三章 九丁 酔えぬ相酌
掌で顔を覆い、何かに怯えそれを拒むよう何度も首を振るネイの姿に、 白影 は一時言葉を失った。
『 わぁお客さん、怪我なぁい?』
そこへ酒屋の娘が小走りで駆け付け、割った湯呑を使い古した手拭いに集めて取り遣る。その作業をしながらも、割れた陶器で客が怪我をしてはいないかと、ネイの足や掌を気遣わしげに盗み見ている。
看板娘に話し掛けられたが詫びの仕方もわからず、ネイは羽織の裾をますます引き寄せ顔を隠し、娘に容姿を悟られぬよう首を逸らした。
非礼とも取られかねぬネイの所作にも娘は嫌な顔一つせず、割れた湯呑を素早く片付けながら『気にしないでね』とネイへ囁いた。
『 すまんのぉ。これで許してくれるか?』
申し訳ないと白影は眉を下げ、娘に銭を手渡した。
花弁のように指を開き、掌に乗った銭を目にした娘は、白影に困った笑みを返す。
『 多すぎます。でもあんがと。おまけするからさ、まだ帰らないでね 』
娘は柔やかに言うと銭を大切そうに握り締め、手拭いを拾い上げ店へ戻って行った。その途中、外でひとり遊びをしていた幼い男児が娘へ近付き、強請るように娘の前掛けを引っ張った。
『 ねぇちゃんあそんでー 』
『 はいはい、後でねー 』
娘が慣れた調子で子供の頭を撫でると、男児は大人しく前掛けを放し姉の言うことを聞いた。そして童は、背中に負っていた凧を掲げて周囲を走り回り、再びひとり遊びに没頭した。
姉弟の絆を感じさせる光景を盗み見て、白影の口元は自然と微笑んでいた。
娘が離れた事で、ネイは羽織からすまなそうな顔を覗かせ白影を見詰めた。
『 気にするな。わしが踏み込み過ぎた 』
励ますよう穏やかに言った白影は、酒をもう一口煽ろうと猪口に唇を付けたが思い留まり、閉じられた瞼をそっと開いた。
『 いや…。訊かねばなるまいな。…――あの鬼は?』
白影の追求を受け、更に視線を落としたネイの顔には深く濃い陰が差した。
朱鍔の刀が見せたあの悍ましい鬼の姿は、今も鮮明に二人の脳裏に焼き付き、蠢いていた。
『 主がこの国に拘るのは、その刀で奴を討ち果たす為か?』
猪口を盆へ戻し白影は尚も質問を続け、ネイの覚悟を推し量るように見詰めるその眼差しは真剣だった。
幾度記憶を辿ろうとも、その度にあの鬼が追憶を妨げ何も思い出すことが出来ず。記憶も己の心根すらも定かではないが、あの鬼を止めなければ――そう駆り立てる心がネイの首を頷かせた。
『 …主は聡い。鞘から抜かずとも、その刀の真価にもう 心付いておる 』
少し間を空けた後に白影は切り出すと、 黒漆 の鞘に納刀された朱鍔の刀へ視線を移した。
『 並みの刀で鬼を狩れる強者など極僅か……。鬼の快癒を上回る剣技や刀など、主が持つ鬼打ちの刀を除いてはそうあるまい 』
白影は脇に立て掛けてあった己の刀を取り、ネイと重なり合う目線まで真一文に刀を持ち上げた。
片腕に握られた深緑色の鞘は、光を受ければ金粉が微かに光沢を放ち、鞘全体を星雲の如く煌めかせたが――刹那に消え失せ、鞘は深い暗色へ回帰する。
一部朱鍔の刀と同じ装飾が施され、燻されたような色味の金で飾られた控え目な美しい拵は、刀の貴重さや芸術的価値を更に高めているだろう。
『 わしの持つこの 緑伏 と主の持つその 斬瞑天月 は…、主たる力なくば灰へと葬り……荒ぶる魂を鬼へと転ずる曰くの刀… 』
深緑色の刀越しから瞳を覗かせ、白影は更に言葉を繋いだ。
『 奴に刃突き立てるその前に…――五鬼刀はお前を喰らうぞ 』
斬瞑天月という号を有する朱鍔の刀を見詰め、ネイは白影の言葉にじっと耳を傾けている。
『 使うな。同じ五鬼刀を持つ者として…、わしが言えるのはそれのみだ 』
白影は緑伏と呼んだ己の刀を再び長椅子へ立て掛け、自身が述べた言葉の重みが伝わったか見定める為、今一度ネイに視線を向けた。
ネイは目を伏せているが、白影の話をしっかり落とし込み、今後の生き様やその果てを 熟慮 している様子であった。
ある程度の時を、結論が出るまで静かに見守っていたが、白影は 徐 に掌をネイへ差し出した。
『 わしに任せてはくれぬか?』
刀を預けるよう促す穏やかな白影の声遣いからは、心から友の身を案じ、ネイの意志を尊重しているのだと窺い知れる。
だがネイは刀を手放さないと示す様に朱鍔の刀を強く握り締め、見るからに落胆の色を浮べた白影に少しでも深謝の思いを伝えるため口を薄く開いた。
しかしその直後、壺が割れる盛大な音と、童子の泣き声が鳴り響き、ネイと白影は酒屋の方角へ首を向けた。
©️2025 嵬動新九
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