一章 蠱獄 三丁
橋袂 の三体の地蔵の前で手を合わせていたのは、まだ幼い五つくらいの少女で、紫陽花柄の手拭いを頭に被り、背中を丸めて一心に地蔵参りをしている。
怪訝な面持ちで少女の背後に立った坂田に夕映えが遮られ、少女は両手を合わせ俯いていた顔を上げると、声を掛けられる前に自ら後ろを振り返った。
いざ間近で少女の姿を眺めてみると、撫子色の着物は所々破れ、特に裾部分は土や埃で黒ずみ、解れた糸がだらしなく垂れ下がっている。意外にも、振り返った少女の顔立ちは品があり、整った目鼻立ちの愛らしい顔をした少女には、その見窄らしい格好は見た者をより憐れに感じさせる程、不釣り合いな姿であった。
背後に立つ見知らぬ男達を、屈み込んだまま戸惑った様子で見上げていた少女は、黒曜石のような綺麗な瞳で坂田と万雷を交互に見詰めると、徐々にその顔は恐ろしいものを見たかの様に強張ってゆく。
「早くここからお離れください! 橋を渡ってはなりません !!」
坂田は少女へこの村の惨状の理由を尋ねようと口を開きかけたのだが、少女は突如弾かれたように橋の前に立ちはだかり、両腕を広げ精一杯坂田達へ訴えた。
「橋を渡るなだと? 橋を渡ると何だというのだ」
坂田は眉間に皺が寄り、険しい顔をしているとの自覚がある為、怯えている少女へ出来うる限り優しく問い掛けたが、それでも少女は少し怯えを見せた。
上手く状況を説明出来ず言葉を選んでいるのか、少し俯き目を泳がせた少女は、やがて覚悟を決めた様子で顔を上げ、爪先立ち、薄紅色のふっくらとした唇を大きく開いた。
「邪魔立てするな、童! 容赦はせぬぞ !!」
しかし、万雷が少女の言葉を待たずに、薙刀を構え少女に吼えた為に、怒鳴られた少女は小さな体を跳ね上がらせ、広げていた両腕は胸元に収まり体がより小さく縮こまった。
「よせ! 万雷 !!」
坂田は万雷を後方へ下げさせようと右腕で万雷の腹部を押すが、万雷は少女を睨みその場から動こうとはしない。
屈強な男でも、万雷に凄まれれば畏縮してしまう事があるほど万雷の大声は勢いがあり、怯えた少女に逃げられる前に話を聞き出そうと、坂田はすぐさま会話を再開させた。
「橋を渡ったが別段変わった事はなかった。それよりも主の話を聞かせ願おう」
「御心を開いてはなりませぬ !! 私が聞き出しまする !!」
更に殺気立つ万雷は、少女へ威嚇するような鋭い眼差しを向け、尚も怪しみ警戒を解かない。
少女をこれ以上威圧しないよう、間に割り込み遮る坂田だが、自分への忠義から万雷が時折この様に粗暴な態度を取り、こうなっては梃子でも動かない事を知っているだけに、坂田はほとほと困り果てた。
坂田の奮闘虚しく、少女は2人を怯えた眼差しで見詰めたままよろよろと後退り。徐々に少女と坂田達の距離は開き、少女が橋板を踏む音は橋下を流れる川に反響した。
「そんな…! どうか…どうかご無事で…! 霧にお気を付けを!」
日が暮れる空を見上げて少女は早口で言い終えると、慌ただしく橋を駆け上がり坂田達の元から逃げ出してしまう。
「あ!待て!」
坂田と万雷も少女の後を追い橋を渡る。
――が、少女は何処へ行ってしまったのか。
太鼓橋を渡りきり、通りへと出た坂田達の目には、壊れた家屋や屋台が散乱する、これまでと同様の閑散とした光景のみで、少女の姿はもう何処にも見当たらなかった。
「なんと逃げ足の速い…!」
「日が沈んだ、追うな」
一行を明るく照らしていた太陽は沈み、辺りが薄暗くなると、見慣れて来た景色と静けさが、一層不気味に思えて来る。それ故に警戒心を増した坂田は、少女を捜索するため勝手に傍を離れようとする、万雷の行く先を腕で遮った。
「隊と落ち合い、一度思案する」
坂田は万雷に今後の行動を簡潔に伝えると、少女を追う際に待機を命じ、未だ橋向こうにいる配下達へ、同じく太鼓橋を渡り此方へ合流するよう身振りで合図を出した。
天へと掲げられた坂田の腕を見て、配下の者達は揃って足早に橋を渡り、坂田の元へ集合した。そして、橋を渡った6人の男達は、通りに鎮座する40mにもなる銀杏の大木の荘厳さに、全員思わず首を上げて、その威風に見入った。
©️2025 嵬動新九
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