二章 三十二丁 古手屋
家屋の間を通る露路は影を落とし、その暗い狭路を歩いて、碧眼の男は裏通りへ出た。通りは賑わっていないが、数軒古びた商店が民家と入り交じって疎らに店を構え、商いに興じている。
碧眼の男は狐面の狭い視界から、店々の看板を眺めた。
商店の壁に掛かる掛看板や、客の目に付くよう路地に置いてある箱型の立て看板などを通り過ぎ。男はやがて、一軒の屋根看板を見付け動きを止めた。
この裏通りでは、一番大きな商店であろう家屋の上部に、"古手屋 長兵衛"と書かれた巨大な木製の看板が取り付けられており。その長方形の看板の底部には、碧眼の男の帯に垂れ下がる小さな木製の板と同じ物が、紐で吊されている。
掌に収まる程の大きさの板は、一見割符のようにも見えるが、看板に垂れる木板とは異なって、男の持つ板には記号が掘られ、一部傷や小さな丸い穴が開けられている箇所があった。
碧眼の男は、慣れた足取りで古手屋へ向かい、迷わずその暖簾を潜った。
店の内部は外観よりも奥行きがあり、品物が数多積み上げられていても圧迫感はあまり感じない。
男は店内をぐるりと見渡すが 商店主 の姿はなく、客が一人も居ないため奥へ引っ込んでいるのだろう。自分が待つ事にはなるが、男は大声で店の者を呼び付けずに、人の居ない静まり返った店内を、暇潰しに見物しようと決めた。
男に付き添う犬神は、こうして訪れた暇を観覧で紛らわすのは珍しくないため文句は言わず、眠気に誘われ男の肩の上で大きな欠伸を一つした。
この古手屋の品々は、生活に用いる土瓶や化粧鏡など、日常に欠かせぬ古道具などが並んでいるが、品物の殆どが古着である。
繕いを解かれて積まれた反物や、様々な和柄の着物が折り重なって陳列され、小袖や雪駄、冠婚葬祭に着る礼服など、幅広く扱うこの店でなら、大人子供、男女ともに全ての町人が、必要に応じた身なりを整えられるだろう。
奥の土間を区切った座敷の上に立て掛けられた衣桁に、質の良い着物らは袖を広げて飾られているが、それらも全て古着であり、新しく誂えられた品物は、やはり何処にも並んでいない。
新品の着物に袖を通せるのは、武家や裕福な生まれの者が殆どであり、貧しい生まれの農民にはそのお下がりが回ってくるのが、平民の常識でありこの日ノ本の暮らしでもある。
男は、その恵まれているとはいえぬ暮らしは心苦しくはないのかと、慣れぬ頃には同情したが、この国の者は質素倹約を旨に暮らす事が当たり前であり。その暮らしを嘆く事はせず、物に魂が宿ると信じ大切に扱うからこそ、役目を終えた品々がこうして店に並び。大切に綺麗に扱われた品は可能な限り修繕され、他の者に譲れるのだ。
この国に生きる者は物を慈しみ、温情をもって助け合う。そうした世人の心立てを男は気に入っていた。
店の品々を眺めると日々の生活を肌で感じられ、男の鬱蒼とした心は明かりが灯ったような心地になる。いつしか人々の営みに触れる事が、男にとって至福の時であり、旅をする合間の喜びと束の間の休息になっていた。
©️2025 嵬動新九
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