エピローグ
エピローグ
「ショウ……。ショウ!」
どこからともなく声が聞こえる。それも妙に聞き覚えのある声だ。
確かめるべく目を開けた瞬間、蛍光灯の眩しい光が目に入ってきて、思わず顔をしかめる。
「よかったわ。もう、本当に心配ばかりかけるんだから」
ようやく目が慣れてきて、ショウはその聞きなれた声のする方に顔を向けた。
ちょっとセットしきれていないミドルヘアの女性が、心配そうに立っている。
「かぁ……」
と、言いかけて、ショウの思考が一時的にストップした。
(あれ?)
そもそもここはどこだろう。
周りを見渡してみると、同じ形のベッドがいくつも並んでいる。それぞれに、仕切るためのカーテンが備え付けられており、全体的に白い。
ここは、病院だ。病室のベッドに、ショウは寝かされているのだ。
(え?)
看護婦が忙しそうに廊下を行き来しているのが見えた。当たり前だが、ナース服を着ている。だから、看護婦だと思ったのだ。
(え?)
何が疑問なのか、自分でもしばらく整理がつかなかった。
もう一度、傍にいる女性を見る。
再び止まる。
もう一度、辺りを見回してみる。
「ちょっと、さっきから目が泳いでるけど、あんた、本当に大丈夫なの?」
傍にいた女性が、怪訝そうにショウの顔を覗き込んだ。
目が合って、ショウは飛び起きた。
「母さん!」
ゴツッ
飛び起きた拍子に、自分の母親とおでこをぶつけてしまった。おでこを押えながら、親子二人で痛がる。
「もう、いきなり起き上がらないでよ」
「だって、なんで母さんがここに?」
「なんでって……。階段から落ちて救急車で運ばれたのよ、あんた」
「へ?」
ショウは、間の抜けた声を出した。
「覚えてないの?まさか、記憶喪失とか言わないわよね?」
「いや、覚えてる。というか、今、思い出した」
急いでいて階段から足を踏み外したことは、確かに覚えている。しかし、その後どうなったのだろう。
混乱する記憶の中で、ショウはあることを思い出していた。
自分が見てきたもう一つの世界だ。
牢屋に入れられて、訳も分からず逃げだして……。
紅い髪の快活な少女とツインテールの人懐こい少女に出会い、老婆に出会い、そして、柔和な笑みを浮かべた銀髪の美人……。
「ルカ……」
全部夢だったのだろうか?いや、そんなはずはない。
この目で見て、この手で触れた。全て覚えている。辛かったことも楽しかったことも全て。
ぼんやりと自分の手を眺めて、ショウは思い返していた。
そして、気がついたのだ。
夢でなかった証が、自分の手にあることを。
細い手首に、ビーズのブレスレットが光っている。
おばばが最初にくれたものだ。
やっぱり夢ではなかった。夢ではないのに、夢から覚めたようなこの感覚は何だろう。
「ショウ!」
母親に呼ばれて、ショウは我に返った。
「大丈夫ならこのまま帰っていいんだけど、どうする? 入院する?」
「いや、大丈夫。帰るよ」
「そう? 無理しなくていいのよ」
「本当に大丈夫」
「そう。じゃぁ、帰る仕度しなさい」
「うん」
母親に言われて、ショウはいそいそとベッドから出た。
帰りは電車を利用した。
プラットホームに着いて、すぐに電車が来た。昼過ぎの中途半端な時間だったので、車内はガラガラだった。
適当に空いている席に座ると、ショウは気の抜けたように正面を見つめていた。
本当に普段と変わらない風景だ。流れていくマンションや民家の風景も目の前で手を握り合ってイチャイチャしているカップルの光景も、現代の日本そのものだ。
(なんか、すっげぇ変な感じだな……)
なぜ戻ってこられたのか、答えを追求しようとすると、堂々巡りしそうでやめた。
それよりも、別れのあいさつをちゃんとしたかったとか、あれからあの国はどうなったんだろうとか、みんな心配してないだろうかとか、そういうことのほうが気になってきた。
なんだかものすごく後味の悪い別れ方をしたような気がする。というのも、最後の記憶が妙にあいまいだった。
