一章 蠱獄 四丁
大の男が4人、両腕を目一杯広げ幹に抱き付いたとしても、互いの指先が触れ合えぬ程の太い幹には注連縄が巻かれ、風が吹き抜ける度に靡く紙垂は何とも言えず風韻がある。
この神木を見るのは三度目と頭では分かっていても、村の中心にあるこの銀杏は千年を超える年月を生きたと、誰もが容易に想像出来るほど壮大で、地から天に向かって裂ける幹の力強さと迫力に、自然と目を奪われてしまうのだ。
しかし、薄暗がりの中で銀杏の葉が美しく散りゆく姿は、見る者の心を癒やしはしたが、根元に崩れた家屋の残骸が横たわっている様は、否でもこの鬱蒼とした現状を思い出させ、一同の表情を曇らせもした。
「それにしても霧とは何だ? 日照り続きの山間で、霧など出る筈がない」
坂田は銀杏の大木に目もくれず、少女が言い残した言葉の意味を、眉を寄せ考え込んでいる。
そして、坂田の脇に立つ万雷は、童を逃がしてしまった苛立ちを露わにして拳を握った。
「あの童め…戯言を…!」
「いや、我等を乱す為の戯れ言とは思えん」
そう万雷を宥めたきり坂田は押し黙ると、鞘を握り刀の鍔に親指を添え、常々熟考の際に行う定まった所作で再び考え込む。己の判断が今後の命運を左右し、総員の命を預かる主として、坂田は一層慎重に今後の動向に頭を捻らなければならないのである。
「物の怪の類いに決まっておりまする。 何が来ようと儂がお守り致します! 妖など鬼に比ぶれば、恐るるに足りませぬぞ!」
鼻息荒く息巻く万雷に、釘を刺そうと口を開いた坂田だったが、井路沿いの脇道からやって来る数人の聞き慣れた足音に意識が逸れた。そして、敵意の表れにならぬよう刀から手を放し、脇道から此方へ向かって来る者達へ坂田は体を向け、硬くなっていた表情を少しばかり緩めた。
「若!」
「鳥什丸!」
遠方から坂田へと呼掛け、嬉しそうに主の元へやって来る東南の調査に赴いていた4人の配下達。
怪我も無く溌溂と此方へ向かって来る4人の様子に、身を案じていた坂田達は安堵の表情を浮かべた。
坂田は再会の喜びから自らも4人に歩み寄り出迎えたが、辰巳側の調査を命じた配下達の中に、見慣れない人物が一人加わっている事に気が付き、坂田達の視線は一斉にその者に集まった。
「漬物屋の奥に丸くなっていた老者を見付けました」
鳥什丸と呼ばれた十五程の歳の少年は、坂田へ端的に報告すると、主の視界の妨げにならぬよう素早く脇へと避けた。
少年の報告通り、その後列を遅れて歩いていた2人の配下の男達は、殆ど自力で歩いていない老人の腕を両脇から支え、半ば引き摺るような形で、必死に坂田の元へ老人を運び込んで来る。
額に汗を流し一生懸命に老人を支える2人は、やっとの末に主の御前に辿り着くと、無理に歩かせてしまった老人を一度休ませる為に、その腕をそっと離した。
一人で立っては居られない老人は、支えを失った為に地面に力無く座り込み。痩せこけた腕で頭を覆った老人の目は落ち窪み、頭髪は白く殆どが抜け落ちてしまっているため髷を結えず、側頭部の所々がまるで尾花のように乱れている。
頭を抱えて全身を震わせている様は、今にも倒れそうなほど衰弱していると、誰の目から見ても明らかだった。
「でかした鳥什丸、皆。してご老人は何と?」
「それが…」
少女に逃げられ、この怪異な村を訪れて2人目の証人となる老人から、一刻も早く事の顛末を知りたい坂田は、辰巳側を偵察した4人を労うと、すぐに話を切り出した。
衰弱した老人から、二度も話を聞き出すのは酷な為、先に事情を伺ったであろう鳥什丸という少年に詳細を尋ねたのだが。老人を連れて来た4人は、視線を落とし老人を見詰めると、当惑の表情を浮かべ何やら口籠もってしまう。
©️2025 嵬動新九
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