五章 十九丁 定離
呼掛けに応ずるのは、本来なら小柄な十五の歳の少年である筈だが、目の前のこの男は背格好がたくましい成丁である。
少年の丸みを帯びた短髪とは異なり、男の項辺りで束ねた毛髪は、鼠の尻尾のように細く背に沿い。
体躯も容姿も、膝下を絞った裁付袴を常時着熟す身なり以外、紛うことなく別人であった。
全く面識のない男を呼び出した決まりの悪さから、ほぼ反射的に口が謝罪を発した。
「む。人違い致した、失礼」
「人違いでは御座いませぬ」
男は坂田の詫びを訂正し、顔を上げるとしっかり相手の目を見据える。
その容姿は、力の入った頼もしいもので、己の歳より一つ上に思えた。
「先任の目付執行 鳥什丸は任を解かれ…此度から某が 松平綱影 の命により、摂津守禦 儺斬衆の目付執行人として任を賜りました」
歯切れの良い明快な口調で男は告げ、事情を理解した坂田の顔には、歓迎の笑みが浮かぶが同時に小寂しい心情も窺えた。
「そうか…。 いつも唐突に訪れるものだな」
目付執行は綱影が育て上げた手駒であり、儺斬衆への監視役に最低でも一人、同行させる規則となっている。
その為、綱影の命を第一とし、規則や衆を乱す者があれば、すぐさま伝え、場合によっては処断する役目を担う。目付執行にはそうした大義があるが、密偵や刺客、下賤などと蔑まれ、行く先々で無下に扱われる事が多々あった。
しかし、一年を共にあり、同じ釜の飯を笑い合って食した少年との日々は、坂田にとって家族と思い込むには十分な年月で、すぐには別れを受け入れられずその眼差しは遠い。
だが、新たに仕えるこの男も去る日まで、誠意をもって懸命に尽くしてくれるのだろうと思うと切なくも、もう愛着を感じ、それに相応しくあらねばと強く思った。
「…名は、此度も鳥什丸でよいのか?」
「はっ! 相違御座いませぬ」
問いに男はきちんと身を慎んで答え、しっかり礼儀が仕込まれたその姿に坂田はより少年を重ねた。
「…ろくに別れを言えず名残惜しいな。 鳥什丸には…誠に世話になった故」
個を殺すために、目付執行は全て鳥什丸と号するが、やはり接すればそれぞれの味があり情が湧く。
そうした縁を絶ち切るために、別れを交わせぬ決め事だと心得ていても気落ちする坂田を見て、男は表情を柔らめた。
「有難きお言葉に御座います」
男は少年の代わりに礼を述べ、語を継ぐ。
「鳥什丸から言伝が…。 格別の御計らいを至れり、まこと光栄至極に御座いました。 何卒達者でお過ごしください、と」
少年が残した伝言を聞いた坂田は優しく綻ぶが、一層喪失感が増して見える。
「礼を申すのはこちらの方だ。 寂しくなる。…――どちらのご一門に就かれたのだ?」
何気なく尋ねてしまった坂田は、首を振った相手を見て、己の失言を恥じた。
「申し訳御座いません。規則ゆえ、申し上げられませぬ」
「すまぬ、そうであったな」
坂田は素直に詫び、新たな従者となる男へ誠心誠意向き合った。
「手間をかけぬよう致す故。よろしく頼む、鳥什丸」
「はっ!」
会者定離の縁を胸に刻みながら温かな気持ちで迎え入れる坂田の顔を、鳥什丸は穴が開くほど見詰める。
「主、一つお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「ん? 何でも申せ」
坂田が快く応じた為、鳥什丸は忌憚なく尋ねることができた。
「その痣は如何されたのです?」
両頬の痣を問われた途端に坂田は慈顔を無にし、長きにわたる沈黙が二人の間に流れた。
そこへ万雷が、にやにやと鳥什丸に身を寄せ、頬に手を添えて声を潜める。
「皆まで言うな、女だ。 女に決まっておろう」
「ほぅ! 左様ですか! これは存外…」
鳥什丸は色恋に前向きな性格なのか、前のめりに万雷の冗談に食い付く。
「万雷ッ!!!」
「あいたぁああーー!!!」
またもや坂田の逆鱗に触れ、脛を蹴られた万雷の悲鳴は、問屋街をゆく大勢の人々を振り向かせた。
「存外…、気が短こう御座いまするな」
世評と異なる坂田の印象に小首を傾げ、鳥什丸は大衆の好奇な眼差しから逃れるように、一歩引いて喧嘩の行く末を見守った。
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