一章 蠱獄 十三丁
蟒蛇は突如悲鳴を上げ、頭部を左右に振り乱し身を捩った。痛みに叫び、身を悶えるその度に、数滴の血液が辺りに飛び散る。
上空を舞う少女には、蟒蛇に何が起こったのか見当も付かないが。下で始終を静観していた坂田達には、蟒蛇の体を駆け登り、大腿の防具に忍ばせていた苦内を、蟒蛇の右目に投じた鬼面男の一連の動作が、しっかりと捉えられていた。
視界の狭い蛇には下方から来る苦内が見えず、抵抗もなくその刃は蟒蛇の眼球に突き刺さった。それが因で、蟒蛇はこうして暴れ狂うに至ったのだった。
鬼面男の働きで、少女が蟒蛇の口内へ招かれる事は回避されたが、少女の身体は真っ逆さまに地面へと落下してゆく。
鬼面の男は蛇の体を蹴り 跳躍 すると、空中で少女を受け止め、苦痛に暴れ回る蟒蛇の胴体を器用に飛び移り地面へと着地した。
「きっ貴様ぁああッ!! よくもぉ!! 死ねぇ!!」
体を撓らせ鬼面男を叩き潰そうと、蟒蛇は再度激昂し暴れ狂った。
しかし軽快に駆ける鬼面の男は、既に蟒蛇の近傍を離れ、太鼓橋まで後退している坂田一行の間近まで辿り着こうとしている。そして少女を坂田へ引き渡そうと、鬼面男は身を前に乗り出していた。――そこへ蟒蛇の強大な尾が、叩き付けられる。
両腕を伸ばし、少女を鬼面の男から受け取ろうと近寄った鳥什丸の肩を、咄嗟に坂田は掴み後ろへ引いた。それがなければ、この少年の命はなかっただろう。蟒蛇の尾は少年が身を乗り出していた場所を深々と抉っていた。
危うく潰されかけた鳥什丸と坂田は、尻餅を付いて顔を上げるまでの僅かの間に姿を消した、鬼面男と少女は無事なのかと忙しなく二人を探した。そしてすぐに、危険から逃れる為に蟒蛇の死界である背後を越え、村の出口の方角へと駆ける鬼面男の姿を見付けた。
坂田に少女を託すのを諦め、少女を安全な場所へと避難させるつもりなのだろう。怪我もなく無事であったと、鳥什丸が安堵したのも束の間。蟒蛇が錯乱して鞭のように振り回される尾が、幾度も命を危ぶませ、坂田一行は悲鳴を上げながら各々死に物狂いで逃げ惑った。
鬼面の男は、周囲をこれ以上巻き込んでしまわぬよう。一行からより遠ざかろうと更に膝に力を込めた。――しかし、己の脚は意思とは反対に膝を折り、受け身も取らず鬼面の男は地面に頭から倒れ伏した。
「お侍さま !?」
胸に大事に抱えられた少女に怪我はなく、男のただならぬ様子に驚愕し、その身を案じた。
男は呻き声を上げながら必死に身を起こそうとするが、再度額を地面に横たえ、立ち上がる事は叶わない。何処か身体に怪我を負ったのだと察した少女は、覆い被さる男の体から這い出そうと身を動かしたが男の体は重く。潔く抜け出す事を諦めた少女は、鬼面男の身体の傷を手探りで探した。
荒い息遣いと心音は早いが、男の身体の何処にも傷など見当たらない。しかし少女の耳には確かに、炭が弾け罅割れたかのような乾いた音が、男の心音と混ざり合っては胸の奥から聞こえてくる。
鬼面の男が蟒蛇の注意を引いた事で攻撃が和らぎ、余裕の出来た坂田は再び鬼面男の姿を探した。そして遠目に男が倒れ伏す様を認めると、迫る危険を知らせる為に、声を張り上げ男を奮起させた。
「何をしている !! 立て !!」
坂田の一喝を受け、やっとの思いで身を起こした鬼面の男だが、時既に遅く。蟒蛇の胴体は男の四方を取り囲み、とぐろを巻いた中心の空から男を憎々しく見下ろしている。
蹌踉めきながらも立ち上がる鬼面男を待っていた蟒蛇は、胴で形作った輪を急速に縮め、少女諸共男を締め付けようと身を捩った。
螺旋状に巻かれた胴に四方を塞がれ、逃げ場のない鬼面の男は、蟒蛇が身を動かした際に開いた隙間から、此方に駆け付ける坂田と目が合った。
その一瞬を逃さず、鬼面の男は胸に抱えていた少女を力一杯投げ捨てる。
「きゃ!お侍さまッ!!?」
少女の身体は上手く大蛇の体の隙間を擦り抜け、蟒蛇に絞殺される危険は一先ず回避された。しかし、突然投げ捨てられた少女の体は、背中から地面へと無防備な姿勢で落下し、受け身を取ったとしても、恐らく身体の何処かへ怪我を負ってしまうだろう。
「うぉおおおお !!」
不意に合図もなく少女を放り投げられ、坂田は思わず雄叫びを上げ全速力で走り、地面に落ちる寸前の少女を捨て身で受け止める事に成功した。
咄嗟の判断が功を成し、少女は傷一つ負う事はなかったが、代わりに坂田の羽織や袴は地面を擦り、悉く砂で汚れてしまっている。己が受け止めねば少女は怪我をしていたと鬼面の男へ悪態を吐きたい所だが、蟒蛇の追撃を喰らう恐れがあった為に、坂田は託された少女を抱えて素早く後方へと下がった。
配下の者達に迎えられ、一先ず安全といえる地点まで後退した坂田は、漸く鬼面男の身はどうなったのか、少女と共に巨大な蟒蛇を見上げた。
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