一章 蠱獄 十四丁
蟒蛇の尾に拘束された鬼面の男は、どうやらまだ死んではいない。
男の身体は上空に引き上げられ両脚は力無くぶら下がり、左腕は尾の先端で捻り上げられて、完全に動きを封じられている。身体に螺旋状に巻き付く蛇の剛力に、鬼面の男は抵抗せず、ただ風に煽られ俯いていた。
男が抵抗しないのも当然と云える。
締め上げられた大蛇からは、どれほど屈強な肉体と怪力を持つ者であっても、自力で脱出など不可能な上に、暴れれば体力の無駄になってしまう。
蟒蛇は捕らえた男をどう甚振ろうかと、目を細め二股の舌を激しく波打たせ、今し方の激情は何処へ行ったのか見違えるほど上機嫌である。その細められた巨大な瞳は、哀れな男の姿をじっくりと精察していたが、男の右肩辺りに視線を止めると、蟒蛇は顔を歪め突如吹き出した。
「愚かな! 隻腕でわしに挑むとは。 童一人救う事もままならんではないか!」
吹き荒ぶ風に踊り舞う鬼面男の合羽は捲り上がり、露わになった男の右腕を、蟒蛇は声高らかに 嘲笑 した。
蟒蛇が言い散らした通り、鬼面の男は右腕の肘上から下までを失っており、雪輪文様の入った肘丈の袖だけが、虚しく風にはためいている。地上から男を見上げる坂田一行も、左腕のみで武器を扱っていた鬼面男の事由が、やっと腑に落ちた事だろう。
しかし、男へ同情の念を向けた坂田達とは異なり、蟒蛇は小気味良いという有様で頻りに声を上げて笑っている。憎むべき相手の不幸が、痛快で仕方がないという様子だ。
「隻腕一人に手間取る蛇がほざくなよ」
突如鬼面男が放った一言に、場はしんと静まり返った。
蟒蛇に捕らえられ、身を拘束された状態で機嫌を損ねれば、今度こそ男の命の保証はないのではないかと、一部始終を眺めていた坂田一行は固唾を呑んだ。その緊迫感から、言葉を発する者は誰一人いない。
やがて蟒蛇は深く鼻息を吐き、意外にも大人しいその姿は、己の怒りを静めているとも捉えられるが、静かに、だが確実に怒りを増長させている事は、坂田一行にも見て取れる程であった。
「…これからだ。 貴様だけはたっぷり甚振って苦しめてやる」
声を荒げずにそう宣言した蟒蛇は、鬼面男の身体に巻き付けている尾を、主張とは真逆に緩めた。
自身の襟巻にしている白犬の毛皮を呑気に眺めていた鬼面の男は、緩められた一瞬を好機とみて脱出しようと身を動かした。が、蟒蛇は男を解放する気など毛頭なく。一度尾を緩めたのは男をより苦しめる為であり、鬼面男の左腕を解放した蛇の尾は男の胸へと素早く巻き付き、そして更に男の頭部に尾を絡め、蟒蛇は容赦なく男を絞め上げた。
顔と胸を絞め付けられた男は苦しみのあまり、唯一自由な右足と左腕を必死に暴れさせ抜け出そうとするが、藻掻けば藻掻くほど、自在に筋肉を動かせる蛇の体は、男の身体へと深く食い込み、血液を止め酸素を奪ってゆく。男の悶え苦しむその様は、年端のいかぬ少女にはあまりにも惨たらしい光景であり、少女が上げた悲鳴は大通りに幾重にも木霊した。
尾に捻り絞められ男の身体が軋み、骨が砕けるよりも先に、男が身に着ける物の具に限界が訪れた。
鬼面男の身体からは、木が割れるような硬い何かが砕ける異音が生じ、赤い塗料の付いた木片がぱらぱらと、男を覆い隠す蛇の尾の隙間から、地へと落ちていった。装備が砕け散るその凄惨な音もまた、大蛇の力の壮絶さを物語っている。
©️2025 嵬動新九
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