカ。

 オンガルリに急転、激変をもたらしたこの男は王の軍勢をまるで我が軍勢のように従えて、王都ルカベストに帰還したものだから。

 その混乱は容易に想像できた。

 国防の要ドラゴン騎士団は実は反逆者だった、と王はこれを討伐したはいいが。いや実はそうではなく、あれは下心あったイカンシのでっちあげだったという新事実が都を駆け巡った。これだけでも混乱ものなのに、さらに、イカンシは軍勢を従えて帰還したカンニバルカという謎の男によって討たれ。

 王と言えば、己の器を思い知って、後のことはすべてカンニバルカにまかせて、物好きを引き連れドラグセルクセスへ首の押し売りにいったという……。

 マーヴァーリュ教会のゴルドンも、さすがにこの急転ぶりには目が回る思いであった。

 ドラゴン騎士団の捕虜からことの次第を聞いたカンニバルカが、教会に赴きゴルゴンに面会を求めた。

 その容貌魁偉さに驚きつつ、只者ではないことも見抜き、ゴルゴンは覚悟を決めてカンニバルカと会ったが。

「餓鬼どもはしぶとく逃げた。死者の葬儀を頼む。また、以前のまま、民に安らぎを与えよ」

 と、まるで王のように命じながらも、その一言だけで終わったので拍子抜けする思いでもあった。

 が、運ばれてきたドラヴリフトの変わり果てた姿にはさすがに涙はこらえられず。妻エルゼヴァスと同じ墓所に手厚く弔うとともに、コヴァクスとニコレットの無事を、弟子のクネクトヴァの活躍を祈らずにいられなかった。

 イカンシは、これもやはり手厚く弔った。奸臣であったとはいえ、死者に鞭打つは人のすることではないと。

 オンガルリ王国の運命の歯車は大きく動いていた。

 女王ヴァハルラは、カンニバルカと会い、事の次第を打ち明けられると卒倒し、侍従たちは大慌て。

 無理もないことであった。

 王のことはもちろん、カンニバルカはドラゴン騎士団なきオンガルリ王国の無力さを説き、ドラグセルクセスに臣従を誓う使者を出すように言ったのだから。

「もはや、これより他に道はありませんぞ」

 と、カンニバルカは確信をもって言った。さらに、

「かつてのドラヴリフト卿の所領を所望したい」

 とまで言った。

 どうにか気を取り戻した女王は、完全に心を挫かれ、

「王にすべてを託されているのなら、お好きなように」

 と投げやりなことを言って、奥へ引っ込んでしまった。

 早速カンニバルカは王宮を取り仕切り、タールコへ使者を派遣し。自らは、文官につくらせた任命書を片手に、かつてのドラヴリフトの領地である、ヴァラトノに向かった。

 ヴァラトノはルカベストよりおよそ百キロの西南方向にある地方で、ヴァラトノ湖という大きな湖を擁して風光明媚な、漁業の盛んな地域であった。

 ヴァラトノには、湖は人にすべてを与える、という箴言があり。人々は湖とともに生きてきた。

 ドラヴリフトはこの地を治める貴族であり、私兵を持つことを許されこれを訓練し、ドラゴン騎士団を結成した。

 ここにはマジャックマジルというドラヴリフト配下の将校が代官として、少数の留守居役の兵士とともにヴァラトノを治めていた。無論彼はドラゴン騎士団の団員であり、代官を任せるだけあり、良識と勇敢さを兼ね備えた初老の人物だった。

 余談ながら、マジャックマジルは、珍しい名前であった。

 というのも、オンガルリ王国は建前こそ西の大帝国の属州であったが、そこに住む人間ははるか東方より来たりて土着した遊牧民族、マジャクマジール族を祖とする言い伝えがあった。

 土着といっても、現地人を追い払っての侵略であったかもしれないが……。

 ともあれオンガルリ人は民族的には、マジャクマジール族を称しており。このドラヴリフトの代官は民族名をもととした名前としてつけられていた。

 といっても、それから長い年月が経ち、ニコレットの瞳がしめすように異民族との混血も多々あり純血が残っていることはまずないだろうが……、オンガルリ王国を祖国とする者は、マジャクマジール族を称するのであった。

 小さく質素ながらも、小奇麗な湖畔の館が、行政庁舎を司り。またそこはドラヴリフトの住み家でもある。

 その館にて、マジャックマジルはカンニバルカがヴァラトノに来て、任命書を突き出すのを見て。

「ついに、この時が来たか」

 とため息をつき、女王と同様、

「お好きなように」

 と言った。

 ドラゴン騎士団の壊滅は、すでに聞き及んでいた。その時点で、自分の人生も終わったと覚悟を決めたが。

「じいさん、あきらめるのは早い。小龍公と小龍公女は、まだ死んでおらん」

 とカンニバルカは何を思ってなのかそう言った。

 小龍公と小龍公女はまだ死なずとはいえ、死なずだけでは気休めにもならないと、憮然としたが。

「お前さん、付き合いが長いのに、ふたりを信じておらんのか」

 などと言うものだから、開いた口がふさがらなかった。

 この男、何を考えているのやら、皆目見当がつかぬ。

 そのとらえどころのなさに、マジャックマジルは当惑し、歴戦の勇士らしからず怖さまでおぼえた。

「オレは、小龍公と小龍公女には、けっこう期待しておる。何かをしでかすかもしれぬ、と楽しみにしている」

 人の気も知らずのん気に笑うカンニバルカは、マジャックマジルの肩をたたき。

「その何かが出るまで、ここで厄介になる。じいさんには、是非とも統治の仕事を手伝ってもらいたい。頼んだぞ」

 と言って。

 マジャックマジルはまさに夢の中にいるような心地で。地元にいながら、心の方は、知らない土地を彷徨っているようだった。

 いや、それはオンガルリ王国の人民すべてが、そうであったかもしれなかった。

 短い間に、王が、ドラゴン騎士団が、まるで悪魔に連れ去られたように消え去り。入れ違いに得体の知れぬ男が現れて、王国を我が物顔で闊歩する。

 そんなことは、三百年以上続くオンガルリの歴史始って以来はじめてのことで。その歴史は、もうすぐ閉ざされようとしている。

 我が道をゆくカンニバルカはやはりというか、人々の心彷徨うのを横目に、館のベッドの上でさっそくいびきをかいていた。

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