二章 三十丁 旅路の分岐
そうして話し込むうち、旅籠屋の看板が一軒前方に現れ、碧眼の男と漁太は揃って宿を目指した。
だが少女は、たった今横切ったばかりの露店へと小走りで戻り、並べてある多種多彩な面に釘付けになっていた。
少女が面屋で寄り道をしているとも知らない碧眼の男達は、宿に空きがある事を確認すると、別れの挨拶を交わす為に旅籠屋の戸口で向かい合った。
利吉に肩を貸してその身を支える漁太は、己の行いへの自責と、救われた万謝の思いを、どう男へ伝えれば良いのかと、何度も言い淀み、悩んでいる様子である。
そうして口籠もり、複雑な心境に苦しむ漁太へ、碧眼の男は藍染の布に包んだ何かをおもむろに渡した。
差し出されるまま素直に受け取った包みのずしりとした重みと手触りで、すぐに中身を察した漁太は次第に慌て始める。
「だ…旦那! 命を助けてもらったうえに…こ…こんな大金…!」
布越しの手触りのみで、数枚の小判が包まれている事に気が付いた漁太は、大慌てで男へ包みを返そうと腕を突き出した。
しかし男は、首を左右に振り、包みを優しく押し返した。
遠慮から受け取ろうとしない漁太へ、犬神が気怠げに口を開き、利吉を鼻先で差した。
「お前の為ではない。その金は其奴のものだ」
「しっかり治療を。薬師を頼らねば」
薬代は高額であり、治療を受けられぬ民が多いこの国の事情を理解している碧眼の男は、こうして少量の薬と大金が入った包みを気前良く差し出した。
だが散々悪事を働いた漁太にとって、これ以上の施しを受ける事に抵抗があり、親切にされるほど己の行いへの呵責の念が大きく膨らんでいる様に見える。
「金は人から奪うものではない。お前も人の為に使ってみろ」
包みを握り締め鬱悶とする漁太は、犬神の投げ遣りに放った一言で、憂いが払われたかのように表情を一変させた。
恐らく犬神は何と無しに放った一言であるが、人の為に使うというこの言葉は、盗みを糧として生きて来た漁太の心に沁みたのだろう。漁太の瞳は徐々に潤み、涙を堪えようと唇を固く結んだ。
碧眼の男は漁太へ柔らかく微笑み、深く頷く度に光を反射して煌めく青い瞳は、まだ男達が道を歩み直せると信じている、そう伝わる程に澄んでいた。
「めんぼくねぇ…めんぼくねぇ…」
漁太の目に溜まった涙は零れ、謝罪の言葉と共に幾度も溢れ出した。
腕で乱暴に双眼を拭い、感情を露わに啜り泣く漁太が落ち着きを取り戻すまで、碧眼の男はその肩をそっと叩き励ました。
やがて涙が鎮まり、笑顔を見せた漁太は、礼と深いお辞儀を碧眼の男へ贈ると、利吉を支えて旅籠屋の戸を潜った。
閉じゆく戸口を眺める碧眼の男は、心の内で男達の新たな旅路の無事を祈り。
怪我の痛みと発熱に苦しみ終始気が滅入った様子で顔を伏せていた利吉も、この時ばかりは僅かに頭を下げたように見えた。
名残惜しく戸の隙間から再び漁太が頭を下げ、戸口が完全に閉め切られた事で、男達との別れを実感した。
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