二章 二十丁 伝説の真偽
少女達に迫る牛鬼を止める為、碧眼の男は走った。
岩々たる足場を飛び移り高所を目指し、小高く堆積した岩場を蹴って、空に身を投げ出した姿態から、黒炎を散らし抜刀する。
そして、眼前に飛び込んだ牛鬼の側面へ刀を振り下ろし、牛鬼の右後方の脚を切り落とした。
だが脚を一本失い、燃え移った黒炎が傷口を焼こうとも、牛鬼は驀進を緩める様態すらなく。夥しい血を撒き散らし、少女目掛けて只管に進む。
牛鬼の背に転がって着地した碧眼の男は、刀を突き立てるが背中の皮膚は分厚く。浅く食い込んだ剣先からは少量の血が流れるのみで、牛鬼の動きを鈍らせられる程の外傷は与えられない。
少女達の元へ間もなく辿り着いてしまう――
悲観と焦心に苛まれる心を落ち着かせ、碧眼の男は意を決し、刀へ力を籠めた。
男の決意に応えるように、刀身から黒炎が渦を巻き、蟒蛇を斬り伏せた時と同様に、炎は男の腕から背を這い、 狂炎 となって男に絡み付いた。
首の皮膚は音を立てて焼け爛れ、その熱と身を焼く激痛に、男は歯を食い縛った。
痛みに耐え、刀身を振り下ろそうとしたまさにその時。
脚を一本欠いた牛鬼の身体は、岩を乗り上げた際上手く均衡が保てず、不意に後ろへ傾いた。
牛鬼の豪髪を掴むことが出来たならば、転落は免れたのだが、後ろ向きに体勢を崩した男は牛鬼の背を弾み、為す術無く上空に放り出された。
空中に投げ出された男はこのまま地に打ち付けられ、負傷は避けられぬかに思われた。が、そこへ犬神が現れ、身体を再び大きく変化させると主人の元へ更に加速し地を駆ける。
犬神に気付いた男は空中で身を捻り、逆さとなった体勢を正常に立て直した。その頃合いを見計らい、犬神は地を蹴って 跳躍 すると、碧眼の男の背を二股の尾で押し返し、牛鬼の後方へ男を飛ばした。
牛鬼の背へと送り返された男は――着地と同時に、先程仕損じた一撃をその背に叩き付けた。
碧眼の男が放った決死の一撃は、牛鬼の身体を裂き、黒炎は全身を巡り傷口を焼化させ、激痛に暴れ狂う牛鬼は、又もや男を背から振り落とした。
牛鬼は黒炎に身体を斬り裂かれ、息絶え絶えになろうとも、のろのろと緩慢に地を歩き、やがて少女の眼前でその身を横たえた。
地揺れが治まり静寂が訪れた事を怪訝に思い、少女は農夫の背に埋めていた顔を恐る恐る上げた。
牛鬼の巨体は少女を押し潰す寸前で止まっており、牛鬼はまだ息絶えてはおらず、赤い血走った目玉は全て少女を見下ろしている。後一歩にじり寄れば少女に届く距離にあるが、牛鬼は驚いて身を跳ね上がらせる少女を、大粒の涙を溢しながらただじっと見詰めている。
「違うのかぁ…違う…のかぁ…ああ……。乙…外あ……様ぁあ………何故…迎えに…来て…くださらねぇええ…。乙………娃…さまぁぁ………」
叫喚 し、幾度も涙し嘆く牛鬼は、弱り果て切れ切れに言葉を発したが、やがて大きく息を吐き力尽きた。
少女は恐怖に震えていたが、同時に憐れむ感情を心に抱きながら、牛鬼の亡骸を呆然と見詰めていた。
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