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笑っていただけでした

――それから、一ヶ月近くが経っていた。


 


「ちょっとー! あんた皿洗いもできないの!?」


 


店の奥から、甲高い声が響く。


 


「片付けとか苦手でー」


 


悪びれもせず返す声。


 


「苦手もクソもないのよ!」


 


ばしん、と音を立てて皿が置かれる。


 


「見て! このお皿! 汚れも落ちてないし、なにこの拭き方! 不細工!」


 


「すみません」


 


ノエルはあっさりと頭を下げる。


 


けれど。


 


その口元は、わずかに緩んでいた。


 


 


「……ったく」


 


店主――もとい、“姐さん”がため息をつく。


 


そのまま、ぐつぐつと煮えている鍋からスープをすくい、器に注いだ。


 


「ほら」


 


ずい、と差し出す。


 


「どう?」


 


ノエルは受け取り、一口飲む。


 


間。


 


「……味、わかりません」


 


 


「なんですってぇぇぇぇ!?」


 


 


店中に響く絶叫。


 


 


「こんなに美味しいのに!? 人生損してるわよアンタ!!」


 


 


「あのー」


 


 


「“あの”じゃない!」


 


 


びしっと指を突きつけられる。


 


 


「姐さんとお呼び」


 


 


「……姐さん!」


 


 


満足そうに頷く。


 


 


「なあに? 子豚ちゃん」


 


 


「こ……ぶた?」


 


 


ノエルが目を瞬かせる。


 


 


「そうよ。食べられないくせに、賄いだけはしっかり食べるんだから」


 


 


「食べてないですけど」


 


 


「食べなさいよ!!」


 


 


間髪入れずに返ってくる怒号。


 


 


店の空気が、ぱっと明るくなる。


 


 


 


カウンターの端。


 


 


ルークは、今日も椅子に座っていた。


 


 


何もせず。


 


 


ただ、座っているだけ。


 


 


「イケメンはそこに座ってなさい」


 


 


最初にそう言われてから、ずっとだ。


 


 


「それだけで客が増えるのよ。動かないで」


 


 


謎理論。


 


 


結果――


 


 


本当に、客は増えた。


 


 


「……意味がわからない」


 


 


ぼそりと呟く。


 


 


だが、止められることはなかった。


 


 


 


「ちょっと!!」


 


 


再び、店の奥から声が飛ぶ。


 


 


「あんた!!」


 


 


ノエルがびくっと肩を揺らす。


 


 


「なんで賄いがじゃがいも料理なのよ!!」


 


 


ばん、と鍋の蓋が閉められる。


 


 


「これで連続十日目じゃない!? ぶくぶく太るじゃない!!」


 


 


「姐さんは太っても素敵ですよ」


 


 


即答だった。


 


 


一瞬の静寂。


 


 


「……うふんっ、そぉー?」


 


 


頬に手を当てる姐さん。


 


 


「って違うのよバカ!!」


 


 


ノエルの頭を軽く叩く。


 


 


「調子乗るんじゃないわよ!!」


 


 


「いたっ」


 


 


それでも、ノエルは笑っていた。


 


 


声を上げて。


 


 


心から。


 


 


 


その笑い声が、店の中に広がる。


 


 


軽くて。


 


 


明るくて。


 


 


どこか――懐かしい音だった。


 


 


 


ルークは、何も言わずそれを見ていた。


 


 


 


こんなふうに笑うノエルを。


 


 


 


どれくらいぶりに見ただろうか。


 


 


 


胸の奥が、わずかに緩む。


 


 


 


――だが。


 


 


 


ふとした瞬間。


 


 


笑い終わったあと。


 


 


ほんの一瞬だけ。


 


 


ノエルの表情が、空白になるのを。


 


 


 


ルークは、見逃さなかった。


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