一章 六丁 朱塗りの太鼓橋
「若、お覚悟なさりませ。これまでと様子が異なって見えまする。敵はおります。 常に我らの喉元に」
「ああ」
鳥什丸の眼差しを真っ直ぐに受け止め頷く坂田に、周りの配下達は気を引き締め直し、より一層辺りを警戒する。
そして坂田は、普段と変わらず緊張とは無縁だとばかりに、薙刀を素振りしている万雷の背に声を掛けた。
「万雷。 主の言う妖の仕業に間違いはないようだ」
兼ねてから主張していた自分の意見が受け入れて貰えた高揚感からか、薙刀を構え直し得意げに万雷は振り返った。
「どうも鬼が絡む匂いがしてきましたな。 長年の鬼との死闘により鼻には自信がありまする」
「どうもその鼻、頼らざるをえんな」
万雷の意気揚々とした姿に、少し口角を上げた坂田だったが、何かを思い出したように眉を顰め、悔し気に歯を食い縛った。
「ちっ…妖如きに謀られ。 軍議に遅参など儺斬衆 摂津守禦、坂田の名折れよ」
独り言のように愚痴を吐き出した後、坂田は配下達の顔を見渡し、堂々とした威風で命じる。
「明け六つまでにけりをつける。 者共、戦いに備えよ!」
「はっ !!」
坂田の一声に総員が声を揃えて応え、それぞれが己の役割に応じて散開し、戦の準備に取り掛かった。
日暮れまでに集まる手筈であった仲間を迎えに行く為に、どんな危険が襲い来ても対処が出来るよう、一同は念入りに装備を整える。
馬に積んでいる荷を降ろし、槍などの戦道具を配る者や、緩めていた防具の紐を締め直して戦いに備える者がいる中。やはり万雷だけは、大した備えもせず、己の薙刀の刃をただ眺めている。
共に過ごす時が短ければ、万雷の所作一つ一つに不真面目な印象を持つであろうが気を害す者はおらず、主である坂田でさえ、特に気にした風はなかった。
「それから万雷。 妖など恐るるに足らぬなどと、九条殿の前では慎め。 よいか、あの女子は鬼よりも恐ろしいぞ」
冗談めかさず、あくまで真面目に忠告する坂田を見て、万雷は大袈裟にしゃんと背筋を伸ばし、きっちりとお辞儀をする。
「心得まして候」
そうして冗談を交わしていると、忙しなく働いていた配下達の動きは静止し、辺りは不意に静まり返った。
場の空気が張り詰め、不思議に思った坂田と万雷は辺りを見回した。そして、静寂の原因を目の当たりにする。
「馬鹿な…霧だと…?」
何処から蒸気したのか。一同はすでに白い霧に覆われ、天高く広がる銀杏の枝は、もはや霧に隠され見えなくなっている。
霞み棚引き、段々と濃くなってゆく霧に、一度呑まれれば神隠しに遭いそうな不穏から、配下達は揃ってゆっくりと坂田の元へ後退し、腰の刀に指を添えた。
先も見えぬ濃霧に目を細め、坂田も己の刀柄に指を掛け、刀の感触を確かめている。その真横で万雷も薙刀を構え、険しい相形で霧を睨んだ。
誰も声を発さぬ緊張の最中に、老人は更に乱心した様子で奇声を発し、坂田の足下で頭を抱えて蹲る。配下達は足音も立てずに、主を囲い防衛の陣形を完成させた。
――幾分、時が経っただろうか。
神経を研ぎ澄まし、辺りを警戒していた坂田の耳に、澄み渡るような美しい音色が聞こえた。
微かに耳に届いた程度の微音を逃さず、坂田は首を左右に動かし音の出所を探る。他にも音色を聞いた者がいたのだろう、数人の配下達も視線を彼方此方に向け始めた。
やがて全員が忙しなく首を動かした頃合いに、坂田は赤い太鼓橋に体を向けると、刀を握ったまま橋を睨め付け身構えた。
坂田が動いて漸く、配下達は音の方角と、徐々に大きく鳴り響く鈴の音が――此方に向かい来る何者かが奏でているのだと察する事ができた。
悲鳴を上げて地を這い、太鼓橋から逸早く逃げる老人と共に、一同は陣を組んだまま後退り、橋から遠ざかる。
太鼓橋を覆う霧の中から響く鈴の音は、その美しい音色を一同の恐れを煽るかの様に、霧の向こうから鳴り渡らせた。
©️2025 嵬動新九
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