一章 蠱獄 五丁
「……鈴の音がぁ……鈴の音がぁ…」
大勢に囲まれ、護られているとの安堵から、心に余裕が生まれたのか、老人は喉の奥からやっと塩辛声を振り絞った。
「鈴の音…?」
予想だにしない老人の発言に、坂田は顔を顰め次の言葉を待ったが、老人が発するのはそれ以降呻き声ばかりで、見開いた眼球は血走り、視線は泳ぎ。両腕で掻き毟った白髪は、はらはらと老人自身の膝へと落ちて行く。
老人は口を閉じる事なく顎を震わせ、狂乱した様で何度も同じ言動を繰り返すその姿に、一同は諦めと落胆を浮かべ、それぞれの顔を見合わせた。
「鈴の音……」
弱り果てた老人から、これ以上を聞き出す事は不可能だと誰もが諦める中、坂田は老人の溢した鈴の音という言葉の意味を、空言とおざなりにはせずに、独り考え巡らせている。
俯き思い倦ねる坂田に、鳥什丸はこれまでの老人の様相を、掻い摘んで話し始めた。
「気が触れたのでしょう。考え及ばぬ狂言を幾度も繰り返すのです。 先程まで暴れては奥間から出て来ぬ次第で……、ここまで同道させるのに随分手間取りました」
鳥什丸はその時の苦労を思い出したのか、神妙な面持ちで坂田へと溢した。
無人の村を永劫に彷徨う、この怪異を解く糸口が得られるとの期待が大きかった分、自分達は今後どう道を切り開けば良いのかと一同は思い悩み、低い唸り声となって、押し殺していた感情が思わず漏れ出した。
しかし、気を落とす仲間を余所に、気の短い万雷はやせ細った老人の両肩を掴むと、乱暴にその肩を前後に揺らし始めた。
「しっかりせんか! 何があったのだ !! 鈴だけでは何も分からん !!」
「ひっぃいいい !!」
「よさぬか万雷 !! 傷心されておるのだ」
首が前後に激しく揺れ、目を回して悲鳴を上げる老人を見て、慌てて坂田は万雷を老人から引き剥がした。そして、頭を抱え震える老人の背を、坂田は優しく摩り老人を落ち着かせる。
「奴が来るぅう……恐ろしいぃ………。 くわれ……喰われとうないぃぃぃ…!! 面の化け物ぉ……っ」
万雷の手荒な扱いで、更に気を動転させた老人は、歯を鳴らし切れ切れに譫言を呟き。その姿を坂田は気の毒な面持ちで見詰めた後、鳥什丸を見上げ尋ねた。
「外に通ずる者はおらぬのか?」
「残念ながらこの老者だけです。 集ふは我等が最後で?」
坂田の問い掛けに、他に村人はいなかったと気を落とした様子で答えた鳥什丸は、次に一頭のみ馬を連れた隊列を眺め、残りの仲間達の所在を坂田へ問い返した。
成り行きを知らぬ鳥什丸へ、坂田は痛ましい老人の背を摩り、励ましながら会話を続ける。
「戌亥側がまだ戻らん。 同じく手間取っているのだろう。 総出で迎えに行くぞ」
仲間の所在を伝えた後に、坂田は姿勢良く立ち上がると、配下達の顔を一人一人眺め、今後の動きを命じた。
調査に赴いた仲間達と合流するという坂田の提案に、家臣達の返事は纏まりがなく揃ってはいないが、全員それが妥当だと納得した表情で主を見詰めている。
だが変わり者の万雷だけは、腕を組み、髭を撫でては、何か善からぬ事を考えている様子である。
「先に出口を見付け、逃げたのではないか? ワシならそうする」
「その様な不届き者は我が隊にはおらん。 貴様を除いて」
坂田を見下ろし、口角を上げて大胆に歯を剥き出して、自慢げに笑みを浮かべる万雷を視界にも入れずに、坂田は淡々と吐き捨てた。
仲間を裏切る言動を聞いて、明らかに機嫌を損ねた坂田を見ても、万雷は悪びれずに肩を竦め、見かねた鳥什丸は万雷へと苦言を呈した。
「…万雷様。 如何な手段を用いても、この村からは何人も罷り出る事は叶いませんでしたよ」
いつもこうして悪態を吐き合う二人のやり取りに、鳥什丸は度々眉を下げるのだが、その表情には苦はなく口元には笑みを浮かべている。不心得な言動が多い万雷を窘められるのは、少年と主である坂田くらいのものであり、誰が決めた訳でもないが、坂田が憤慨せぬよう万雷を優しく諭すのは、いつしかこの少年の役割になっている。
仲間内で最高齢である男が、最も若齢である少年に諭された訳だが。万雷は恥ずかしげもなく『そのまさか』とでも言いたいかの様に、鳥什丸へ得意げに眉を上げた。
万雷のいつもの冗談半分な調子に苦笑する鳥什丸だったが、視線を坂田に向ける一瞬の間には、柔らかで温かみのある面立ちは引き締まり。その顔には戦場に身を置く者の覚悟を宿していた。
©️2025 嵬動新九
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