一章 蠱獄 八丁
「鈴に面……ッ――間違いない…ッ!!」
坂田の足下で丸くなっていた老人は顔面を蒼白させ、大口を開けて恐怖で顎を震わせながら鬼面男を指差す。
「ひぃいい !! 其奴じゃぁああああ !! 其奴が皆を殺したのじゃああああーッ !!」
唾を撒き散らし目を血走らせ、坂田の右足に縋り付いて乱心する老人の言葉が引き金となったのか。鬼面の男は刀を握った姿勢で、一気に駆け出し攻勢をかけた。
坂田へと真っ直ぐに迫り来る鬼面男の前方には、配下の男達が主を護るために壁となって遮り。万雷が鬼面の男へと飛び掛かり、薙刀を振り下ろした事で、鬼面男の進行は阻まれた。
万雷の一撃を、鬼面の男は刀を鞘に納めたまま鍔で受け止め、互いに一歩も引かず競り合いは力比べの形となった。
「貴様が元凶かッ !! 妙な気配がしよるわ !! 貴様、鬼か !!」
剛力で鬼面男を橋まで押し返した万雷は男へ吼え。片腕で重い一撃を凌ぐ鬼面の男は、万雷の怒声を鼻で笑った。
「それでも儺斬か。 程度が知れる」
「おのれ !! 侮辱は許さん! 鬼がッ !!」
挑発に近い鬼面男の言動に万雷は怒り、薙刀へ余力のあった力を込めると、更に男を橋へと押し返し、力を押し込まれて体勢を崩した鬼面男へ、薙刀を叩き付けた。
しかし、鬼面の男は簡単に身を翻しそれを躱すと、前方に傾いた万雷の左足に己の片足を引っ掛け、動きに一切の無駄なく足掛けを繰り出した。
足を引っ掛けられた万雷は、前のめりに体勢を崩し蹌踉めいたが、何とか体の平衡を保ち転びはしなかった。
だが男へ隙だらけの背を晒したその様は、いつ何時背に刀を突き立てられてもおかしくはなく。勝敗は決したが、鬼面の男は万雷の背を斬る事はせず、左腕で万雷の薙刀の柄を掴むと、寄越せとばかりに引き寄せた。
前方に傾いていた体が、更に前方へと引っ張られた事で、万雷の体は容易く俯せに倒れ。万雷から奪った薙刀を鬼面の男は、片腕で器用に柄を扱い、肘と脇を滑らせ弧を描いて持ち直すと、反撃をされぬよう万雷の背を軽く踏み付けた。
「万雷 !! ――貴様ッ!!」
そのまま薙刀で首を獲られかねない万雷の危機に坂田は殺気立ち、救援に急ぎ向かおうと帯刀している2本の内、黒鞘の刀を引き抜いた。
そして、配下を救うために走り出そうと地を蹴った坂田だったが――突如抗えぬ程の怪力で何者かに後ろ首を力任せに引かれ、坂田の小柄な体は盛大に後ろに傾き、左足は宙を掻いた。
後方へと身を引き寄せられるその一瞬に、視線の合った万雷の顔は強張り、目は見開かれ、大口で何かを叫ぼうとしている。
「若ァッ !!!」
坂田の背後を見て、叫ぶ万雷を切っ掛けに、配下達は漸く坂田の異変に気が付いた。
首巻が喉を締め付け、何者の仕業かと振り返った坂田の目に。口角の皮膚が裂ける程の大口を開き、坂田の喉元へと喰らい付こうとする老人の姿が飛び込む。
鬼面の男を警戒するあまり、坂田の背後が手薄になっていた事を悔いる間もなく。配下達は坂田を救おうと駆け出したが、既に首の皮膚に歯牙が迫るこの状況では、反撃が間に合う筈はない。
坂田は自身の喉が裂かれ、命尽きるであろう最後の瞬間まで老人を睨み付けた。
©️2025 嵬動新九
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