一章 蠱獄 七丁
濃霧の中から不気味に鈴の音が響き渡り、その一定の節奏で鳴り響く鈴音は、人が歩く足拍子なのだと、一同は次第に気が付き始めた。
そして橋板を踏む足音と、太鼓橋を覆う濃霧には、縦に伸びる黒影が浮かび上がり。悪戯にも一瞬荒らかに吹き付けた秋風は、橋に積み重なる落ち葉と霧を吹き飛ばし霧向こうの、鈴の音を奏でる者の正体を突然明かした。
自然の風が気まぐれに決めた意外な訪れと、突如霧から現れた者の姿に、坂田一同は息を呑んだ。
舞い散る紅葉と風に怯む事なく、濃霧から姿を現したのは。
脹脛 まである長い漆黒の合羽を翻し、顔には朱塗りの鬼面を付けている細身で長身の男。
鈴を鳴らしているのは間違いなくこの男であり、肩に垂れ下がる白犬の毛皮の首に赤い紐が蝶結びで結ばれ、その首輪に繋がれている2つの鈴から音色が発せられている。
霧が落陽の夕焼け空を薄らげ、紅葉が幻想的に散る最中。
男の面相を隠す鬼面の細工は牙を剥き恐ろしく、合羽に縫い付けられた覆いを目深に被った男は、一歩また一歩と此方へ向かって来る。
木々が擦れる美音と、川音だけの静寂に響き渡る鈴の音は底気味悪く。
太鼓橋を渡る妖しい風体の男と、見見うちに距離が縮まっているにも関わらず、坂田一同は総毛立ち、鬼面の男に見入り動けずにいた。
橋の中心辺りに差し掛かった鬼面の男を、未だ絶句して眺める仲間を掻き分け、主を護ろうと万雷は薙刀を構えて一番先頭へと躍り出た。
「何奴ッ !! そこで止まれ !!」
空気を震わせ威嚇する万雷の大声に、鬼面の男は素直に歩みを止めた。
万雷の怒声を聞けば大抵の人間は逃げ出すのだが、この男はゆっくりとした身のこなしで地に屈むと、橋板に己の掌を誰かの手形に合わせる様にそっと触れる。
少しの異変も感じずに、この橋を再三渡った坂田達には、鬼面男のこの奇怪な所作は、まず理解出来ないだろう。
しかしこの男の眼には、橋板に血を擦り、力任せに引っ掻いて焼き付けたかの様な、異形の鬼の手形がしっかりと捉えられていた。
やがて男は、橋板から長い指先を離し顔を上げると、坂田一同をゆっくりと順に見渡し始める。
面を着けているため男の表情は読み取れず、その真意が測れない坂田は眉を顰め、取り敢えずはこの男の出方を窺うしかなく。いつ何時も男の急襲に備えられるよう、全員が刀を持つ指先の力を強めた。
寸刻と待たず、淀みなく動いていた鬼面男の首が、突如静止する。
その眼差しは坂田に向けられ、その姿を捉えるや否や、刀に指を掛けて立ち上がり、男は足早に歩き出した。
先程の緩やかな調子を一変させ、歩を早め坂田へ迫り来る鬼面の男に、配下達は急いで陣形を崩し、坂田と男の間に素早く立ち塞がる。
「ええい !! 止まれと言っているのが分からんのか !!」
一番前に躍り出て、薙刀を構え万雷が牽制していようとも男は歩を緩める所か、前に身を少し屈め、抜刀の構えで此方へと迫って来る。
左腕で柄を握る鬼面の男が橋を渡り切ったと同時に、坂田一同は一糸乱れずに鞘から刀を引き抜いた。
©️2025 嵬動新九
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