三章 十一丁 酔えぬ相酌
目の前に飴を差し出され気が逸れた童は一瞬泣き止んだが、飴とネイの顔を見比べると瞳には再び大粒の涙が溜まってゆく。
『 よ…良かったね!いっちゃん!綺麗ね~!それに美味しそうよ~!』
娘は無理に笑顔を作り、童を宥めようと飴を見て大袈裟に感嘆の声を上げた。
通りを散策した折、精巧な飴細工に感動し屋台に心奪われるネイに 白影 が買ってやった物なのだが、ネイは惜しまず童に飴を握らせた。
童は涙を溢したが泣き声は出さず、しゃくりを上げながら飴を受け取り、美しい鶴の羽に見惚れた。
『 いたい !! 痛いよぉ~!! 』
童が落ち着いたところで傷口に酒を掛け、蓬の粉を施したのだがそれが傷口に沁み、童は又もや泣き出した。
『 とし… 』
暴れる童の脚を膝に乗せ、器用に処置をしながらネイは横の娘へ拙い言葉で尋ねた。
治療の光景を童に見せぬ為に、被せた羽織が落ちぬよう裾を押さえていた娘は、突然話し掛けられた驚きで背筋をぴんと伸ばした。
『 え…!? とし…? 齢のこと? ――えっと…もう六つよね!いっちゃん!』
娘は動揺しながらもネイの意図を汲み、きちんと質問に答えた。
姉が頭を撫で優しく涙を拭いてやると、一六という名の童は次第に気を静め、しゃくり上げて頷いた。
『 …うん 』
そして童は、涙を流しながらも飴を舐め始める。
『 来年は七つのお祝いしなくちゃ! いっちゃんが好きなもの作ってあげるわね!』
姉の励ましもあってか童は少し機嫌が直った様子で、貰った飴を食み、舌で遊んでいる。
気を紛らわす事に雑談が有効な為、ネイは包帯を握った手で童の背を指差し、問いを続けた。
『 それ… 』
童の背に負う派手な模様の凧を見て、何に使うのかと首を捻るネイへ、気の利く娘がすかさず返した。
『 イカのこと? いっちゃんはイカ揚げが得意よね! いっちゃんより高く高く上手に揚げる子は中々いないって評判なのよねー! おねえちゃん鼻が高いわ~ 』
娘は弟の為にひたすら明るく振る舞いご機嫌を取ると、童は遂にひくっと口の端を上げた。
凧揚げで馴染みの遊具は、この時代ではイカノボリと呼ばれており、子供の成長を願い邪気払いが込められた遊びは、正月節句を問わず盛んに行われ、当時の人々を熱狂させた。
時を経るにつれ次第に大人の遊びとなり喧嘩や事件が頻発した為、後に幕府によってイカ揚げは禁止されてしまうが、人々はタコと名を変え、後生まで脈々とこの遊びを楽しむ事となる。
こうした人々の頓智も、この国の面白い風習であり、イカノボリが何故タコと呼ばれる事になったのかは、ちょっとした 一口話 である。
会話を終えてすぐ、ネイは童の脚に被せていた羽織を外し、治療道具を素早く片付けた。
童の脚には包帯が固く巻かれ、血も滲まぬ程しっかり止血がなされており、たった数分の会話のうちに治療を済ませたその手際の良さに、娘は目を見張った。
『 え…!! いつの間に !! 』
道具を片付け、それらを脇に抱えてそそくさと立ち上がったネイは、去り際に童の頭を撫でそっと囁いた。
『 え…らい 』
ネイは肩越しに微笑み、唖然とする人々の脇を通り抜け、気恥ずかしそうにその場を去って行った。
『 …あ…りがとう… 』
泣き腫らした目で呆然と呟いた一六の声で、娘ははっと我に返り、ネイの背に向かって大声を張り上げた。
『 ありがとうございます !! また来てください !! お礼を…!! そのっ――…ありがとう !! 』
周囲の人混みに食い入るように見られ、少々落ち着かないネイは娘を振り返る事はなく、俯いて人の波を擦り抜けた。
そして先程腰掛けていた長椅子に白影の姿がない事に気が付くと視線を彷徨わせ、高台の下り道の口でネイを待つ白影の姿を見付けた。
白影はすでに 勘定 を済ませ、見守るような優しい笑みを浮かべネイを見詰めている。
ネイは小走りで白影に合流すると羽織を被り直し、その背をよくやったと労うように白影は叩いた。
そうして店を後にした二人は、この日はもう一軒他の店で酒を愉しんだのであった。
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