じっと考えていると、どうやら前のカップルを凝視するような格好になっていたらしい。母親に肘で小突かれて、ショウは我に返った。
「羨ましいからって、あんまり見ないの」
「いや、見てないし」
「ホントにぃ~?」
と、母親はショウの頬をつついた。こういう子供じみたところは、たまにうっとうしいと思う。
「若いっていいわね。ママも昔はパパとあんなふうに手をつないだりしたな~」
「へぇ……」
「ねぇ、パパとママがどうやって出会ったか知りたい?」
「いや……」
興味があるようなないような、ショウは適当な返事をした。
しかし、母親は話す気満々である。なんだかものすごく前に同じ話を聞いたような気がしたが、たぶんその時も適当に受け流していたので全然覚えていなかった。
「パパとママの出会いはね、電車の中だったの。パパは大学生で、ママは高校生のとき。いつものように朝の満員電車の中で息苦しい思いをしていたのよ。そしたらね、痴漢にあったの。なんか触られてるような気がしたけど、満員電車でしょう。なんとも言いがたくて。でも気持ち悪いし、恐いし、どうしようって思っていたら、突然怒鳴り声がしたのよ。『おまえ、何してるんだ!』って」
母親はその当時のことを思い出しながら、笑って見せた。笑って話すような話でもないが、彼女にとっては過去の笑い話なのだろう。
「その怒鳴ってくれた人が、パパだったの。男の人の手を引っ張り上げて、次の駅で強引に引きずり降ろしたの。すごいでしょう? 私も、やっぱりそうだったんだと思って、急に恐くなって、思わずその場で泣いちゃったのよ。そうしたら、パパが『大丈夫?』って優しく声をかけてくれた」
と、母親は嬉しそうな笑みを向けた。
「こんなこと言うと、笑われちゃうかもしれないけど……。パパのこと、運命の王子様だと思ったのよ」
「それから付き合ったの?」
「そ。なんだかんだで五年も付き合っちゃった」
気恥かしそうにぺロッと舌を出して見せる母親に、自分まで恥ずかしくなる。
「五年目に、ショウがお腹にできて……。じゃあ、結婚しようか……ってね」
「あれ? 母さん、デキ婚だったの?」
「そうよ。知らなかった?」
と、またショウの頬をつつく。
「感動的なプロポーズの言葉なんて全然なかったけど、どこかで思ってたのよね。この人と歩いていきたいって……」
「へぇ……」
「あ、ちょっと感動した?」
「いや、別に」
図星だっただけに、ショウは気付かれないように顔をそらした。
「人間だから、喧嘩もするし、嫌なところも見えるかもしれないけど、お互いに信じあっていれば、ずっと手を繋いで歩いていけると思うの。ま、ショウにはまだわかんないかもしれないけどね」
「そんなことないよ」
「あら、びっくり。オトナ発言? あんたも大きくなったのね」
ニヤニヤしながら頭を撫でてくる母親にうっとうしさを感じながら、ショウは窓の外に目をやった。
流れていく風景に、自分が見てきた世界を重ねる。
出会ってきた彼女たちも、母親と同じように大切な人と歩いていくのだろうかと、ショウはそっと思いを馳せるのだった。
長い間、読んでいただいて本当にありがとうざいました。みなさんのおかげで、放り投げることなく完結できました。もう感謝の言葉しかでてきません。
この小説は、書き始めたのは数年前にさかのぼります。ひょんなことからアイデアが浮かび、のらりくらりと書き綴ってきました。手を止めたことなんて、数え切れないほどありました。こんな話書いてどうするんだ?と、悲観的になったこともありました。
それでもここまで書ききろうと思えたのは、読んでくださっていたみなさんのおかげです。
みなさんの記憶の一部に、ほんの少しでもなれたのであれば幸いです。
読んでくださったみなさん、本当にありがとうございました。そして、感想を書いてくださった方々、本当にうれしかったです。ありがとうございました。
次回作もただ今構想中ですので、今後ともよろしくお願いします。
みーねこ